その家は都会のど真ん中にありました。
巨大なビルやデパートが建ち並ぶ表通りとは反対の、複雑に入り組んだ路地を奥に突き進み、壁を飛び越え、あとは真一文字に伸びた道を歩くだけ。そこにその家はあるというのです。
恋に病んでしまった乙女たちが足を運ぶその家では、恋愛のお悩み相談――のようなこと――をやっているそうです。悩みを打ち明けた乙女は魔法使いから魔法のプランをもらい、恋を実らせるそうです。
だけど、それは伝説にすぎません。
女性に語り継がれているただの伝説。あくまで噂であって、実際にその家を目にした者はいません。
それでも伝説は語り継がれました。消滅することを知らないかのように、何世代にも渡って。
まるで魔法をかけられたかのように――。
魔法使いのお家 (ユウナ日記番外編)
The house of a magician
O1 秘密のお家
『好き――』
彼女はそれだけを言い残して逃げ出してしまった……。
帰宅するなり、彼女――ユウナは自室のベッドに倒れこんだ。
「言っちゃった……」
声に力はない。何もかもが大気中に溶け込んでしまったのではないかと思えるくらい脱力してしまっている。
一抹の不安が脳内を支配していた。それの根源となるのが、放課後の教室にての出来事である。ユウナにとっては十七年間の人生の中で最も大きな出来事とも言える。
最初は彼のことをなんとなく「いいな」と感じていただけだった。しかしともに学校生活を送るうちに自然に彼を目で追っている自分に気づいて、最終的に行き着いた答えこれ――「彼のことが好き」である。密かな片想いを続けていたユウナだが、ついに気持ちを抑えることができなくなり、思い切って彼に告白したのだ。
そこまでは勇気がある、ということでよしとしよう。問題はそのあとだ。「好き」の一言を残し、感極まってその場を飛び出してしまったのだ。――まるで逃げるかのように。
相手の返事は聞いていない。緊張しすぎて顔も上げられなかったため、表情さえも窺うことができなかった。
あのとき返事を聞いていればこんなに不安を感じることもなかっただろう。さっきから後悔と不安だけが脳内を旋廻している。
――翌日。
昨日の告白を思い出すと、学校へ行く気なんて失せてしまった。ここは仮病を使って欠席しよう。だが、ユウナの願いも虚しく母に強制的に学校へ行かされてしまうのだった。
「――どうしたの? ユウナん」
目立つ金髪に綺麗な翠の目。美人とまではいかないが、男性なら一度は見惚れそうな可愛い女友達――リュックが心配そうな面持ちで声をかけてきた。どうにもユウナがしょげた様子に見えたのだろう。まあ実際に生気を感じさせないほどぐったりしているのだが。
朝の教室は生徒たちの雑談でざわついていた。
「恋の病ってやつかな……。心配しすぎて死んじゃいそう」
「え〜!? ユウナんって好きな人いるの〜!?」
「声大きいよ。それになんだかその言われ方は私に好きな人がいちゃいけないみたいだね……」
「Yes! じゃなかった、No!」
普段から男性に興味がないような態度だったことから、ユウナが恋愛していることが意外だったのだろう。さっきからリュックは素っ頓狂にエイリアン語(?)を叫んでいる。
「で? で? で!?」
リュックの目が好奇心に輝いているのをユウナは見逃さなかった。彼女に一度目をつけられたら一貫の終わりであることを十分承知しているつもりだが、思わず口を滑らせてしまったのが後の祭り。
「その後の進展は!? 手〜繋いだ!? 抱き合った!? キスした!?」
周りに他の生徒たちがいるにも拘らず、リュックはふしだらな質問を押し付けてくる。
「昨日告白したの」
「告白〜!?」
「だから声大きいって。でね、告白したのはいいんだけど……私、それだけ告げて帰っちゃったんだよね」
「うわぁ! それすんごい馬鹿!」
