08. 守るべきもの、倒すべきもの




「すごい雪だな」

 ホテルを出たシュユたちを待ち受けていたのは、人の背丈を優に越える高さの雪の壁だった。道路に積もった雪を脇のほうに集めたものらしいが、昨日の夕方見たときにはこの半分にも達していなかったから、夜の内に相当降り積もったことになる。

「朱雀もこれくらい雪が降れば、冬がもっと楽しくなるのに」

 普段あまり触れる機会のない雪が名残惜しいのか、エイトは積もった雪を素手で掴み、丸めて遊び始める。しかし、どうやら本人が思っていたよりもそれは冷たかったらしく、すぐに手放して両手を擦り合わせた。

「この雪をみんなにも見せてやりたいな。持って帰ることはできないだろうか?」
「魔導院に着く前に溶けてしまう」

 現実的な答えを返せば、エイトはやっぱりそうだよな、と苦笑した。

「まあ、いいや。いい思い出もつくれたことだし、みんなには話だけ持って帰ろう。それにしても、三日なんてあっという間だったな」
「一日目と今日は移動に時間をとられてしまうから仕方ない」

 まともに旅行を楽しめたのは昨日一日だけで、それも夕方前まで吹雪だったため、町の外に出ることはできなかった。しかし、エイトの念願であったスキーは、屋内施設ではあるが結構な大きさのものがあったため、十分に遊ぶことができたのだった。

「スキーしかできなかったけど、それでも楽しかったな。シュユ卿はどうだった?」
「エイトと同じ気持ちだ」

 シュユは日頃、魔導院から出ることがほとんどない。出たとしてもクリスタルの意思に従ってルシとしての使命を果たすときくらいのもので、観光など最後にしたのがいつだったか覚えていないくらい昔の話だ。
 ゆっくりと街の様子を眺めたり、いろんな店を見て回ったりというのは、いろんな発見や得るものがあってシュユとしては非常に満足のいく旅行だった。

「また汝と来たいと、我は思った」

 それは何の嘘偽りのない、シュユの正直な感想だった。その言葉にエイトはひどく嬉しそうな顔をして、シュユの胸に額を押しつけてくる。

「最初は少し心配だったんだ。この旅行をシュユ卿が楽しんでくれるかどうか。でも、いまの言葉ですごく安心したし、嬉しかった。また絶対に来ような」
「ああ」

 そうして二人は雪に閉ざされたバズの街を後にする。衝突するようなこともあったが、結局それは互いの絆を深めることに繋がり、二人の距離はここに来る以前よりも更に縮まっていた。それが今回の旅の一番の収穫であり、またエイトとともに来たいと思えた一番の要因だ。



 最初は順調だった帰りの移動も、クリモフ山が近づくにつれて降雪がひどくなってきた。平野に入って数分もすれば天候はあっという間に吹雪に変わり、チョコボの足取りも鈍くなっていよいよ旅の続行が不可能になる。
 運よく見つけた洞穴に避難し、魔法で火を起こせば安心するような温もりと明かりが周囲を包み込んでくれた。

「ひどい雪だな。これじゃ今日中に帰るのは無理かもしれない」

 とてもすぐに止むようには思えない勢いだ。エイトの言うとおり、今日中に魔導院に戻ることは叶わないだろう。

「こういうときは下手に動かないほうが賢明だ。天気がよくなるか、明日までここに待機する」

 幸いにも食料は数日持ちそうなほどあるし、魔法で火を起こせる以上は凍死の心配もしなくていい。問題があるとすれば、この持て余した退屈な時間をどうするかだ。

「ここでじっとしているのも暇だな」

 エイトも同じ考えに至ったらしく、自分のリュックを漁り始める。

「暇をつぶせるものはなさそうだ」

 そう言って肩を落としたエイトは、今度は辺りをキョロキョロと見回す。その瞳は洞穴の奥のほうを向いて止まり、何か訝しむような表情をした。

「この洞穴、奥まで続いてるみたいだ」

 確かに奥の岩肌には隙間があるが、とても人が通れるような幅ではない。どうするつもりだとエイトに目をやれば、彼はなぜか屈伸運動をしていた。

「決めるッ!」

 そして一呼吸置いたあと、気迫のこもった声を上げて走り出す。小柄な身体は壁にぶつかる数メートル手前で空中に舞い、足を突き出して岩肌に跳び込んでいく。見事なまでの跳び蹴りが入った瞬間、破裂音を上げながら壁が粉砕し、狭かったはずの隙間が、人が通るのに十分な大きさになった。

