W. 浴槽は決して広くない。それに対して岩泉も京谷も、日本人男性の平均身長より少し高いくらいの体格をしていたから、二人で一緒に湯に浸かるとスペース的になかなかきつかった。そんなこと最初からわかっていたが、それでも岩泉は京谷と一緒に入ることを選んだし、京谷もそれを拒まなかった。 岩泉の股の間に座った身体を引き寄せ、優しく抱きしめる。頭を撫でるのも拒まれなかった。案外順応だなと思いながら、彼の耳朶にやんわりとキスをした。 「ケツ大丈夫か?」 男性経験はあると言っていた京谷だが、受け入れる側は初めてだったらしい。最初は辛いものがあると、昔のセフレがぼやいていたのを覚えている。前準備はこれでもかというくらい丁寧にやったつもりだが、それでも心配だった。 「大丈夫っすよ。岩泉さん、無茶なことしなかったし、ゆっくりやってくれたっすから」 「じゃあ気持ちよかったか?」 「そ、そりゃまあ、気持ちよかったっすけど……」 口ごもりながら顔を赤くする京谷が可愛くて、岩泉は思わず彼の短い髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き回す。 「い、岩泉さんはどうだったんっすか? ちゃんと気持ちよくなったっすか?」 「ああ、そりゃもうすげえよかったよ。お前ん中すげえぎゅうぎゅう締め付けてきて、最後はトロトロで堪んなかったわ」 味わった感触を生々しく話すと、京谷は更に赤くなった。 「いちいち赤くなんなよ。可愛いやつだな」 「オレは別に、可愛くなんか……」 「俺にとっちゃあ可愛いんだよ」 「……趣味悪いっすね」 「うるせえ」 高校時代、岩泉は自分がゲイだと自覚していたが、京谷をそういった意味で意識したことはなかった。それは京谷に魅力がなかったというわけではなく、単に岩泉が恋愛に興味がなかっただけだ。誰かに恋をしなかったわけではないけれど、それよりも部活のほうが大事で、バレーを好きだという気持ちのほうが何よりも勝った。 あの頃の自分と今の自分、男の好みはそれほど変わっていないはずだ。だからもしあの頃恋愛をする余裕があったなら、もしかしたら京谷に恋をしていたかもしれない。 「なあ、今度マジで一緒にバレーしようぜ? 一回だけでもいいから来いよ」 「オレは別に構わねえっすけど……あ、でもオレ、シューズないっす」 「二足持ってるから俺の貸してやるよ。サイズ同じくらいだよな?」 「たぶん」 「なら問題ねえだろ? 今度の土曜日練習あるから、一緒に行こうぜ」 「わかったっす」 「なんじゃこりゃ……」 皿に盛りつけられた塊を目にして、岩泉は思わずそんな言葉を零していた。 「焼きそばっす」 しかし岩泉の動揺を他所に、その塊を作り出した張本人の京谷は、あっけらかんとそう言ってのける。 「イカスミ……じゃねえよな。なんか焦げくせえし」 「普通の焼きそばっすよ」 「なんで普通の焼きそばがこんなに黒いんだよ! お前の普通はいったいどんだけ基準緩いんだよ!」 「いだだだだっ!! こめかみグリグリすんのやめてくださいっ!!」 京谷を拾ってきてから三日目。岩泉はこの日残業になり、帰宅するのが遅くなってしまった。夕食を作る時間はないなとスーパーで二人分の惣菜を買って帰ったのだが、どうやら京谷が気を利かせて夕食を作ってくれたらしい。しかし、残念なことに出されたのは先ほどの人が食べるものとは到底思えない黒い塊だった。 「惣菜買っといてよかったよ。危うく晩飯食いっぱぐれるところだった」 「オレの料理食ってくれないんすか?」 「じゃあ試しにお前がそれ食ってみろよ!」 「……すんません」 京谷は勘弁してくれという顔で謝罪の言葉を口にした。 「気持ちはありがたいけど、飯は俺に任せとけよ。料理は結構好きだからさ。