03 いめーじちぇんじ

“魔法使いのお家”、二度目の訪問。
 

『僕と付き合ってみよう』


 昨日の生意気な少年の言葉を思い出した。「付き合う」といっても、ただ彼がユウナの中身を知るためだけ、別に恋人同士とかどういう不快意味があるわけではない。
 ドアを開けて中に入ると、やはり昨日と同じ心地よい香りがユウナの鼻を撫でた。この匂いを嗅ぐとなんだか身も心も落ち着く。
 真正面に見える机に、金髪が顔を伏せていた。

「シンラくん?」

 呼びかけると、金髪――シンラはゆっくりと顔を上げた。翠色の瞳はとろんとしており、直前まで眠っていた証拠となっている。もしくは眠りに着こうとしていた頃合か。

「遅かったね。ずっと待ってたし」
「待ってたって……シンラくんは学校に行ってないの?」
「行ってるよ。けど部活入ってないから速攻帰宅できるし」
「いいなぁ。私も部活入らないで帰りたいけど、うちの学校部活は強制なんだよねぇ……」
「ユウナは何部?」
「バトン部なの。毎日練習大変なんだよ」

 時計を見ると、時刻はすでに午後七時を回っていた。外も当然、心を持たぬ闇が空間を侵食し始めている。

「部活、楽しい?」
「楽しいよ。毎日みんなで盛り上がってさ! いっぱい動いて、汗かいて、くたくたになった後のラムネがもう最高!」
「ふ〜ん」

 自分から訊いておいて、シンラはあっという間に興味を失ったようだった。
 ユウナは昨日と同じようにシンラの正面の席に腰掛けた。やはり子どもの面影が残る少年の顔は、胸が熱くなるほど可愛い。

「今日のお題は“イメージチェンジ”。今のユウナもいいけど、やっぱりもっと雰囲気が違ったほうがいいかな。それで、まずは服を買いに行こうと思うんだ。服は僕が選ぶね」

 私よりファッションセンスなさそうな彼に任せて大丈夫かしら、なんて思ったのは秘密だが。

「信じてみてもいっか」
「ん?」
「ううん、なんでもないよ」


 +++


「ねぇ、手……繋ごう」

 少年が恥ずかしそうに声をかけてきたのは、複雑な裏路地を出て、大通りに差し掛かった頃だった。

「ほら、ユウナもデートするとき彼と手を繋ぐかもしれないでしょ? そのときのための練習……って言ったらちょっと変かもしれないけど」

 相手は中学一年生だから弟のようなものか、とユウナは心を許して少年の手を握った。ユウナより少し小さいが、安心できる“温もり”のようなものが感じられる。冷え性のせいで一段と冷えたユウナの手が、あっという間に熱を帯びていく。
 そしてその熱は、胸の奥底まで這い上がってきた。

 ――何? この不思議な感じは。

 体温が上がっていく。一度、そしてまた一度。脈打つのに合わせるかのように、全身が高温の熱を帯びていく。
 そして、目の前の景色が一拍置いて歪んだ――というより、霞んだ。だんだんと気が遠くなっていく。気のせいか思考回路が少しずつ切断されていくような感覚がした。いや、それは気のせいなどではなかった。数秒後には完全に意識を失い、ユウナは大通りに倒れこんでしまったのだから。

「ゆ、ユウナ、大丈夫!?」
「う……うぅ」

 苦しい。身体が熱い。まるで真夏のビーチに埋められたような暑さがユウナの全身を襲う。だがそれも次第に極度の寒気に変わった。そして握っていたシンラの手を手放してしまった。

「一度家に戻ろう。さぁ」

 小さな手を差し出されたが、それを受け取ろうとしても指先が動いただけだった。



 思いのほか力のある手に支えられて、“魔法使いのお家”にたどり着いてから後のことをユウナは覚えていない。
 何度か目を覚まして何かを見たような気もするが、それが何だか思い出せるほどはっきりと情景を掴むことはできなかった。
 深い眠りと浅い眠りを交互に繰り返してようやく目覚めると、ベッドの上に横になっていた。そして、自分の上には可愛らしい顔の少年が上半身裸で眠って――

 ――ん? 私の上? 上半身裸?