「これで奥まで進めそうだ。やることもないし、探検してみよう」

 エイトはシュユの返事も待たず、どこか嬉々とした様子で出来立ての穴をくぐっていく。もちろんエイトを一人で行かせるわけにもいかず、シュユは何も言わずに彼の後ろをついていった。
 中には予想外に広い空間が広がっており、洞穴というよりは洞窟のようになっている。こういう場所には魔物が付き物のはずだが、どれだけ進んでもそれらしい姿は見当たらず、また気配も感じなかった。

「魔物でも出てくれれば、退屈凌ぎになるのにな」

 エイトには魔物がいない=安心して道を歩けるという概念はないらしく、どこかに獲物はいないかと目を光らせている。

「まったくいないってのも変だな。こんなに暗くて静かなところ、魔物はとても好みそうなのに」
「もしかしたら、とてつもない大物がいるのかもしれない」

 たとえばベヒーモスなどの大型の魔物が生息しているところに、天敵となる中型以下の魔物が共存していることなどほとんどない。それならこの洞窟に魔物の姿がないのも説明がつく。

「大物か〜。スノージャイアントよりも強いやつかな?」
「そうかもしれない」

 強敵が潜んでいる可能性を肯定すれば、エイトは大歓迎だと言わんばかりの笑みを浮かべる。

「いい鍛錬になるかもしれない」

 キングベヒーモス級の魔物が出現すれば鍛錬どころの騒ぎではないが、いざとなればシュユが助けに入るつもりなので問題はないだろう。だから何の躊躇いもなく足を進めるエイトを止めることはしない。

 周囲の空気が明らかに変わったのは、それから十分ほど奥に進んだときのことだった。

 奥に入っていくにつれて寒さはやわらいでいたはずなのに、そこに出た途端身も凍るような寒さに襲われた。明かりにしていた炎魔法が何の前触れもなくふっと消え、辺りは果ての見えぬ闇に包まれる。

「シュユ卿……」

 エイトも空気の変化を感じ取ったのだろう。シュユを呼んだ声には不安が滲んでいた。
 闇の中から感じるのは、底知れぬ悪意と強大な気配だ。本能的に危険な状況だと悟ったシュユは滅多に使うことのない己の武器――巨大な斧を取り出し、身構える。
 再び魔法で明かりと点けると、離れたところに人影を見つけた。ゆっくりとこちらに近づいてくるその顔を見て、シュユは珍しく驚きを隠せなかった。

「エイト……?」

 すぐそばにいたはずのエイトが、なぜあんな離れたところにいるのだ? それになんだか様子がおかしい。こちらを見つめる炎の色をした瞳には、明確な敵意が浮かんでいた。
 状況を理解できずに混乱しているシュユに向かって、小柄な身体が駆け出した。そして間合いを詰めると高々と跳躍し、先ほど岩の壁を壊したときとまったく同じ形で足を突き出す。

「やめろ、エイト!」

 制止しようと叫んでも攻撃の勢いは衰えず、弾丸のように飛び込んでくる身体はあっという間にすぐ目の前まで迫ってきた。

「シュユ卿!」

 強烈な跳び蹴りがシュユにヒットする直前、聞き慣れた声が耳朶と叩くと同時に、眼前に迫っていた小柄な身体が横に吹っ飛んだ。代わりにそこに降り立った人物を見て、シュユの頭は更に混乱してしまう。

「エイト……?」

 シュユの呟きに頷いた顔は、いままさに攻撃を仕掛けてこようとしていた少年のそれだ。しかし、こちらはシュユのよく知る空気をまとっており、敵意も感じないことに人知れず安堵する。

「しっかりするんだ、シュユ卿。あれはオレじゃない。魔法か何かわからないけど、敵はオレたちと同じ姿をしているみたいだ」
「たち……?」

 小さく頷いたエイトの視線を辿れば、そこにはもう一つ、ちょうどシュユと同じくらいの背丈をした人影があることに気づいた。闇に塗れてよく見えないが、おそらく自分とまったく同じ顔をしているであろうことは想像がつく。

「オレはこっちのオレみたいなやつを担当するから、シュユ卿はあちらを頼む」
「わかった」



続く……









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