02 生意気な魔法使い

「いい匂い」

 “魔法使いのお家”に入るや否や、身体の芯まで心地よくなるような香りがユウナの花を突き抜けた。そして目の前には男性の裸体が! 鍛えられた腹筋に厚い胸板。あんまりに逞しいものだから、ユウナはつい見入ってしまったが、一通り見て咄嗟に目を逸らした。

「ご、ご、ご、ごめんなさい!」
「――入るときはノックする。常識だし」
「え?」

 意外にも聞こえた声はまだ大人の声になりきっていないそれだった。
 恐る恐る顔を上げると、そこにはすでに衣服を着終えた少年の顔があった。見た目から察するに中学生くらいか。綺麗な金髪に翠の瞳がマッチしている。身長はユウナよりも少し低い。それになかなか……

 ――可愛い。

 白い顔はなかなか端整である。

「入るときくらいはノックしてほしいし」

 ユウナに裸を見られたのが恥ずかしかったのだろう。少年の顔は僅かに紅潮していた。

「何? お悩み相談?」
「う、うん。今、キミしかいないの?」
「兄ちゃんも姉ちゃんも出かけてるから。母さんたちは仕事」
「へぇ〜。じゃあまた日を改めて来るね」
「――待ってよ」

 出入り口に踵を返し、“家”を出ようとしていたユウナを、少年が止めた。

「僕がいるし」
「へ?」
「お姉ちゃん、僕が子どもだからってナメちゃいけないよ。こう見えても何人もの人の悩みを解決してきたんだから」
「そ、そうなんだ……」

 ユウナは苦笑した。それ以外にリアクションの取りようがない。

「で、でもキミみたいな子どもに任せて大丈夫かな……?」
「大丈夫。僕、天才だし」

 子どもにしては落ち着きすぎている態度が妙に腹立たしい。でもやはりあどけなさの残る顔は可愛かった。いっそここで襲ってやりたいとも思うのだが、それはさすがに理性が咎める。

「じゃあ、試してみてよ」
「え?」
「あんたの相談、僕が担当するから。それで解決できたら……一回デートしてよ」
「……逝ってよし」
「死んでも死に切れず。それが僕のモットーだし」
「モットーって……」
「とにかく、約束だからね」
「う、うん。分かった」

 やはり生意気な少年だ。ユウナはそう心中で毒づいた。

「僕はシンラ。純粋で天才な中学一年生。あんたは?」
「ユウナ。高校二年生だよ。――ねぇ、さっき服脱いで何してたの?」
「き、着替えてただけだし。っていうか裸見られたの最悪」
「で、でも上半身だけだからよかったじゃん」
「……もしかして下半身見たかった?」
「そ、そんなこと思ってない!」

 まあ、見てみたくないと言えば嘘になるが。

「ちょっと待ってて。寒いからもうちょっと厚着してくる。そこの椅子に座っててよ」

 シンラが奥の部屋に行くのを見届けてから、ユウナは手近の椅子に腰掛けた。そしてこの上ないほど大仰に溜息をつく。
 先ほどはシンラの上半身のことが頭から離れなくて気がつかなかったが、部屋の中はなかなかお洒落だった。壁にはポストカードが、そして窓には装飾スプレーで可愛いアニメキャラクターが描かれている。今となっては珍しい暖炉が、広い部屋を暖めており、密かに顔を覗かせるキャンドルがより一層温かさを感じさせる。“魔法使いのお家”と呼ぶに相応しい景観だ。

 ――ホントにあの子に任せてよかったのかな……。

 ふとユウナは思う。
 彼――シンラはまだ中学一年生だ。年齢からして恋愛経験薄そうな彼――ついで言うと恋愛に興味なさそうな彼――が、恋愛の悩み事など解決できるのだろうか。しかし彼は確かにこう言った。「何人もの人の悩みを解決してきた」と。その言葉を信じてみよう。信じてみる価値はきっとある。

