02. 未来がなくても


 自分の部屋に帰った大地は、荷物を放ってベッドに横たわった。
 目を閉じると、今日プールの浴場で見た中島の裸体が容易に思い起こされる。程よく筋肉の付いたしなやかな身体。薄い陰毛の下の性器。背中は広くはないが筋が浮き上がっていて逞しく、尻は煽情的な丸みを帯びていた。
 その尻を揉みしだき、性器を掴み、全身に舌を這わせたら中島はあの可愛い声で喘いでくれるだろうか? きっとそうに違いない。
 大地は下着ごとジーンズをずり下げ、露わになった己の性器――中島のエロい姿を想像しただけで勃起したそれを握り締めた。

(猛っ……)

 まだ一度も呼んでいない彼の下の名前を心の中で呼びながら、溢れ出した情欲に任せて懸命に性器を扱く。しばらくすると先端から透明な蜜が零れ出し、亀頭を濡らして湿った音を立てた。
 どうせなら中島の手で扱かれたい。そして自分は彼の性器を扱き、最後は一緒にイくのだ。

(そんなこと、できっこないけど……)

 実現できないなら、せめて妄想の中ではいやらしく彼と交わりたい。妄想するのはタダだし誰にも迷惑をかけない。

「猛っ……あっ」

 妄想の中の中島が射精したのと同時に、大地も絶頂を迎えて硬く張り詰めたモノから白濁が飛び散った。噴水のようだったそれが徐々に収まっていくのを確認すると、ティッシュで自分の吐き出したものを拭う。
 射精後独特の罪悪感のようなものはなかった。不思議なほどに満たされた気持ちが半分と、どこか切ないような気持ちが半分だ。それを溜息で吹き飛ばすと、大地は下着とジーンズを穿き直して洗面所に向かうのだった。



「祭り? 行く行く!」

 大地の誘いに、中島は意外なほどあっさりと乗ってきてくれた。そのことにホッと胸を撫で下ろしながら、いつもの醤油ラーメンを一口啜る。

「けどこんな時期に祭りなんて珍しいな。毎年やってんの?」
「そうだよ。特別なイベントとかはやってないんだけど、出店の数がすごいんだ」
「へえ! 俺、出店好きだから楽しみだな〜」

 毎年行われるその祭りには、いつもならバレー部の同級生たちと行っている。けれど今年は思い切って中島を誘ってみた。温水プールで再会してから二週間、会うのはまだ四回目と短い付き合いだが、どうしても中島と行きたかったのだ。

(たぶん、一緒に行けるのも最初で最後だしな……)

 来月の末には、彼は愛知に引っ越してしまう。デートをするチャンスも限られていて、その少ないチャンスをものにしないわけにはいかなかった。もちろんそこに見返りはない。いや、彼と一緒にいられることは大地にとって幸せなことだけれど、その先は何もなかった。
相手が同性である以上、自分が恋愛対象として意識してもらえることなんてないだろうし、彼がたまたまゲイだなんてこともないだろう。それを思うと切ない気持ちにさせられる。ならばせめて一緒にいられる時間を存分に楽しもう。彼が愛知に行ってしまうまでにたくさん思い出をつくっておこう。そう決めていた。

「祭りは来週の日曜だけど、大丈夫?」
「おう、ちゃんと空けとくぜ。日曜ってことは次の日はプールか〜。なあ、もし迷惑じゃなかったら澤村んちに泊まらせてくれね? 交通費と移動時間がもったいないからさ」
「あ、うん、もちろんオッケーだよ。親も駄目とは言わないと思うから」
「やった!」