他の家事を頼むわ」 「そんだけじゃ、ここに住ませてもらうには足りない気がしてたんで……」 「んなことねえよ。掃除とか洗濯やってもらえるだけでもずいぶん助かる。それに一応身体でも宿代払ってんだから、もう変に遠慮すんな。――よし、んじゃあ飯にすっか。あっこのスーパーの惣菜割と美味いんだよな〜」 そうして二人で夕食の準備――と言っても惣菜を皿に移すだけだが――に取り掛かり、テレビを観ながらそれを食べた。皿を洗って、風呂に入って、歯を磨いて、リビングのソファーに座って寛いでいるうちに、どちらからともなくキスをした。 昨日も一昨日もしたけれど、今日もまた岩泉は京谷を抱いた。鍛えられた雄の身体は素直に己のすべてを明け渡し、岩泉を受け入れると歓喜に打ち震えているようだった。そんな身体に夢中になっている自分を岩泉は自覚している。そして自分を特別だと言ってくれる後輩に、心まで持って行かれそうになっていることもわかっていた。 土曜日。京谷は約束どおり、岩泉の勤め先のバレークラブに同行してくれた。 京谷とバレーをするのは七年ぶりだ。楽しみに思う半面で、高校時代に比べて明らかに実力が落ちた自分に幻滅されないだろうかと少し心配だった。今日はしっかり気合いを入れて練習に臨もうと、心の中でひっそりと決意して体育館に入る。 「ちわっ……ってまだ大地だけか」 フロアには一人だけ先客があり、岩泉が声をかけると彼はニコリと笑って挨拶を返してくれる。 澤村大地――会社の同期の一人だ。澤村のことは高校時代から知っており、岩泉にとっての最後の春高予選準決勝で対戦したチームのキャプテンが彼だった。惜しくも岩泉のチームは敗退してしまったが、その苦い記憶も今は思い出の一つとして胸の奥深くに眠っている。 澤村のクリッとした目が、岩泉の背後に向けられる。京谷のことに気づいたようだ。 「大地、こいつのこと覚えてるか?」 スターティングメンバーではなかったが、あの一戦には京谷も途中から出場している。もしかしたらと思って訊ねると、澤村は「ああ」と頷いた。 「覚えてるぞ。春高予選の準決勝で苦しめられたからな〜。名前は知らないけど……」 「京谷っつーんだ。俺らの一個下。で、こっちは俺の同期の澤村だ。仲良くしろよ」 京谷は澤村のことを検分するように見つめたあと、「ちわ」と頭を下げた。 後輩を練習に連れて来るという話は、澤村はもちろんのことチームのキャプテンにも事前に知らせてある。やはり二人とも大歓迎だと言ってくれた。 「よろしくな。バレーはどれくらいぶり?」 「高校卒業してから全然やってないんで、六年ぶりくらいっす」 「マジかー。じゃあ感覚取り戻すのに少し時間かかるかもな。まあうちはそんなビシバシやってるとこじゃないから、焦らなくていいよ」 「……うっす」 澤村と会話を交わす京谷に愛想がないなと思いながらも、ちゃんと受け答えはしていることに内心でホッとする。昔の京谷は、自分が認めていない相手のことはとことん無視をしていた。未だにそんな部分が残っていたらどうしようと、ここに来るまで少し不安だったのだ。 三人でネットの準備をしていると、続々と他のメンバーたちがフロアに入ってくる。すぐに京谷のことを訊いてきた者には軽く紹介しておいたが、今日の参加メンバー全員がそろったところで改めて、自分の後輩であることや彼のプレイスタイルなんかを皆に話した。 「そういえば京谷とパスするなんて初めてだな」 ウォーミングアップ後、岩泉、京谷、澤村の三人でパス練習をしながら、ふとそのことに気づいて岩泉は話題に出す。 「そもそも一緒に練習した記憶があんまねえんだけど」 「まあ、あんま練習に出てなかったっすから。オレ練習嫌いだったし」 「練習しなくてもあんだけ活躍できるなんてすごいな」 澤村が感心したようにそう言った。 「準決勝のとき、京谷くんマジですごかったよ。