前編


「――どうしたキング? オレの顔じっと見て」

 自分でも知らぬ間に、キングはエイトの男らしく整った顔立ちを見つめてしまっていたらしい。彼の声に現実に戻ると、なんでもない、と首を横に振った。

「そうか。わからないところがあったら遠慮せずに訊けよ? と言っても、キングがわからないんだったら、オレでもわからないかもしれないけど」
「ああ」

 テストが近づくと、たまにこうしてエイトの部屋で一緒に勉強することがある。学力は彼とさして変わりはないが、一人ではどうしても勉強以外のことに走ってしまいがちだからだ。
こうして彼と二人でいると、時々思い出すことがある。数年前、ある雨の日にこの部屋で、初めて二人だけの秘密をつくったときのことを――



 いつになく激しい雨が降っていた。
 雨季に入ると雨が降るのが当たり前だが、こんなにも、まるで滝のように降るのは珍しい。そんな窓の外の景色を見ながら、キングは何の意味もなく溜息をついた。

「――キング」

 怠惰に過ぎていく時間に割り込んできたのは、よく通る女の声だった。振り返ると長い黒髪と眼鏡が印象的な女子候補生――クイーンが何か心配事でもありそうな顔で立っている。

「エイトが欠席する、というようなことを聞いていませんか? 始業五分前だというのにまだ来てないんですよ」
「……珍しいな」

 キングの記憶が正しければ、エイトが過去に遅刻するようなことは一度もなかったと思うし、それどころかクラスで一番早くに教室に来ていることがほとんどだったはずだ。そんな彼が始業五分前になっても姿を現さないというのは、クイーンでなくとも心配である。

「ジャックやナインたちも知らないみたいですし、キングならと思ったんですけど……。もしかしたらあまりにも体調が悪くて動けないのかもしれません」
「その可能性はあるな。わかった、俺が様子を見て来る」

 クイーンでは男子寮には入れないし、他の男子たちはあまり当てにならないので、ここは自分が動くしかないだろう。そう思ってキングは立ち上がる。

「そうしてもらえると助かります。あ、これはエイトの部屋の合鍵です。起き上がれないような状態だったらいけないので、一応持っていってください」
「ああ」



 始業時間を過ぎたということもあって、男子寮の廊下はしんと静まり返っていた。まるで壁や床がこちらの様子を観察しているのではないか、と思うような不気味な静寂の中を、キングはマイペースに歩く。
 そして一つのドアの前で立ち止まると、遠慮がちにノックした。
 返事はない。念のためもう一度ノックして反応がないのを確認し、クイーンから受け取った鍵で施錠を解除する。

「エイト、具合でも悪いのか?」

 ドアを少しだけ開けて、声をかけてみた。それに対してもやはり返事はなかったが、布団が擦れる音がして部屋の主はちゃんといるのだと理解した。

「入るぞ」

 カーテンが締め切られ、電気も点いていない部屋は暗くて歩きにくい。だからとりあえず入ってすぐの電気のスイッチを点け、明るくしてから奥へと足を踏み入れる。
 エイトの部屋は綺麗だった。キングの部屋も整理整頓はしているほうだと自負しているが、それ以上に無駄がなくて細かい。たとえば本棚にしても、よく見るとジャンル別に本が分けてあるし、あいうえお順に並べてある。

(こんなところまで真面目なのか……)

