06. 近くに感じる、満たされていく




「ネシェルに行ってこようと思うんだ」

 久しぶりのエイトとの食事。いつもは二人の間にあまり会話はないのだが、二週間近く顔を合わせていなかったせいか、この日は話題が尽きなかった。

「あちらで任務があるのか?」

 シュユはあまり覚えていないのだが、確かエイトが初めてシュユを見たのはネシェル地区での任務の最中だったと話していた。それもつい一か月と少し前の出来事だから、あんな極寒の地に任務で頻繁に行かされるようでは、候補生たちも堪ったものではないだろう。

「いや、プライベートで。リベンジしたい魔物がいるんだ。ほら、以前オレが追いつめられていたときにシュユ卿が助けてくれただろう? あのときの魔物」

 わざわざネシェルまでリベンジしに行く辺り、本当に負けず嫌いなのだと思い知らされる。

「それで、自信がないというわけじゃないんだが、万が一ということもあるから一応シュユ卿にも同行してもらいたい。いいか?」
「問題ない」

 エイトに頼まれずとも、ちょうどいま彼の身を案じて自分もついて行こうかと考えていたところだ。

「よかった。リベンジが済んだらバズに泊まって、美味いものでも食べて、ゆっくりしたいな」
「どうしてそんなに嬉しそうな顔をしている?」
「だってシュユ卿と二人でちょっとした旅行ができるなんて、これほど楽しみなことなんてない」

 子どものように感情のすべてを乗せた笑顔を見せるエイト。それを見たシュユもまた、ほんの少しだけ自分の顔が綻んだような気がした。
 離れていた間の時間が、あっという間に埋められていく。物理的な距離は以前と変わらないはずなのに、以前よりもエイトの存在をずっと近くに、ずっと大きく感じるのはなぜだろう?
 それが、シュユ自身の心が彼に近づこうとしているためだと気づくのは、もう少し先の話である。



「シュユ卿はチョコボの乗り方わかるのか?」

 そう訊ねてきたのは、エイトと同じくらいの背丈をした少年だった。朱色のマントを巻いていることから、おそらくエイトと同じクラスに所属しているのだろう。チョコボを撫でる手つきはこれでもかというくらい丁寧で、それ以上に彼の目は子ども思いの母親のような優しさを灯している。

「大丈夫だ。問題ない」

 エイトとの小旅行もついに当日を迎えた。ネシェルまでの移動手段として、最初はシュユのルシとしての力を駆使して空をひとっ飛びしようと思っていたのだが、それでは旅のおもしろみが半減するとエイトに一蹴され、結局チョコボを使うことに決まったのだった。
 その移動用のチョコボを選んでくれたのが、先ほどのエイトの学友である。チョコボの飼育係を担っているらしく、彼に任せておけばきっといいようにしてくれると、エイトはチョコボに関して彼のことをかなり信頼しているようだった。

「この二羽はここにいるチョコボの中では一番体力があるんだ。寒さにも強いし、バズくらいまでだったら余裕だと思うよ」
「助かったよ、エース。ありがとう」
「気をつけて行って来いよ」

 手を振って別れる少年たちを尻目に、シュユは自分が騎乗する予定のチョコボの瞳を覗き込む。
 淀みのない、まるで晴天の空のような青色をした瞳の奥に、果たして感情は存在するのだろうか? それとも自分と同じで空っぽなのだろうか?
 いや、とシュユは首を横に振る。自分は空っぽなどではない。少しずつだが確実にいろんな感情を取り戻してきている。どうしようもないくらいに自分を苦しめた嫉妬心、そしてその根源であるエイトを大事に思う心。そんなものが自分の胸の中にはちゃんと存在している。

「行こう、シュユ卿」

 そんな大切な感情の数々を少しずつ取り戻すきっかけを与えてくれた少年が、シュユにそう告げる。炎のような色をした彼の瞳は、これから始まるたびに大きな期待を抱いているのか、いつもより輝いて見えた。
 そうして二人はそれぞれのチョコボに跨り、初めての逢引き――と言うには目的があまりに血生臭いが、そんな感じの旅が始まった。

 メロエの辺りまではルブルム地方とそれほど気候の違いは感じられなかったが、そこから南西に進むにつれて、吹きつける風が段々と冷たさを増してきた。遠くに見えるクリモフ山の頂上を覆っているのはきっと雪雲なのだろう。
 そして予想どおり、ネシェル山道を抜けた先には、どこまでも続く真っ白な雪原が広がっていた。寒さのレベルも凍える程度のものから肌が痛くなるようなものに変わり、シュユも堪らず身を震わせる。ただ、思っていたよりも降雪は少なく、この時間は視界も良好で、朱雀領では滅多に見られない白銀の世界を目で楽しむことができた。

