終 正直な気持ち=ハッピーエンドへ


「あっれ、雰囲気変わったなぁ」

 いつもはユウナをがり勉だの何だのと絡んでくる男子生徒が、珍しく挑発以外の言葉をかけてくる。そしていつもはちょっと肩を落として歩くユウナも、今日は涼しい顔で素通りする。

「あいつ、急に女らしくなったな」

 そんな声を背面に、ユウナは上機嫌に微笑んだ。

「髪の毛を切っただけであんなに態度変わるなんて思わなかったな」

 何も髪の毛を切っただけではない。前日にリュックから化粧のやり方も仕込まれて今日はそれを活用したのだ。

「お〜! やっぱ今日のユウナには男子も振り向くね〜」

 教室に入って早々、リュックが悪戯な笑みをこしらえてユウナの元へとやってきた。

「今じゃあ学校一の美人さんだよ」
「学校一って……そんなことないよ」
「でもでも、男子みんなユウナのことちらちらと見てるよ〜。うわぁ! モテモテだ〜!」
「リュックのほうが可愛いよ。私なんかよりよっぽど」
「じゃあなんであたしには彼氏いないのさ〜」
「う〜ん……男子たちに告白する勇気がないだけじゃないかな? シンラくんみたいにはっきり発言すればいいのにね」
「お〜! ユウナ先生辛口だ〜! それも“魔法使いのお家”で習ったの?」
「ううん、自分で考えたんだよ」
「でもでも、ユウナんがそうなったのもあたしが“魔法使いのお家”を勧めたおかげだよね! ってことで、千円!」


 +++


 部活が終わり、ユウナは一人トボトボと帰り道を歩いていた。
 やはり冬ということもあって日が暮れるのは早い。まだ六時を回らないというのに辺りは夜の帷を見せている。

「――ねぇ、あなた」

 急に背後から声をかけられ、ユウナは誰だろうと踵を返した。その瞬間、頬に電撃のような痛みが走った。誰かに引っ叩かれたのだと理解したときには相手の二発目の攻撃が襲っている。

「な、何するんですか!?」

 街灯に照らされた相手の顔にユウナは見覚えがあった。
 敵方は三人。真ん中の、胸の谷間をだらしなく露出しているのは確か同じ学校の先輩――ルブランとかいう女だったか。その隣にいるのは同じく学校の先輩のユウナレスカとかいう何処か魔物的な女。そしてもう片方のズボンをだらしなく履いているのはクジャとかいう変態男。確か三人そろって“露出狂三人集”だったような……つまりは露出することに生甲斐を感じている馬鹿な連中だ。その連中が何故自分をつような真似をするのだろうか?

「あんた何調子に乗ってるんだい」

 ルブランの罵声に近い声が暗い夜道に響き渡った。

「しかもちゃっかり化粧もしちゃってるしー」
「それとその髪の毛。ちょっと男子の気を惹きたいからってなんだよ」
「そんな髪こうしてやるんだから!」

 ユウナは完全にたじろいでいた。それで油断していたもんだから髪の毛の一部が切り落とされようとしていたことなど気づくはずもない。はっとなったときにははさみの虚しい音がやみに包まれた空間に鳴り響いていた。

 ――せっかくティーダさんに切ってもらったのに……すごく気に入っていたのに……。

 ユウナの目から涙が零れ落ちた。

「調子に乗った罰よ!」


 人間とはつまらない生き物だ。自分よりもルックスやスタイルがよいからという理由でひがんだり、その人を蔑んだりする。喩えその行為が何も生まないのだと知っていたとしても、やめようとしない。無駄を積み重ねて駄目な人間になっていくのだ。


 ――許さない。

 ユウナは固く拳を握り締めた。

「今にその醜い顔をもっと醜くしてやるよ」

 ルブランとかいう女が何かほざいているが、もうどうでもよかった。
 
 先に動いたのはユウナだった。


 +++


 あれから十分が経っただろうか。
 無残に散った――気絶した――露出狂三人集には目もくれず、ユウナはただ泣いた。喧嘩に勝った喜びなど一寸も感じられなかった。

「せっかく切ってもらったのに……」

 後ろ髪の一部が無残にも切り落とされてしまっている。掌に惨劇の名残の髪の毛がついていた。

「ごめんね……ティーダさん……シンラくん――」
「呼んだ?」

 突然にして降りかかった声に、ユウナは振り返らずにはいられなかった。
 街灯の明かりの下、ムスッとした表情で立っている少年。金髪が街灯の明かりと調和して目立っている。翠色の目がまっすぐにこちらを見つめていた。

「シンラくん……」

 懐かしい。たった一日会わなかっただけなのに、彼の、あのあどけなさの残る顔が妙に懐かしく思えた。無愛想で、それでも可愛くて、一緒にいると安心するような彼の存在。だからすごく抱きしめてもらいたい。――抱きしめたい。
 気づいたときには彼を――シンラの華奢な身体に抱きついていた。――いや違う。あちらが抱きしめてくれたのだ。身体はユウナより小さくとも、抱きしめる力には負けを取る。そして小さな身体にしてこの圧倒的な存在感――まるでユウナを包み込んでくれるような、大きくて優しい存在。