 ユウナは覆いかぶさっているシンラを払いのけ、慌てて身体を起こした。咄嗟にベッドから飛び降りてその場にへたりこんだ。
 狭い部屋には自分と少年以外に誰もいない。眩暈のする目でそれを確認すると、自分の身内を検めた。
 衣服はちゃんと身に着けている。脱いでいるといえばコートくらいのもの。だがやはりシンラは上半身裸だった。さて、何故シンラはそのようなあられもない恰好でユウナの上に覆いかぶさっていたのだろうか? そしてそれを深く考えるといけない答えこたえにたどり着いてしまうのは何故だろうか?

「きゃ―――――――――――!!!!!!」

 高らかな雄叫びが、朝の“魔法使いのお家”に響き渡った。


 +++


 少年の頬には痛々しい紅葉がくっきりと浮かび上がっている。

「僕が何したって言うんだよ」

「し、シンラくんやっぱり私の身体が目的だったの!? 眠っているのをいいことに変なことしちゃって! ホント最低だよ!」
「な、何言ってるんだよ! 僕何もしてないし! そういう趣味ないし!」
「じゃ、じゃあどうして上半身裸で私の上で寝てたの?」
「看病している間に眠くなったんだよ。上半身裸なのは暖房効きすぎて暑くなったから脱いだんだし。でもユウナ風邪っぽいから暖房切れないし……昨日ユウナは大通りでいきなり倒れちゃったんだよ。だから一晩付きっ切りで看病してたんだ。――僕まだ中一だよ? やらしいこと考えるわけないし」

 自分の被害妄想だと知ったユウナは、咄嗟に手で顔を覆った。

「ご、ごめん……」

 勝手な自分の被害妄想で朝っぱらから叫んだあげく、加害者でもなんでもないシンラをぶってしまった。然るべきことである。

「でさ、体調は大丈夫なわけ? 昨日すごい熱だったけど」

 若干眩暈がするものの、悪い症状はそれだけしか見られない。

「――あ! 学校!」
「今日は土曜日。学校は休み」
「はぁ、よかった。幸い部活も休みなんだよね〜」
「ふ〜ん。じゃあ今日は改めて服を買いに行こう」
「あ、うん。でもどうして服なんか買わないといけないの?」
「好きな人とデートするときのためだよ。デートにダサい服着ていっちゃ駄目でしょ? 余計なお世話かもしれないけど、そうやって悩みが解決できたりするんだよ」
「へぇ〜。でも私、二百六十円しか持ってないんだけど……」


 +++


 二時間が過ぎて、ユニクロの袋を提げたユウナたちが帰ってきた。

「シンラくんて結構ファッションに関して厳しいんだね。まるで○ーコみたい」
「それよりさ、着てみてよ」
「試着しての見たでしょ?」
「あのときはじっくり見なかったし。改めて見てみたい」
「……分かった。着替えるところあるかな?」

 訊くと、少年雄細い指が玄関と一直線上にある奥側のドアを指した。ユウナはそそくさと指差されたドアの中に入っていく。
 衣装室だった。ナイロンカバーを被ったたくさんの服がきれいに並べられている。そのどれもが女性物だということに、ユウナは気がついた。

「女の人結構来てるのかな……」

 

「――着替えたよ」

 ユウナのあまりにもエロティックな衣服に作者も描写できないという驚くべき事態になってしまった(笑)。しかし残念ながら通学用の靴。
 
「学校の靴じゃなかったら満点なのにね」
「そこを突っ込まないでよ!」
「それとその髪。いかにもくらーい人間って感じがするし。部活中邪魔にならないわけ?」
「部活のときはくくってるから。でもいちいちくくるのは面倒だな〜」
「じゃあ切ろう。大丈夫、悪いようにはならないから。短いのが嫌なら空くだけでもいいし。服にそぐわないんだよ。すごく重たい感じがする」