 嬉しそうに笑う中島を見ながら、むしろ嬉しいのはこっちだよ、と大地は心の中で呟いた。中島が言い出さなければ大地のほうから泊まらないかと誘うつもりだった。それに自分から言い出す程度には彼が大地に心を許してくれているのかと思うと、好意を寄せている身としてはやはり嬉しい。
 その後は他愛もない世間話をしているうちにバスの時間になって、いつものように大地は中島の乗ったバスが見えなくなるまで見送った。
 この瞬間、いつも切なさと寂しさに襲われる。そばにあった温もりがふっとなくなってしまうような、あるいは孤島に一人取り残されたような虚無感が大地を取り巻いた。
 本当に、心の底から恋をしているんだなと大地は思う。今までだって何度も恋をしてきたけれど、そんな過去の恋よりもずっと深くて大きな気持ちが自分の中にある。叶うはずのない恋なのに、どうしてこんなにも好きになってしまったんだろう……今更遅い疑問を自分の心にぶつけながら、けれどもう簡単には気持ちを変えられないところまできているのだと気づいているから、ただ溜息を零すことしかできなかった。



「なあ澤村」
「ん?」
「澤村って痩せるためにプールに通ってるんだよな?」
「そうだな」
「痩せたいやつがそんなに食っちゃ駄目だろ」
「うっ……く、食った分運動するから大丈夫」
「それ痩せないやつの典型的な言い訳だよな。ま、俺は一緒に食いたいからいいけどさ」

 楽しみに待っていた祭り当日。大地は約束どおり中島と二人で会場を訪れていた。
 祭りと言っても何か特別なパフォーマンスやステージがあるわけじゃない。だからもっぱら出店廻りがメインになっていて、すでにからあげ、フライドポテト、イカ焼き、焼きそば、たこ焼きを制覇している。
 小さな祭りだが人は多く、さっきから何度も同級生や近所の子どもに出くわしている。きっとバレー部の元チームメイトたちにも出会うんだろうなと思っていたら、案の定、路地から広場に出たところで菅原と東峰に遭遇した。

「お、大地じゃん」

 菅原が先に気づいて声をかけてくる。

「それと……あ、和久南のエースだった人だべ」
「中島だよ。こっちはうちのセッターだった菅原と、エースだった東峰」
「どうも。エースのほうはよく覚えてるぜ。強面だったからな」
「俺ってやっぱりそういう認識なんだね……」

 東峰はその強面をしゅんとさせる。

「まあまあ旭、覚えられてるだけいいじゃんよ。俺なんか……あれ? 俺ってそもそも和久南戦は出たんだっけ? 出てないんだっけ? 中島くんのことはすげえ覚えてんだけど、自分のことは思い出せない……」
「俺もさすがにそっちの顔ぶれはあんまり覚えてないな〜。なんかちっさいミドルがちょこちょこしてたのは覚えてんだけど、顔までははっきり思い出せねえ。澤村の顔はなんか覚えてたんだけどな」
「一番地味な大地をよく覚えてたね」
「地味とか言うなよ! 失礼だなー」
「ごめん、ごめん。いや、ってかなんで二人が一緒にいるんだよ? どういう繋がり?」
「実は今同じプールに通ってんだよ。それで仲良くなったんだ」
「へえ、そういうことってあるんだな。俺、大地が今年は祭り一緒に行かないって言い出したから、てっきり彼女でもできたのかと思ってた」
「残念ながらそんな浮ついた話はありません」

 彼女じゃないけど、好きな人とは祭りを廻っている。大地にしてみれば今日は中島とデートをしているようなものだ。もちろんそう思っているのは大地だけだとは思うが。

「そういえば、あっちのほうで久々にお化け屋敷やってたべ。俺ら二人で入ったんだけど、結構本格的だった」
「そうなのか。じゃあ俺たちも行ってみる?」

 中島に問いかけると、彼は期待に目を輝かせるような表情で「行く」と答えた。
 菅原たちとはそこで別れて、二人は件のお化け屋敷に向かう。お化け屋敷は広場の奥にある建物の一つを利用していて、入り口の前には何組かの客が並んでいるようだった。

「なあ、さっきの烏野のやつらと一緒に廻らなくてよかったのか?」
「うん。あいつらとはいつでも会えるし、逆に中島は今日が最初で最後になっちゃうかもだろ? それなら俺は中島と二人で廻りたいよ」
「なんか口説かれてるみたいだな、それ」
「べ、別にそんなんじゃないよ」
「でも正直ありがたいよ。知らないやつの中にぽつんって入んのは気遣うしな。澤村と二人のほうが楽しい」

