前編


「――ねえねえ。エイトって〜、エロ本見ながらオナニーしたりするの〜?」

 ジャックが無言で佇む彼にそう訊ねたのは、興味本位以外の何物でもない。
 エイトとはクラスメイトで長い付き合いだというのに、下世話な会話を交わしたことがなかった。それは単純に彼の真面目で寡黙な雰囲気が、そういった類の話題投下をさせにくくしているからである。
 しかし、同じクラスの男子全員にその質問をしておきながら、エイトだけ訊かずにそっとしておくというのはなんだかおもしろくない。それに真面目な彼がいったいどんなオナニーをしているのか心の底から気になる。

 ちなみに、ナインとキングは恥じる様子もなく、むしろ快く答えてくれた。
 マキナは言いにくそうにしながらもちゃんと答えてくれた。
 トレイは、最初は「なんってことを訊くのですか、あなたは!」と言いながらも、それからオカズや好みの女性について延々と語られて、面倒だった。
 エースはエイトと同じく真面目な人柄で少しばかり訊きづらかったが、特に嫌悪されるようなこともなく、「秘密だ」の一言を返してくれた。
 恐る恐るクラサメ隊長にも訊いてみた。――無言で生活態度の評価を下げられた。

 果たしてエイトの反応はどうだろう? 問いかけてからすでに二十秒くらい経過している気がするが、言葉は一向に返って来ない。変なことを訊かれて怒っただろうか? それとも変な奴だと蔑まれただろうか?

(あちゃ〜。これはもしかして、やっちゃったかな〜?)

 だが、恐る恐る見上げた先の彼は、そのどちらのリアクションもとっていなかった。
 男らしく精悍な顔立ちは、熱でもあるのかというくらい赤くなっていた。炎の色をした瞳はどこを見ていいかわからないと言いたげに視線を彷徨わせている。

「……っ!」

 彷徨っているのは視線だけでなく、言葉の選択も同じような状態らしい。先程から何か言いかけては、上ずった声を出すに留まっている。

(ああ〜。それは可愛すぎだよ〜、エイトくん)

 ジャックはなかなか言葉を返してくれない様子に特に苛立つこともなく、むしろ微笑ましいなと思いながらエイトを眺めていた。

「……持ってない」

 やがてぼそりと呟くように吐き出された声は、普段の彼とは対照的に弱々しかった。

「いやらしい本なんて、持ってない!」
「あ、エイト〜!」

 ジャックよりも十センチ以上低い位置にある赤らんだ顔を伏せて、エイトは走り去っていった。ジャックは慌てて追うとするも、0組どころか院内で一番足の速い彼に追いつけるわけもなく、小さくなっていく背中を眺めることしかできなかった。
 やはり真面目な彼と下世話な話をするのは無理があったらしい。普段そういう話を他人としないものだから、よほど恥ずかしかったのだろう。しかしジャックは話を振ったことを後悔などまったくしていない。

(エイトってば〜、超可愛いんだから)



 身長百六十五センチと、0組の男子の中では一番小柄なエイトだが、その中身は誰よりも勇ましく、芯の強い人間である。状況を素早く判断できる冷静さを持ち合わせており、実施演習などが行われるときはグループのリーダーに指名されることが多い。そういう優等生なところがある半面で、実はかなりの負けず嫌いだということをジャックはよく知っている。
 そんなふうにいろんな彼を見てきたにもかかわらず、いままで彼をクラスメイトという枠組み以外で意識したことなどなかった。しかし先程恥ずかしそうに赤らんだ彼の顔を見た瞬間、ジャックの中には確かにいままでと違った感情と、彼に対する膨大な興味が湧いた。

 消灯時間が迫った候補生寮の廊下に人気はない。おそらくほとんどの生徒が就寝の準備をしているか、すでに眠りの世界に堕ちていることだろう。しかしジャックの見据える扉の向こうに部屋の主はいない。この時間はまだトレーニングに出ているということは調査済みだ。

(ホント、頑張り屋さんなんだから〜、エイトは)

 そろそろ廊下の照明が非常照明に切り替わろうかという頃、向こうのほうから遠慮がちな足音が聞こえてきた。たぶんエイトだ。ジャックは物音を立てぬよう柱の陰にさっと身を隠す。
 まず目に付いたのは、少し赤みがかった短い茶髪だ。その下の顔は男らしく精悍で、瞳の色は燃え盛る炎のように赤い。身体は一見華奢なように見えるが、あれだけトレーニングを積んでいるのだからきっと脱いだらすごいに違いない――とジャックは勝手に思っている。
 茶髪の男子候補生――エイトが自室のドアに手をかけた瞬間、ジャックは全速力ですでに閉まりかけのドアに滑り込む。その見事な身のこなしは、クラサメ隊長が目撃していれば感涙に咽んだに違いない。