「……なんだかすごく腹が立つんだけど。まあ、自分でも馬鹿なことしたな、とは思ってるんだけどね」
積もるのは後悔ばかり。
「んじゃ、今日その人に返事を訊いてみればいいじゃん」
「訊きづらいよ〜。顔も合わせづらい……」
「でさ、結局それって誰なの?」
「えっ? えっと、それは……」
ユウナは周囲に見回してみたが、どうやら“彼”はまだ登校していないようだ。教室の入り口からも彼が現れる気配は――それはまるでユウナの視線を感じたかのように現れた。
全身が脈打つのを感じて、ユウナは慌てて視線を明後日のほうへと転ずる。
“彼”が来たのだ。
鼓動が早い。胸が熱い。彼の顔を見た瞬間の異変。昨日の、あのときの光景が脳裏にはっきりと映像としてフラッシュされる。
と、高鳴る胸を落ち着かせようと胸に手を当てたとき、あろうことか彼がこちらに向かって歩いてきた。一歩、また一歩、狭い教室の中では短い彼との距離があっという間に縮まっていく。
「あの、昨日のことなんですけど……」
男にしてはか細い声がユウナの耳を撫でた。
「もう少し、考えさせてくれませんか?」
「あ、うん……」
それだけ言って、彼は自分の席へと戻っていった。
覚悟していた返事が返ってわけでなく、はたまた少しだけ期待していた返答があったわけでもないことにユウナは密かに胸を撫で下ろした。
「びっくりした〜」
大きく息を吐いてリュックを見ると、彼女はニヤついていた。
「何安心してんのさ。勝負はこれからよ! 女の見せ所よ!」
「え?」
「だってさ、少し考えさせてってことはフラれるってこともあるんだよ? だから今からあいつにユウナの可愛さをアピールしなきゃ! 付き合う気にさせないでどうするわけ?」
恋愛経験ゼロのユウナにそんなテクニックが分かるわけがない。
「ねぇ、“魔法使いのお家”って知ってる?」
「え?」
聞いたことがある。恋愛のお悩み相談をやっている“魔法使い”が住んでいる家だとか。そこに行けばどんな恋でも実るとかいう根拠のない噂がある。もちろんユウナは信じていなかったのだが、今の状況下ではどうもそれが実在するような気がしてきていた。
「聞いたことある」
「あたしの従姉が行ったことがあるの。それでさ――はい」
差し出されたのは一枚の紙切れだった。小さいながらも表通り付近の地図が細かに書かれている。その中に赤い“×”が宝の地図のごとく記されていた。
「……ください」
「百円ね〜w」
+++
自分が地味で魅力がない女性だということは、ユウナ自身が一番よく知っている。容姿もぱっとしないし、長所も見当たらないし……何か取り柄があるわけでもない。そんな自分を好きになってくれる異性がいるとは思えない。だからこそ実在するかどうか分からない“家”にこうして向かっているのだ。
「え〜と……」
リュックからもらった紙切れを頼りに、ユウナは複雑な裏路地を歩いていた。
それにしてもこの裏路地はありえないほど複雑だ。分かれ道や行き止まりは当然、何故か先ほど通ったばかりの道に通じている道まである。まるで迷路のようだ。余計に複雑なのはやめてほしい、とユウナは心中で毒づく。
裏路地に入ってかれこれ一時間は経っただろう。それでも“魔法使いのお家”とやらに着かないとは……。拷問だ。罪人を迷宮に閉じ込めて彷徨わせるような。
二時間が経過した頃だろう。西の空は紅蓮色に染まり、東の空には半月が煌いている。
その“家”が姿を現したのは、そろそろ昼から夜の世界へと変わろうという頃だった。
カーテンの隙間から電気の明かりが漏れていた。玄関前は頼りないランプの日に照らされている。ドアノブに掛けられた札には“魔法使いのお家”と記されていた。
インターフォンのようなものは見当たらなかったので、勝手に入っていいんだなと、とんでもない解釈をしてユウナはドアを開けるのだった。
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