「エイト、大丈夫か?」
「ああ、まだまだ余裕だ。しかしチョコボのほうが少し心配だ」

 ネシェルに入ってから積もった雪に足をとられ、それが体力消耗に繋がっているのか、二羽のチョコボは少しペースダウンしてきている。

「少し休ませよう」

 といっても辺り一面雪だらけで、休憩に適している場所は見当たらない。もう少し進んだところに森があるはずだから、チョコボにはそこまで我慢してもらおう。そう提言しようとしたとき――

「シュユ卿!」

 エイトの鋭い声が白い息とともに吐き出される。そしてその声に見合った鋭い目――視線を辿ると、雪原の中にひょっこりと浮かび上がる白い突起物が目に入る。
 おおよそ三メートルくらいの高さだろうか。最初はてっきり木が生えていて、そこに雪が降り積もっているのかと思ったが、よく見ればそれは緩慢であるがちゃんと動いている。
 白いのは雪ではなく、全身を覆う毛並だ。強靭そうな肉体に前肢の先には鋭い鉤爪、そこらの魔物とは比較にならないほどの強烈な畏怖を孕んだ空気をまとったそれが、そこにいた。

「スノージャイアントッ」

 憎々しげにそれの名を口にしたエイト。どうやら彼がリベンジしたいと願っていた魔物はいま目にしている巨体のことらしい。

「シュユ卿、オレ闘ってくる」

 エイトの瞳にはすでに燃え盛るような闘志が宿っている。着ていたローブやコートを脱ぎ、身軽な服装になって準備運動を始めた。

「一人で大丈夫か?」

 エイトとスノージャイアントとでは体格に差がありすぎる。あんな巨体に体当たりでもされたら、小柄なエイトは間違いなく無事では済まないだろう。それで心配するなというほうが無理な話である。

「大丈夫だ。まったく問題ない」

 しかし、小柄な少年はシュユの問いに対して余裕のある笑みを浮かべた。

「あいつに勝つためだけにこの一か月訓練をしてきたんだ。一度闘った相手でもあるし、今度はちゃんと動きを読みながら闘える自信がある」
「……そうか。ならば行って来るがいい。ただし、無理はするな」
「わかった」



 結果から言うと、スノージャイアントとの闘いはエイトの圧勝で幕を閉じた。
 スノージャイアントは身体の大きさからは想像もつかぬほどのスピードで攻撃を繰り出すが、エイトはそのすべてを完全に見切り、相手に隙ができたところに拳を叩きつけていた。
 あの小柄な身体のどこにそんなパワーが秘められていたのか知らないが、ものの五発で白い巨体は動かなくなり、エイトのリベンジは成功に終わったのだった。

「訓練した甲斐があった。いつになく達成感を感じているよ」

 そう嬉しそうに笑ったエイトの顔を見て、シュユもまた達成感――というか満足感のようなものを感じていた。

 それから夕刻を迎える前にはネシェル地区最西端の街、バズに到着することができた。
 寒さのせいだろう、外を出歩く人影はほとんどなく、街並みは発展しているのにずいぶんと寂れた雰囲気に包まれていた。
 ホテルに入るとホッとするような温かさが全身に伝わり、ようやくゆっくり休めるのかとシュユは息をついた。

「身体が冷えただろう? 先に風呂に入るがいい」

 客間に入ってすぐ、シュユはエイトにそう勧める。

「シュユ卿だって冷えただろう? オレに遠慮しないで先に入ってくれ」
「汝は戦闘をこなしたのだから、体力が消耗しているはずだ。それに我はそれほど疲れていない」
「う〜ん…………………………なら一緒に入ろうか?」

 食い下がろうとしたシュユに対し、エイトは少し恥ずかしそうな顔で提言した。

「ほら、風呂場もあんなに広いことだし、一緒に入れば時間も節約できる」
「確かに……」

 開かれた浴室のドアの向こうは、洗い場もバスタブも二人で入るには十分すぎるほどに広い。これならエイトの言うとおりに二人で一緒に入ったほうが、効率がいいだろう。

 このときシュユはまだ知らなかった。
 エイトと一緒に風呂に入ることで、自分の中に眠っていたある感情が呼びさまされてしまうことを――。



続く……









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