「!?」

 いったい何が飛び込んできたのかと驚いた顔をしたエイトに、ジャックはへらりと笑ってみせる。

「お今晩は、エイト〜」
「ジャック!? どうしたんだ、こんな時間に!?」
「ん? エイトの部屋に遊びに来たんだけど〜?」
「遊びにって……もうこんな時間だぞ?」
「だってー、エイトってば時間さえあればトレーニングに出ててずっと留守なんだも〜ん」

 照明に照らし出されたエイトの生活スペースは、彼の真面目な性格を模したかのように整理整頓がなされていた。構造は同じのはずなのだが、服や漫画で散らかったジャックの部屋よりも心なしか広く感じる。

「いままで俺の部屋に遊びに来るなんてなかったのに、急にどうしたんだ?」
「いや〜、ほら、最近なんだかエイトとちゃんと会話してないな〜と思って。昼間話しかけたときも逃げちゃったしね〜」

 あのときジャックが投下した話題を思い出したのだろうか、エイトは少しだけ表情を引きつらせる。

「あのときはいきなり変なこと訊いちゃってごめんね〜。でもクラスの男子みんなに訊いたのに〜、エイトだけ訊かないってのはおもしろくないじゃん?」
「み、みんなに訊いたのか? エースにも?」
「うん。ちゃんと答えてくれたよ〜」

 秘密だ、の一言をちゃんした返答の内に入れていいのかは微妙なところだが、少なくともエースが気を悪くしたような様子はなかったし、さっきも食堂で出会ったときは普通に会話してくれた。逃げ出されたのはエイトだけである。

「エッチな話題はやっぱり嫌い?」
「き、嫌いっていうか、そういう話をしたことがなかったから……。いきなり訊かれて恥ずかしかった」
「恥ずかしがることなんてないのに〜。同じ男なんだからさ〜」

 この年頃の男同士の会話といえば、下ネタに塗れていても決して不思議ではないし、むしろまったくしないほうが心配である。ジャックだってキングやナインとそういった類の話をよくする。健康的な男だから身体を持て余すこともあるし、ときには誰かと身体を重ねることもあった。

「で、エイトはエロ本見ながらオナニーしたりするの〜?」

 そうしてまた平然と口にした台詞に、目の前の青年の顔色が一瞬にしてゆでだこになった。どれだけ耐性ないんだよ、と思いながら、どうやったら彼が男のプライベートゾーンについて話しやすくなるか言葉を模索する。

「オナニーなんて男なら誰でもやってることだよ〜。だからもうちょっとさ、気楽に行こう。というか〜、そんなに耐性ないままじゃあ、エイトだけみんなの会話についていけなくなっちゃうよ〜? だから僕とそういう会話して、いまのうちに慣れておこうよ〜」
「そ、そういうことなら努力してみる」

 これは彼の真面目な性格が幸いしたな。ジャックは心の中でほくそ笑んだ。

「で、エロ本見ながらオナニーしたりするの〜?」
「い、いやらしい本は持ってないって言っただろ」
「え、本当なの〜? 別に隠さなくたっていいんだよ〜? 僕だって〜、本棚から溢れそうなくらい持ってるし〜」
「本当に持ってないんだ……」

 エイトの視線が、彼の無意識のうちにエロ本を隠したところに向いたりしないか注意深く観察していたが、動かぬ視線と真剣な表情に台詞が嘘でないことがわかる。

「ああいうのって買うのすごく恥ずかしそうだし、そもそもどこで売っているか知らない」
「あ〜。やっぱり真面目さんなんだね、エイトは〜。じゃあ、オナニーするときは何を見ながらやるの〜?」
「も、妄想とか?」

 危うく噴出しそうになったのをジャックは懸命に堪え、言葉を紡ぐ。

「それはすごい労力いりそうだな〜。ちなみに誰で妄想してるの〜? やっぱりケイト? あー、デュースのことも好きそうだよね。それとも同じ委員長張ってるクイーンかな? あ、もしかしてまさかの僕だったりして?」
「ち、違う! そういう身近な人じゃなくて、妄想の世界の人と……」
「あ〜、なるほどね〜。それなら罪悪感とかなくやれちゃうよね〜」

 オナニーのネタに常に身近な人間を選んでいるジャックには、その何がいいのかよくわからないが。そういうのはあの独特の罪悪感も楽しむものだと思っている。
 それにしても、この真面目な青年はいったいどんなふうにオナニーするのだろうか? 使うのは右手? それとも左手? イクときはいったいどんな顔をするのだろう?

(すっごく見てみたいな〜……)



続く……









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