04. 物足りない、もどかしい




「テスト週間?」
「ああ。だからその間だけ一時的に自分の部屋に戻ろうと思う」

 エイトとの共同生活が始まって二週間が経とうとしていた。そんなある日、シュユに好きと告げた少年が、冴えない顔でそんな台詞を口にした。

「前回のテストで少し成績落ちたから、今回はもっと頑張りたいんだ」
「ここでは勉強できないのか?」
「ここだとどうしてもシュユ卿のことを意識してしまう」
「では、汝が勉学に励んでいる間、我は部屋から出ている。それでどうだ?」
「それはさすがに申し訳ない。そもそもここはシュユ卿の部屋なわけだから」

 しかし、と引きとめかけた自分をシュユはなんとか抑える。ここで自分が彼の足を引っ張ってどうするのだ。
 そもそもシュユには、なぜこんなにも自分がエイトを引きとめようとしているのかわからなかった。胸に渦巻く焦燥感はいったいなんだ? 少しの間離れるだけだというのに、どうして心がざわついている?

「シュユ卿」

 自分を呼ぶ声に意識を現実に戻せば、エイトが少し陰のある笑みを浮かべている。そして彼はシュユの手をとると、甲に柔らかい口づけを落とした。

「シュユ卿と離れるのはすごく寂しい。けど、ここで自分を甘やかせば、きっと後悔する」
「……わかった。汝の努力が実ることを祈っている」
「ありがとう」

 彼を引き止める言葉を胸にしまい込み、なんとか搾り出した台詞にエイトは柔らかく笑む。
そのあともしばらくシュユの手をぎゅっと握っていたのだが、やがて彼の小さな手は静かに離れていった。



一人で眠るのはずいぶんと久しぶりだった。
 いつもはすぐそばで寝息が聞こえるのが、今日はシュユの吐息の音だけが耳に入ってくる。エイトの小柄な身体を抱きしめる腕も、今日は抱きしめる相手がいなくて物足りなさを感じてしまう。
 ひんやりとしたシーツの感触。音のない暗闇。長年の就寝時の環境に戻っただけのはずなのに、シュユは落ち着かずなかなか眠ることができないでいた。
 特に早く眠る必要はないのだが、それでもぼうっと横になっているのでは暇を持て余すため、さっさと眠りに落ちて朝を迎えたい。しかし、眠ろうと思えば思うほどに意識は冴えるばかりで、一向にまどろみが舞い下りることはなかった。

(エイトはまだ勉学に励んでいるのだろうか? まだ若いから少しの無茶は大丈夫とは言え、あまり無理はしてほしくない……)

 短期間とは言え、同じ部屋で暮らしていれば相手の性格も見えてくる。エイトは歳の割にずいぶんと落ち着いていて、真面目な努力家だ。その反面で負けず嫌いな一面もあり、この間はクラスの男子たちに身長が追いつかないことをぼやいていた。
 きっと今回のテストに対する姿勢も真面目なだけではなくて、粗方前回のテストで張り合っている相手に負けてしまったなどの理由があるのだろう。

(エイト……)

 彼のまだどこか幼さの抜け切っていない顔を思い浮かべながら、心の中でその名を呟く。
 無音の室内に対し、シュユの心は珍しく騒がしかった。何か感情が生まれ、それが平穏な心中を動き回っていることはわかるのだが、その感情がいったい何なのかシュユにはわからない。
 物足りないのではない。いや、もちろん物足りなさも感じてはいるが、もっと深くて重い何かが胸の内に蹂躙していて、それが、眠気が来るのを妨げているのだ。

 そうしてシュユはその日、朝日が昇る頃まで眠りに就くことができないのであった。


 ◆◆◆


 ふと時計に目をやると、時刻はすでに新しい日付を迎えている。今夜は勉強もこの辺にしておくかと、エイトは机を離れてベッドに横たわった。
 久しぶりの一人きりのベッド。愛する人が隣にいないベッドは妙に寒々しく、急に寂しさが湧き上がる。

