なんとなくムカつく。それが、京谷賢太郎が一つ上の先輩、岩泉一に対して最初に抱いた印象だった。

 勝気な目、強気な口調、バレーボールのプレイスタイル――そのどれもがどことなく自分と被っている気がして嫌だった。おまけに体格も似たり寄ったりだ。好敵手として岩泉を意識するには、十分な要素がそろっていた。
 京谷は自分の一歩先を行く岩泉を抜きたくて、入部して最初のうちは必死に練習していた。けれどどれだけ練習を重ねても、自分の成長を感じ取ることができても、あの背中に追いつくことはできなかった。自分が伸びた分か、あるいはそれ以上に岩泉も伸びる。まるで自分の影と追いかけっこしているみたいだった。
 そのうち京谷はバレーボールで岩泉を抜くことを諦め、他の部員たちと相性が悪いのもあって、バレー部の練習に参加することをやめた。代わりに他のスポーツ――たとえば野球や長距離走、果ては腕相撲なんかで岩泉に勝負を挑んだが、どれも簡単にねじ伏せられてしまった。
 しかし懲りずに今日もまた勝負を挑む。今日はバスケットボールのフリースローで勝負だ。五本シュートを打って、決まった本数が多いほうが勝ち。単純なゲームだがどちらもいつも真剣だ。

「お前も好きだな〜」

 呆れたような口調で岩泉が言った。

「たまには他のやつと勝負すりゃいいだろ。なんだって俺に拘るんだ?」
「あんたがムカつくから」

 間髪入れず、京谷ははっきりとそう答える。

「俺、お前にムカつかれるようなことしたっけ? あんま話したこともねえと思うんだけど……。最近部活来てねえし」
「そんなのどうだっていいだろ。それより負けたときの言い訳でも考えとけよ」
「いつも負けてるのお前じゃねえか。よくもそんなことが言えるな」
「ぐぎぎ……」

 やっぱりムカつく。今度こそ絶対泣かしてやると心に固く誓いながら、用意していたバスケットボールをドリブルする。

「なあ、今日は勝ったほうが負けたほうの命令を一個聞くってルールにしねえか?」

 そう提言したのは岩泉のほうだ。余程勝つ自信があっての台詞なのだろうと、ますます京谷の腹は煮えてくる。けれど逆に勝ちさえすれば、自分はこいつになんだって命令できるのだ。それはいいかもしれない。

「いいぜ」

 裸踊りでもさせようか、あるいは犬の真似でもさせようかと、勝ったときのことを頭の中でシミュレーションしながら、京谷は了承の返事を返した。
 先攻は京谷だ。ラインに立って、呼吸を整えたあとにシュートを放つ。放たれたボールは綺麗な放物線を描きながら、リングに吸い込まれるようにして落下。とりあえず一本決められたことに内心でホッとした。

「へえ。やるじゃねえか」

 岩泉が京谷を褒める。その声にはまだかなり余裕があった。そしてその余裕が嘘でないことを証明するように、岩泉も一本目のシュートを決める。二本目も二人ともゴールネットを揺らすことに成功した。
 三本目――先攻の京谷はシュートを決めたが、後攻の岩泉はこの日初めてシュートを外した。内心でガッツポーズをとる。しかし喜んだのも束の間のこと、四本目は逆に京谷がシュートを外して、岩泉が成功させた。

「おもしろいことになってきたな」

 そう言った岩泉の声は、さっきと同じ余裕に満ちている。三本目を外したときも焦ったような様子はなかった。やっぱり気に食わない。
 最後の一球。ここでミスってしまえば、京谷は一気に不利な状況に立たされる。もちろん後攻の岩泉が外せば延長戦となって再びチャンスが巡って来るが、なんとなくこいつは外さない気がした。
 シュートを放つ態勢になる。成功したときの力加減を思い出しながら、柔らかく腕を振った。いい感じだ。このままリングの真ん中に……落ちるかと思いきや、わずかにリングの端に接触して、ボールは弾んで明後日のほうへと逃げてしまう。
 転がったボールを岩泉が拾った。ドリブルしながらラインまで向かう彼の顔には、京谷を嘲笑ったり、勝利の一歩手前まで来ていることの喜びを表したりするような表情は浮かんでいない。おそろしく真剣な顔がそこにはあった。
 外せ、とは願わなかった。願っても無駄だとわかったからだ。こいつは絶対にこのシュートを外さない。そんな確信が京谷の中にあった。
 そして京谷の予感したとおり、岩泉の放ったシュートは見事に決まった。一つ息をついたあとに、岩泉がこちらを振り返る。そのときには得意げな顔をしていた。

「俺の勝ちだ。約束は守ってもらうぜ」

 また負けた。悔しいけれど負けは負けだ。岩泉の命令を一つ聞かなければならない。

「さっさと命令しろよ。裸踊りでもなんでもしてやる」
「放課後ちょっと俺に付き合えよ。それだけでいい。お前どうせ暇だろ?」
「暇じゃねえ……けど、命令だから聞く。あんたは部活出ねえのか? まさか部活に出ろって言うつもりか?」
「今テスト週間だろうが。部活はねえよ。ちょっと寄り道するだけだ」

 どこに連れて行かれるのだろう。まったく見当がつかない。
 下駄箱で待っとけよ、と岩泉は手を振って校舎に戻って行く。京谷も使ったバスケットボールを倉庫に戻してから、自分の教室に帰ることにした。



 幸せの欠片-True End-





T.