 それは大地が特別だと言われたような気がして、無性に嬉しくなる。思わず抱きしめたくなるような衝動はなんとか抑えられたが、顔がにやけてしまうのは我慢できてなかったかもしれない。
 お化け屋敷の列に並ぶと三分ほどで大地たちの番になり、暗幕をくぐって建物中に入った。中は思っていた以上に真っ暗で、入り口で受け取った蝋燭風のライトの淡い明かりを頼りに進んでいく。

「あのさ、入ってから言うのもなんなんだけど、俺こういうの結構怖いんだ」

 明かりで中島の顔を照らすと、彼は恥じらうようにはにかんだ。

「そうだったのか? 誘ったとき結構楽しみにしてるように見えたけど」
「怖いもの見たさっつーのかな。怖いけど楽しいって感じ。だから入りたかったってのも嘘じゃない」
「なんだったら手繋ごうか?」

 大地としては軽い冗談のつもりだったが、予想外にも中島は「うん」と遠慮がちだが頷いた。

「暗いから周りからは見えないだろうし、澤村が嫌じゃなかったら頼む」
「俺は全然いいけど……」

 むしろ大歓迎ですが。心の中では彼と手を繋げることに乱舞しながら、表面では冷静を装いつつ大地のほうから中島の手を握った。

「手、冷たくなってるな」
「澤村の手は温かいな。安心するよ。ごめんな、きもいこと言って」
「きもいなんて思ってないって。実は俺もちょっと怖かったから、今手繋いでちょっと安心してる」
「え、そうなのか? 意外だな〜」

 本当は中島に気を遣わせないための嘘だったが、彼はあっさりと信じたようだった。
 大地は幅の狭いコースをゆっくりとした足取りで進む。中島と長く手を繋いでいたいから、できるだけ時間をかけてゴールしようという腹だ。しかしそんな画策をせずとも中島の足取りは恐る恐るといった感じで、普通に歩くときのスピードの半分にも満たないそれで二人は進んでいた。

「うわあっ!」

 角を曲がったところで白装束の脅かし役が現れて、中島が跳び上がりながら驚いた声を上げた。それから大地の腕にしがみつくようにして掴まり、白装束の前を足早に通り過ぎる。

「ご、ごめん澤村、やっぱこええ。こうしててもいい?」
「う、うん」

 くっついた部分がなんだか焼けるように熱い。けれどそれは少しも苦痛じゃなく、むしろ嬉しい感触だ。

(これじゃ本当に恋人みたいだな……)

 こういうことをされると、何かを期待したくなってしまう。中島の中にも大地と同じ気持ちがあるんじゃないかと信じてしまいたくなる。でもこれは違う。彼はただ怖がっているだけだ。そう自分に言い聞かせ、期待が膨らんでしまうことにセーブをかけた。
 それから先も中島はずっと大地にしがみついていた。脅かし役が出てきたり、何かの仕掛けが作動したりするたびに大袈裟なほどに驚いて、しがみつく腕の力を強くする。そしてそのたびに大地はドキドキと胸を高鳴らせた。
 もういっそこのままお化け屋敷の中を彷徨っていたい。そんな大地の願いも虚しく、血文字で派手に書かれた「出口」の文字が見えてきてしまう。中島もそこで大地から離れてしまい、そこにあった温もりはすぐに寒さと寂しさに変わってしまった。

「あー、すげえ怖かった!」

 明るい外に出ると、さっきまで縮こまっていたのが嘘みたいに中島はいつもの元気を取り戻していた。

「澤村は全然怖そうじゃなかったな」
「誰かさんが二人分くらい怖がってくれてたから、途中からあんまり怖くなくなっちゃったよ。あの怖がりようだと脅かすほうも脅かしがいがあったろうな」
「マジですげえ怖かったもん。でも楽しかった」
「そりゃあよかったよ」

 大地も少しだけ恋人気分を味わえてよかったと、ひっそりと思っている。繋いだ手の感触としがみついてきたときの熱を思い出しながら、これを忘れてなるものかと強く記憶に刻み込んだ。







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