 いったいどこで息を抜いているんだと疑問に思いながら、ベッドの上の布団の膨らみに視線を転じる。

「声も出ないくらいやばい状態なのか?」

 訊ねた声に返事はない。代わりに掛け布団から、まだどこかあどけなさの残る少年の顔がひょこりと頭を覗かせた。

「……大丈夫だ」
「とても大丈夫そうには見えんな」

 心なしかエイトの顔色はあまり優れないように見えるし、声にも覇気がない。それで大丈夫などと言われても、これっぽっちも信用できなかった。

「風邪でもひいたか? 熱は測ったか?」

 キングはベッドに腰を下ろし、エイトの額に触れてみる。

「熱はないみたいだな。どこが悪いんだ? 腹でも下したか?」

 静かに首を横に振ったエイトの顔には、何かに怯えるような色が浮かんでいた。

「いったいどうしたって言うんだ? 言ってくれないと俺だってわからんぞ。それとも人に言えないようなことなのか?」

 心配だった。普段まったく弱みを見せない彼のこんなにも弱っている姿を見て。力になれるものならなりたいと、優しく台詞を口にする。

「一人で思い悩むなよ。聞くだけならできるし、もしかしたら力になれるかもしれないんだ」
「うん……」

 炎の色をした瞳が今日初めてキングの顔を見上げた。そして布団の隙間から彼の手が伸びてきて、キングの手首を掴む。そのまま彼の体温で温かくなった布団の中に引っ張られ、一つの膨らみに辿り着いたところで解放された。
 そこはエイトの中心部だった。ズボン越しでも形のわかるそれは、キングの股間にもぶら下がっているものである。確かにここの悩みとなれば、言いにくそうにしていたのも納得だ。

「ここがどうしたんだ?」
「朝起きたら、白くて粘っこい液体が出ていたんだ。俺は変な病気なのかもしれない」

 なんだ、そんなことだったのか。大きさのことでも相談されるのかと思っていたキングは少し拍子抜けしてしまう。
 男性器から白くて粘っこい液体が出る――それはキングも体験したことがあるし、いまでは自らの手で出すことだってできる。二次成長に突入した男なら誰もが通らねばならない生理現象の一つだ。

「それは病気じゃないぞ」
「本当か!?」

 一瞬にして嬉しそうに輝いたエイトの顔を見て、キングは彼の頭を撫でてやった。

「じゃあ、あの白い液体はなんだったんだ?」
「あれはお前が成長した証さ」

 真面目なエイトはクラスメイトたちといやらしい話なんてしないのだろう。だからキングが当たり前のようにやっているオナニーなんて知らないだろうし、射精に関する知識も乏しいのだろう。それならば病気だと勘違いして深刻に悩んでしまうのも仕方がない。

「カヅサ先生に“精通”って習っただろう? いまのがそれだ」
「じゃあ、あの白い液体が精液?」
「そうだ」

 まるで息子に性教育を施す父親にでもなった気分で、キングは彼の悩みの糸を解いていく。

「俺も過去に経験してるし、いまだって時々、な。まあ大人の男に一歩近づいたってところさ。だから逆に精通が来たことを喜ぶべきだと思う」
「そ、そうなのか。なるほど、大人の男に近づいたのか……これで俺の身長も伸びるってことだな?」
「……だといいな」

 確かに二次成長期に身長も大きく変化すると言われているが、変化の度合いには個人差があり、キングのようにあっという間に十センチ以上も伸びる男もいれば、伸びる以前とほとんど変わらない男もいるものだ。自分の身長が低いことを気にしているエイトにはあえてその事実を伝えなかった。

「なあ、キング。精通って月に一回くらい来るものだったよな?」
「ああ」
「でも日にちは絞れないんだろう? 下着が汚れるの嫌だからどうにかならないか?」
「あー、まあならんこともない」

 なんてことない会話の中で、なぜかキングの中に突然いらぬ欲望が湧き上がった。

 ――エイトのアソコを見てみたい。射精するところを見てみたい。

 思春期真っ只中故の膨大な興味。落ち着いた性格だとは自負しているつもりだけど、本能がそれを邪魔して欲望のままに走らせようとしている。

「オナニーって知ってるか?」
「オナニー?」
「射精を自分でコントロールすることだ。それを定期的にしていれば寝ている間に射精してしまう、なんてこともなくなる。やり方を教えてほしいか?」
「ああ、頼む」



続く……









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