今でも鮮明に覚えてる」 「まあこいつは本能で適応するタイプだからな。運動神経もいいし、ぶっつけ本番でも上手くできちまうんだよ」 「そうなんだ。なんかそういうの羨ましいな。二人と違って、俺は突出したところがないから。地味で目立たないんだよな〜」 「何言ってんだよ。大地はカットがめちゃくちゃ上手いじゃねえか。それにスパイクだってブロックよく見て決めてるし、そういうのがチームに一人いるとすげえ助かるんだぜ」 そうかな、と澤村は照れたようにはにかんだ。 「俺は一みたいに、パワーでブロック突破できるほうがすごいと思うけどな」 「でもあれは限界があるからな〜。軸がしっかりしてるやつにブロック付かれたら、どシャット喰らう」 高校時代はパワーだけでもどうにかなったが、大学時代はそう簡単にはいかなかった。体格の差は顕著に表れ始め、ブロックに捕まる場面も目に見えて多くなった。それをどうにかしようと技術面にも重きを置いてみたけれど、自分の成長を感じる半面で限界も薄っすらと意識させられた。 今はこうして遊び半分でやるくらいがちょうどいい。背負うものが何もない分、逆に伸び伸びとプレイできている気さえする。果たしてそんな今の岩泉を京谷がどう感じるかはまだ不安だが、考えても仕方ないことだと思い直して、自分のところに飛んでくるボールに集中することにした。 「ナイスキー一!」 「おう!」 ゲーム一セット目の序盤、二段トスを上げてくれた澤村とハイタッチを交わし、岩泉はサーブに下がる。 今日はいつになくスパイクが絶好調だった。ミートがしっかりしているし、打ち分けも思い通りにできている。京谷の前で不調な日の無様な姿を見せずに済んでよかったと、ボールを受け取りながら内心で安堵していた。 一ゲーム目は、キャプテンの計らいで京谷は岩泉と同じチームになった。ポジションはレフト、岩泉の対格だ。今岩泉が後衛に下がったことによって、今度は京谷が前衛に付く。彼の本領が発揮されるのはこれからだ。スパイク練習のときも久しぶりの割にはバシッと打っていたし、きっとおもしろいことになるだろう。 岩泉のサーブ。スパイクと同様にこちらもいい感じの球が放たれた。エースをとることはできなかったが、それでも相手のカットを乱すことには成功し、チャンスボールがこちらに返ってくる。 一本目は岩泉が触れた。ばっちりとセッターの頭上へ返り、そしてセッターからレフトに低めのトスが上がる。京谷の助走のタイミングは完璧だった。勢いよくジャンプし、綺麗に身体を反らせた態勢から相手コートのクロスインナーに強烈なスパイクを叩き込んだ。 「京谷ナイスキー!」 昔と変わらない、切れのあるスパイクだ。フォームも手本にしたくなるほど綺麗だった。 一、二ゲーム目はそのままの勢いで岩泉たちのチームが制し、そこで休憩が入った。タオルで汗を拭き、持って来たスポーツドリンクで喉の渇きを潤す。 「相変わらずすげえインナースパイクだな」 澤村が京谷に声をかけていた。澤村は面倒見がよく、チームに新人が入るといつも誰よりも積極的に話しかけている。京谷もそんな澤村に懐いているようだったが―― 「別に……」 さっきまで普通に話していたのが嘘のように、京谷は不機嫌な表情でそう呟くと、澤村から離れていく。そのままフロアからも出ていってしまった。 「あんまり話しかけるから、嫌われちゃったかな……」 澤村が、京谷がいなくなったほうを見ながら苦笑を零した。 「照れたって感じでもなかったし、なんか気に障ったんだろうか?」 「そういうわけじゃねえと思うけど……。ちょっと様子見て来るわ」 「ああ、頼む」 世話のかかるやつだ。何か彼が不機嫌になるようなことなどあっただろうかと岩泉はさっきの会話やゲームのことを思い返しながら、京谷の後を追った。 |