「――お待たせ」

 オレンジ色の服に身を包んだシンラは、机を挟んでユウナの正面の席についた。翠色の綺麗な瞳がまっすぐにこちらを見てくる。

「で、ユウナの悩みって何?」

 年上を呼び捨てにするとは……なかなか度胸が据わっている。

「好きな人に告白されたんだけど……返事は『少し考えさせて』だったの。それで、私どうればいいんだろう?」
「それって悩み? どうすればいいかとか、待つ以外にないし」
「待つだけじゃ駄目って友達に言われたのよ。それで、私のいいところをアピールしろって」
「じゃあ、ここに来るまでもなかったじゃん」
「アピールしろって言われても、自分自身のいいところが分からないんだよ。だからどうすればいいのか……」
「そんなこと相談されても困るし。友達に訊けばよかったじゃん」
「友達は『逞しいところがいい』なんて言うんだもん。それにそれはあくまで女の子の意見。男の子の意見が聞きたいんだけど、クラスの男子には話しかけづらくて……」

 はぁ、と呆れたような溜息が正面から漏れた。

「じゃあさ、僕と一週間付き合ってみよう、そうでもしないとユウナのよさとか分からないしさ。学校のやつとかに僕のこと訊かれたら、弟とか従弟いとこって言えばいいし。どう?」
「いいけど……私と一緒にいるの嫌じゃない?」
「なんでそう思うわけ?」
「だって私がここに来てから、シンラくんずっと嫌そうな態度してたじゃない」
「そういう性格だし。悪かったね」

 無愛想な対応がまた一段と生意気だ。

 この時点では、ユウナはそれだけしか感じていなかった。


 +++

 
「ねぇねぇねぇ、昨日“魔法使いのお家”に行ったんでしょ?」

 朝から騒々しいのは、寝癖がまだ完全に直っていないリュックである。例の、あの興味に輝いた眼差しを突き刺さるくらいに向けてきた。

「どんなだった? どんな人がいた? ちゃんと相談した?」
「そんないっぺんに質問しないでよ」
「だって気になるんだもん」

 リュックは悪戯な笑みを顔に貼り付けていた。彼女の背景は完全に闇色に染まっている。鬼、悪魔、死神……物語でいえばその類の悪役だろう。

「建物は普通だったよ。中はキャンドルとかポストカードとかがいっぱいで、いかにも“魔法使いのお家”って感じだったかな。相談に乗ってくれたのは中学一年生の男の子。名前は――」
「中一!? 何それ、詐欺じゃん! 中一のカギなんぞに恋愛の悩みなんか解決できるわけないじゃん! もしかしたら、ユウナの身体が狙いで相談に乗ってるのかもよ!」

 それはない、ユウナはそう抗議した。
 昨日のあの彼が女性の身体目的で相談に乗っているはずが、百パーセントないと言っても過言ではない。少ししか会話していないが、それでも彼の中身は十分すぎるほど見えた。無無愛想で、女性に興味がなくて――だからといって同姓に興味があるわけではなさそうだが。それに彼は明らかにユウナを嫌悪していたではないか。そんな彼がユウナの身体目的で相談に乗っているわけがない。
 だが、リュックはユウナの言語など微動だにせず、反論を並べに並べた。心の奥底では何を考えているのか分からないだの、そういう女性に興味を示さないようなやつに限って中身は穢れているだの、と。それでもユウナは最後までシンラを庇った。

「シンラくんはそういう子じゃないよ。純粋で人を汚すことなんか知らなくて、クラスの男子よりは百億倍くらいマシかな」
「――っていうか、ユウナんさっきからなんでそんなに必死にその子のこと庇ってるの?」
「あ……」
「もしかして、その子のこと好きになっちゃったとか?」
「ないない! 絶対ないよ!」
「お〜? なんだか怪しいぞ〜?」
「絶対何もないって! からかうのもいい加減にしてよ〜」
「信じてやってもいいけどさ……五百円」





 
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