 ユウナは小さく頷いた。

「でも、シンラくんが切ってくれるの? それはちょっと不安だな……」
「切るのは僕のお兄ちゃんがやってくれるし。僕がやったら無残になるよ」

 何せシンラは中学一年生なのだから。その歳で上手くヘアーカットできるのだとしたら天才少年以外の何者でもない。
 それにしてもシンラの兄とはどのような人なのだろうか? 同じく無愛想な人? それとも意外と外交的でカッコイイ人? いつの間にかつまらぬ期待に胸を膨らませていた。
 と、その期待がかかっているシンラの兄が現れたようだ。
 髪の毛はシンラと同じ金色で、目の色は空に似た青色だった。兄弟とあってか顔は何処となく似ている。

「これがシンラの彼女? なかなか可愛いじゃん!」
「彼女じゃないよ。お客さん」

 声色は明るい。その調子から社交的な人柄だと窺える。

「シンラの兄のティーダッス! よろしく!」
「ユウナです。こちらこそよろしくお願いします」

 ティーダは愛想のよい笑みを浮かべているが、一方の弟はムスッとしている。兄弟なのにこの態度の違いは何なのだろう。

「ささ、こっち来て」

 椅子に座るように促される。
 正面には鏡。きょとんとした自分と、爽やかに笑むティーダが映っている。隅っこのほうには頬杖をついてこちらを眺めているシンラの姿もある。
 鏡の少し下には先発代とシャワーがあり、なんとも美容院らしい設備がそこにはあった。

「空くだけだよ」
「分かってるって」

 さっそくヘアーカットを始めるらしい。美容院同様、切った髪の毛が衣類に付着しないようカバーをかけられ、椅子の背もたれが傾いた。先に髪を洗うのだろう。
 目の上にタオルを乗せられ、それから先は視覚以外の感覚器官で物事を判断することになる。
 シャワー口から水――もしくはお湯――が出てくる音が聞こえた。僅かだが、熱を感じることからそれがお湯なのだと推測できる。
 心地よい温度のお湯が頭にかかった。まるで日陰からいきなり日向に出たような感覚が頭から全身に伝わってくるのが分かった。身も心温まるとはこのことだ。

「お湯熱くない?」
「あ、はい。大丈夫です」

 ティーダの手先は驚くべきほど器用だった。プロの美容師ではないはずなのに、髪の毛を洗うティーダの手はユウナが痒いとか気持ちよいとか思うところをついてくる。

 ――気持ちいいなぁ。



 心地よい香りに誘われたかのようにユウナは目を覚ました。
 いつの間にか眠っていたらしく、目覚めたときにはすでにヘアーカットは終わっていて、暖炉に程近いソファに横になっていた。そして隣のソファには静かな寝息を立てているシンラの姿がある。あどけなさの残る寝顔がまた可愛い。
 昨日一昨日と、ユウナがひそかに愛用していた椅子にはティーダが座っており、こちらもまた気持ちよさそうに眠っている。
 ユウナは洗髪台のある鏡を覗いてみた。果たしてどんなヘアースタイルになっているのだろう。

「わお」

 一瞬、電光石火の衝撃が胸を駆け抜けた。ユウナは自分でも――いや、自分だからこそ驚愕する、変貌を遂げていたのだ。
 もうあの地味な感じのユウナは面影すら感じられない。量が減った髪の毛はワックスか何かでふんわりとした仕上がりになっている。

「これ、結構いいかも。――ありがとう」

 ささやかだが、それでも感謝の気持ちでいっぱいの一言を髪を切ってくれたティーダと大変世話になったシンラに奉げた。
 そしてユウナは、二人を起こさないようにこっそりと“魔法使いのお家”を去るのだった。――もう二度と来ないつもりで。

「他人に頼ってたら、駄目だもんね」

 





 
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