Ending


 目の前に聳え立つそれは、教会というよりもむしろ巨大な城のようだった。さっき遠くから見たときもその存在感に驚かされたが、近くで見ると更に圧倒される。外装部は多彩な彫刻に彩られ、その壮大なスケールは本当に人の手で生み出されたものなのだろうかと疑いたくなるほどだ。塔の高さも想像していたよりずっと高い。もちろん日本にもこの高さを超える建造物はいくつも存在するが、それらには感じなかった、威厳のようなものがそこにはあった。

「すげえな……」

 サグラダ・ファミリア――スペインを代表するモニュメントの一つを前に、岩泉は感嘆の声を上げた。

「やばいっすね、これ……」

 そして隣に並ぶ京谷も、岩泉に同調するようにそう零す。
 岩泉と京谷が奇跡のような再会を果たしてから、二年半の月日が経とうとしていた。
 いろんなことがあった二年半だった。その中でも二人にとって大きかったのは、京谷の持病に関わる手術だ。一度は二人を引き裂いた病気を今度はちゃんと治そうと、再会した次の日にさっそく病院へと赴いた。長く続けなければならない投薬治療と、一度で済むが高額な手術、医者から提案されたのはその二つだった。相談の結果二人は手術のほうを選び、無事に成功して京谷はもう健康体だ。命の危機に怯えることはない。
 それから広いアパートに引っ越したり、京谷が無事に就職先を見つけたり、それ以外にも数え切れない出来事を通して今に至る。二人で何度も眺めたスペイン旅行のパンフレット。その表紙を飾っていたサグラダ・ファミリアを、ようやく生で見ることが叶った。

「マジでここまで来たんっすね。なんか夢見てるみたいだ……」
「夢じゃねえよ。俺もお前もちゃんとここにいる。二人でサグラダ・ファミリアの前に立ってんだよ」

 サグラダ・ファミリアは、二人の約束の象徴でもあった。いつか二人でここに行く。その約束は一度粉々に砕け散って、けれどあの奇跡を通して今ようやく果たすことができた。
 タイムリープ。人に言えば馬鹿げた話だと笑われそうだが、二人は確かに死別する現実を体験し、そしてそこから過去に戻った。互いがちゃんとそのときの記憶を持っている以上、本当に体験したことで間違いないのだろう。
 京谷を失って泣き続けた日々は、もうずいぶんと昔の話だ。自分の中でなかったことにはならないけれど、あれがあったからこそ二人の絆はより強固なものになった。そんな気がした。

「そうだ。ここに着いたらお前に渡そうと思ってたもんがあったんだよ」

 自分にはまだ一つ、大事な使命がある。それを思い出して岩泉はリュックの中を探った。紙袋の感触。それを引っ張り出し、京谷に見えないように彼に背中を向けて、中の物を取り出した。

「賢太郎、左手出してみろ」

 なんっすか、と訊きながらも、京谷は素直に左手を差し出した。その手を取り、薬指に例の物を嵌める。太陽の光を受けて、銀色のそれはきらりと光った。

「これ……」
「気持ち的には、結婚指輪みたいなもんだよ。結婚はできねえけど、そういうのは欲しかった。俺のセンスで選んだもんだから気に入らねえかもしんねえけど、受け取ってくれ」

 自分の心も、身体も、人生も、すべてを京谷に捧げる。岩泉の中ではとっくの昔にそんな覚悟ができていた。辛い思いも、寂しい思いもさせない。一生かけて彼を守り抜くと決めていた。

「絶対にお前を幸せにするよ。だからこれからも俺のそばにいてくれ」
「何言ってるんっすか。オレはもう十分すぎるほど幸せだし、一さんのそばを離れるなんて考えられないっすよ」

 笑いながらも、京谷はその目に涙を滲ませる。岩泉は咄嗟に彼を抱きしめた。

「泣くなよ」
「だって、こんなん嬉しすぎて駄目っすよ。マジでありがとうございます」
「こっちこそ、そばにいてくれてありがとうだよ。生きててくれてありがとう。これからも元気でいてくれよ」
「一さんこそ、ずっと元気でいてください。そんでこれからも美味い飯作ってください」
「大事なのそこかよ!」

 顔を見合わせ、二人で笑い合う。一度は失った未来の断片。けれど取り戻すことのできた、幸せな欠片の一つだ。
 京谷の涙が落ち着いてから、二人はサグラダ・ファミリアの内部を観に行くことにした。

「あ、俺ちょっと便所行ってくるわ。一緒に行くか?」
「オレは待ってるっすよ」
「わかった」

 岩泉は京谷をあまり待たせたくなくて、急ぎ足で土産物屋のトイレに向かう。しかし、建物に入る直前になってその足を止めなければならなかった。なぜなら入り口の近くに、見覚えのある顔を見つけたからだ。

「大地……?」

 仕事の同僚の澤村が、そこからサグラダ・ファミリアをじっと眺めている。おかしい。澤村がこんなところにいるはずがない。今は日本にいるはずだ。
 澤村が岩泉に気がついて、こちらに顔を向ける。目が合うと、シニカルな笑みを浮かべた。見たことのある笑顔だ。澤村ではない、別の誰かの特徴の一つ。

「お前、あんときの……」
「久しぶりだね」

 岩泉と京谷に奇跡をもたらした存在が、目の前にいた。

「元気そうで何よりだよ」
「おかげさまでな。全部お前のおかげだよ。すげえ感謝してる」
「違うよ。京谷賢太郎が自分で試練を乗り越えたから、二人はまた出逢うことができたんだ」
「でも俺ごと時間を巻き戻してくれたのはお前だろ? そういえばあれの罰は大丈夫だったのか?」
「ああ、うん。罰は思ってたより大したことなかったよ。君が心配するようなことは何もなかった。――おっと、今日はあんまり時間がないんだった。一つだけ君に訊きたいことがあるんだ」
「なんだよ?」

 澤村――神や天使と呼ばれる存在に等しい彼は、シニカルな笑みを優しいそれに変え、言葉を投げかけてくる。

「君は今幸せかい?」
「ああ」

 岩泉は何の迷いもなく頷いた。
 酔いつぶれた京谷をアパートに連れ帰った日。
 初めて彼を抱いた日。そのときに可愛くて仕方ないと思ったこと。
 彼が黒焦げの焼きそばを作った日。
 久しぶりに一緒にバレーをした日。
 仕事から帰ると彼が部屋の中で倒れていた日。
 日帰りの温泉旅行に行って、帰りに夕日に染まった海を眺めた日。その日互いの想いを打ち明け、恋人として結ばれたこと。
 そして――一度彼を失った日。
 本当に、いろんなことがあった。楽しいこともあれば、とても辛いこともあった。その中で岩泉は大事な人を失う悲しみも、抱きしめ合う愛しさも知った。そして今は――

「幸せだよ。どうしようもねえくらい、幸せだ」



幸せの欠片-True End-








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