 放課後になった。生徒で混雑する下駄箱を抜けると、出入り口の隅のほうに岩泉の姿を見つけた。出てきた京谷に気づいて手を上げる。

「お疲れさん。さっそく行くか」

 並んで歩くのはなんとなく嫌だったから、京谷は岩泉の三歩ほど後ろをついていくことにした。岩泉は前を歩きながら時々話しかけてくる。返事はちゃんと返した。勝負事において勝者は絶対であり、称えるべき存在だ。だから京谷も岩泉を無下に扱ったりしない。
 京谷がいつも使っている通学路を岩泉は歩いていく。もうすぐ右手にコンビニが現れる。行きつけのコンビニだ。ここ最近は三日に一回くらいそこでチキンを買っては、それを食べながら帰っている。今日は岩泉に付き合わなければならないから、食べられない。
 そう思っていると、前を歩く岩泉がコンビニのほうに進行方向を変えた。どうやらここに立ち寄るようだ。

「ちょっと待ってろ。すぐ済むから」

 そう言って岩泉一人でコンビニに入っていく。すぐ済むの言葉どおり、彼は一分ほどで店から出てきた。手に袋を下げているが、中身は見えない。
 そうして再び歩き出す。今度は近くの公園に入った。奥の東屋に着くと、座れよと促される。

「これ食えよ。ハミチキ」

 馴染みのある匂いが鼻孔をくすぐった。岩泉が差し出したのは、京谷がいつもあのコンビニで買っているチキンだった。

「お前が食ってるの何回か見たことあるからさ。好きなのかと思ったけど、もしかして違ったか?」
「いや、合ってっけど……。金払う」
「いらねえよ。俺の奢りだ。健闘を称えるってやつ? お前結構骨があるからな。ほら、飲み物もあんぞ」
「……あざっす」

 受け取ったチキンに、京谷はさっそくかぶりついた。柔らかい肉の感触と、適度にコショウの効いたさっぱりとした味が堪らない。少ない小遣いの中では三日に一個しか買えないが、赦されるなら何十個も食べたいくらいだ。

「へえ。結構美味いんだな、これ」

 岩泉も同じものを食べていた。

「あんま油っぽくねえし、ちょっと気に入ったかもしんねえ」

 自分の好きなものを褒められるのは悪い気がしなかった。案外いいやつなのかもしれない。チキンを頬張る岩泉の横顔を眺めながら、京谷は漠然とそう思う。
 改めて見ると、岩泉は結構な男前だ。よく女子たちが騒ぎ立てている男性アイドルとは違う、男らしく端正な顔立ち。全体的に硬派な雰囲気をまとっており、京谷としてはアイドルなんかよりもこちらのほうがまだ魅力を理解できる気がした。

「なんだよ、人の顔じっと見て」

 ふと顔を上げた岩泉と視線が交わった。その瞬間、京谷の胸の奥にしまい込まれていた何かが、蓋を弾き飛ばして溢れ出た。胸が焼けつくような、激しい情動。体験したことのない感覚に自分で戸惑いながら、慌てて視線を逸らした。

「別に、なんも……」
「ホントか? なんかこええ顔してたぞ。ところでよ、お前俺の何にムカついてるんだよ? さっき言ったよな? 俺がムカつくから勝負仕掛けてるんだって」
「……そんなんじゃねえ。あんた……岩泉さんくらいしか相手になるやつがいねえから……っすよ」

 半分は本音。もう半分はフリースローの勝負をしたときに言ったとおり、岩泉のことがムカつくからだ。けれどそう言うと岩泉が不快に思う気がして、咄嗟に否定していた。

「確かに校内じゃ競う相手あんまいねえよな。お前すげえ運動神経いいし」

 まあ俺のほうがいいけどな、と岩泉は意地悪そうな笑みを浮かべる。こんな顔、いつもなら腹が立って睨んでやるところなのに、今はなぜだかそうする気にならなかった。むしろ見惚れそうになる自分に気づいて、京谷は誤魔化すようにもらったサイダーを呷った。

「お前さ、もう部活来ねえの?」

 岩泉が真面目な顔をして訊いてくる。

「上手いのに、もったいねえよ。頑張りゃレギュラーにだってなれんだろ」
「……三年と及川がいなくなったら出てもいいっすけど」
「及川がいなくなったらって……それじゃ俺も引退しちまってるだろうが。俺さ、お前のバレー結構好きだよ。なんかこう、ガッて来てスパンって感じがしてさ。久々に見たくなっちまったな。だから来いよ」
「……考えときます」

 京谷だって、岩泉のパワフルで豪快なバレーが実は好きだ。それが自分のプレイと被っている気がしてなんとなく嫌だったけれど、今は無性に見たい気がした。同じチームの一員としてコートに立ってみたいとも思う。ハイタッチをするのなんて嫌だったが、自分が点を獲ったとき、この人とだったらそれもしてみたい気がした。
 だけど三年連中は嫌いだ。絶望的なまでに相性が悪い。それに岩泉と同じ二年生の及川も、何かと絡んできて苦手だった。岩泉と一緒にバレーしたいという気持ちは大いにあるのだが、それらの障害は京谷にとってなかなかに厄介なものだった。

「マジで待ってるからな。絶対戻って来いよ」

 頭に何か触れたと思ったら、それは岩泉の手だった。初めて彼に触れられた感触に思わずドキリとなりながら、優しく撫でられるのを素直に受け入れた。
 岩泉がこちらを見ながら笑う。いつもと違う、優しげな笑顔だった。こんな顔もするんだとつい見惚れていると、治まりかけていた胸の高鳴りが再びぶり返してくる。
 この人のことを独り占めしたいと思った。この笑顔を自分だけのものにしたいと思った。けれどどうして自分がそういうふうに思うのか、京谷にはよくわからなかった。











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