「ユウナに泣き顔は似合わないし」
「ごめん……ね。切られちゃった……」

 そのときだった。
 二人の――ユウナとシンラの唇が文字通り重なった。
 溶けてしまいそうな、蒸発してしまいそうな口付けにユウナは一瞬驚いたが、すぐに眼を閉じて彼のするままに任せる。
 男性と口付けを交わすのは初めてだった。これがユウナのファーストキスである。

 ――気持ちが変わっちゃう……でもやめないで。

 ユウナの心中の懇願虚しく、長い口付けは終わった。

「短くなるけど、もう一回切ってもらおう。いい?」
「……うん」



 “魔法使いのお家”では、ティーダが眩しい笑みで出迎えてくれた。キラキラビーム、とまではいかないが、そう命名したくなるほどの輝かしく爽やかな笑みである。

「こないださ、起きたらいなくなってたからビックリしたッスよ!」
「あ、ごめんなさい……」

 あのときは勢いで、というか世話になるばかりでは何も変わらないな、と思ってここを飛び出したのだ。自分を完璧に変えられるのは、自分自身しかいないから。人に頼っていてばかりでは駄目だから。
 事情を話すと、ティーダは改めてヘアーカットをしてくれると言った。でもやはりかなり短くなることは免れないという。方ほどもない長さになることは間違いないだろう。だがユウナはそれでもよかった。また一段と変われる気がして、新しい自分にひそかに期待していたのだ。


 +++


 翌日――。
 
 リュックがユウナの変貌を見て驚きの一声をあげたのは考えるまでもない。考えられなかったのは、放課後に“彼”に呼び出されたことだった。あの、ユウナが美しき変貌を遂げるきっかけとなった“彼”にユウナは誰もいない教室へと招かれたのだ。
 用件は分かっている。先日のユウナの告白の返事だろう。しかしユウナは彼がなんと返答しようと、告白したときのように走り出すのだと決めていた。


 この結論に至るまでは一晩を費やした。改めて自分と向き合って気持ちの整理をして、そしてようやく“本当の答え”にたどり着いたのだ。


「この前の告白ってまだ有効ですよね?」

 ユウナは首を横に振った。

「期限切れ! ごめんね。私が本当に告白したかったのはキミじゃなかったの。じゃあね!」

 
 ――本当に好きなのはキミじゃない。


 部活なんかもうどうだってよかった。顧問に怒られようとも、先輩や同級生の信頼を失おうとも、それはあとでどうにか巻き返せることである。

 ――でもこの気持ちは今伝えなきゃ!

 だんだんと近づいているのが分かって落ち着いてなどいられなかった。足はどんどん速くなる。ボルテージもだんだんとアップしてきた。
 姿は見えないけれど、大切な絆が手繰り寄せられているのが分かる。

 

 “魔法使いのお家”に“本当の答え”はあった。
 それが、建物の外に飾られた色とりどりの花に水をやっている彼である。

「シンラくん!」

 ユウナはシンラの小さな身体を抱きしめた。まるで会えなかった数十時間を埋め尽くすかのように、大好きな彼を抱きしめたのだ。

「び、ビックリするじゃないか!?」
「ごめんね。でも、すごく抱きしめたかったの」

 翠色の目がこちらをまっすぐに見つめていた。

「シンラくん……好きだよ」
「えっ?」

 一瞬、シンラの表情が歪んだように見えた。

「私、キミのことが好きだったみたい」
「…………」
「ずっと気づかなかった。いつもそばにいたのに、シンラのことが好きだなんて気づかなかった」
「――そばにいたから気づかなかったのかもしれない。一緒にいるのがいつの間にか当たり前のようになっていたから。でもね、好きになったのは僕が先だよ。でないと昨日みたいなことしなかったし」
「うん……うん! そうだね!」
「それからこれは約束。僕が大きくなったら――」































 ――結婚しよう。




































 その家は都会のど真ん中にありました。

 巨大なビルやデパートが建ち並ぶ表通りとは反対の、複雑に入り組んだ路地を奥に突き進み、壁を飛び越え、あとは真一文字に伸びた道を歩くだけ。そこにその家はあるというのです。

 恋に病んでしまった乙女たちが足を運ぶその家では、恋愛のお悩み相談――のようなこと――をやっているそうです。悩みを打ち明けた乙女は魔法使いから魔法のプランをもらい、恋を実らせるそうです。



 だけど、それは伝説にすぎません。



 女性に語り継がれているただの伝説。あくまで噂であって、実際にその家を目にした者はいません。
 それでも伝説は語り継がれました。消滅することを知らないかのように、何世代にも渡って。


 まるで魔法をかけられたかのように――。

 
 
 そしてその家には、愛があるそうです。





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