 エイトがこんなにも恋心を爆発させた相手は、過去に一人としていない。小さな恋はいままでも何度かあったかもしれないが、こんなにも心が掴まれ、強烈に愛していると思ったのはシュユ卿が初めてだ。
 きっかけは、任務中に強大なモンスターに襲われ、ピンチに陥っているところを助けられたことだった。颯爽と現れた影は、何も言わずにエイトとモンスターとの間に立ちはだかり、一瞬の内にそのモンスターを撃破した。
 短い銀髪。こちらを振り返った顔はまだ若いがエイトよりは間違いなく年上で、生々しい傷跡が左目の上から頬にかけて走っている。背は高く、身体つきは決して太くはないが、がっしりとしていることが服の上からでも見て取れる。

(かっこいい……)

 堀の深い顔立ちに、彼が放つ空気に、エイトは一瞬にして心を奪われた。
 世の中には吊り橋効果という言葉が存在するが、あれから何日経ってもエイトの心に生まれた甘く熱い感情が消えることはなかったから、それが純粋な恋心だと自覚せざるを得なかった。

 相手がルシであるということは出会ったその日に気がついていた。しかし、身分すらどうでもよくなるくらいにエイトの気持ちは膨らんでいき、ついに抑えきれず告白するに至ったのである。

 玉砕を覚悟していたのに、シュユ卿の返事は割と前向きなものだった。
 いきなり一つ屋根の下で暮らすというのは少し性急すぎる気もしたが、確かに互いのことを知るには一番手っ取り早い方法である。

 初めてシュユ卿と同じベッドで寝た日、興奮してなかなか眠れなかった。手を伸ばせばすぐに触れられる距離に好きな人の存在を感じて、よこしまな妄想をせずにはいられなかった。
 やろうと思えばできたことを我慢したのは、エイトがシュユ卿に対して心からの繋がりを求めているからだ。
 身体から始まる愛があるというのを耳にしたことがあるが、そういうものは身体の繋がりがなくなれば気持ちもなくなってしまう――とエイトは勝手に思っている。そんな寂しい関係なんか嫌だ。

 シュユ卿が自分のことをどう思っているのかはわからない。だが、あらゆる感情が欠如している中で、エイトの気持ちを理解しようと努力しているのはなんとなく伝わってくる。それがひどく嬉しくて、幸せに感じる瞬間でもあった。

(まだ離れて一日目だというのに、こんなにも寂しい……)

 さっきまで勉強に集中していたためにどこかに飛んでいっていた気持ちが、エイトの胸に舞い戻ってきて、身体に熱を持たせ始めている。特に下腹部にある男性独特の器官は、痛む胸に連動して疼いていた。
 エイトはもぞもぞと寝間着と下着をずり下ろし、自分の気持ちを忠実に表したそれをそっと握る。

「シュユ卿……」

 あの男らしく精悍な顔立ちを思い出すだけで、浅ましく高ぶったあそこがじんと痺れる。指の腹で先端を弄っていると、すぐに先走りで濡れた。
 毎日のように目にしたシュユ卿の裸。猛獣めいた筋肉質な身体にエイトはいつも興奮させられ、理性が吹っ飛んでしまうのではないかと不安に駆られることもあった。
 しかし、残念ながらエイトが見たのは彼の上半身までで、下着に隠されたそこを見る機会はなかなか訪れない。

(きっと、そっちのほうもすごいんだろうな……)

 どんな形で、どんな色をしているのだろう? 勃起したらどれくらいの大きさになるのだろうか?
 直に愛撫して、大きくなったシュユ卿のものにしゃぶりつく自分の姿を容易に想像できてしまう。それを浅ましいと思いながらも、どうしようもなく興奮していることに目を背けることはできない。

「はぁ……あっ……」

 自分のよりも一回り大きな手にいろんな部分を攻められ、自分がしたようにフェラチオされ、ふと顔を上げた彼と目が合うと、どちらともなくキスをする。いやらしい本から得た知識を総動員させ、そんな妄想をしているうちに絶頂が迫ってきた。

「シュユ卿っ……あっ!」

 しばらく自分ですることがなかったせいか、迸った精液は顔まで飛び散ってきて、一息ついたあとにそれをティッシュで拭い取っていく。
 実らない恋ではない。かと言って、必ずしも実る恋というわけでもない。自慰の後の独特な罪悪感に苛まれる中で、不安な気持ちが心の隙間から染み出てくる。

(気持ちが通じ合ったら、どれだけ幸せだろう……)



続く……









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