03. 甘えていたい

 出発が遅かったために、東ダルマスカ砂漠に荷物を届けてレックスがラバナスタに帰って来た頃には、景色は夕暮れに染まっていた。
 この時間帯になると日中は蒸し暑いラバナスタにも涼しい風がやって来る。背を押すように吹きつけるその風を感じながら、レックスは東門への真一文字の道をゆっくりと歩いた。
 黄昏たそがれに包まれた広場もさすがに人通りが少ない。絶え間なく響き渡る噴水の水音が、寂しさをよりいっそう引き立てている。
 レックスはひんやりとした噴水の縁に腰掛けた。そのときに着いた手が誰かの手に触れて、慌てて立ち上がる。

「す、すいません」

 誰かが先に座っていたなんて気づかなかった。振り返って頭を下げた先、座っていたのは銀髪の青年。白っぽい色の肌、そして誰もが一度は見惚れるであろう美貌。それはレックスの知る人物だった。

「ラスラさん?」

 声をかけると、俯いていた美男子――ラスラは顔を上げた。レックスのことが分かったのだろう、昨日と同じ優しい微笑みを浮かべる。だが、その微笑みはどこかうれいを帯びているような気がした。

「レックス……。また会えるとは思わなかった」
「俺もです」
「昨日は君のおかげで会談に遅れなくて済んだよ。本当にありがとう」

 いえ、とレックスは苦笑する。実際、王宮まで道案内するのは一本道の迷路を行くより簡単なことだ。お礼を言われるほどのことでもない。
 そんなことよりも、ラスラの微笑みに元気がないのが心配だ。本人は普通に笑っているつもりなのかもしれないが、わずかながらかげりがある。

「……なんか元気ないですね」

 声に出してみると、やはりラスラは微笑む。まるでその表情が常であるかのように……しかし哀愁だけは拭えていない。

「ちょっと疲れてるだけだよ。ナブディスからここに来るまでの旅と、会談でね」

 ナブラディアの首都ナブディスからラバナスタまでは、飛空艇ひくうていを使えばさして時間もかからないのだが、彼はわざわざ陸地をチョコボに乗ってきたのだという。疲れないわけがない。
 だが、その美貌に哀愁を漂わせているのはそれだけではなかろう。どこか思いつめたような色がこげ茶の瞳に浮かんでいるのだから。

「あの、俺でよければ相談に乗りますよ?」

 おせっかいかもしれないと思う反面、この美男子を放っておけないとかたくなに思う自分がいる。

「ほら、悩みって人に話せばすっきりするって言うでしょう? 遠慮しないでください」

 ラスラの瞳がかすかに揺れた。内心で、自分の悩んでいることを打ち明けようかどうか吟味しているのだろう。

「……結婚させられそうなんだ」

 その揺れる瞳が足下に留まったとき、彼のまぶたが少しだけ陰を落とした。哀愁さえも美しく見えてしまう容貌は、慈悲深い天使のそれを彷彿ほうふつとさせる。

「意思のない結婚。父上やあのお方は私を無理やり結婚させようとしている」

 貴族の間では互いの家の勢力や権力を高めるための政略結婚がごく当たり前のようにあるという。そして目の前の彼も貴族の一員、親の政略に巻き込まれてしまったというわけだ。
 自分でも気づかぬうちにラスラの隣に座っていたレックスは、丸くなった彼の背中を優しくさすってやった。

「国のためには結婚したほうがいいとは分かっている。けど、私はどうしても好きでもない人と結婚なんてできないんだ」

 小さく、寂しさをはらんだラスラの声が胸に痛い。それは無理やり結婚させられそうになっている彼に対しての同情でもあったし、ただ聞くだけで何もしてやれない自分の無力さを自覚したせいでもある。政略結婚など、決して手の届かぬ世界の中で繰り広げられる劇なのだから。
 そこまで思って、レックスは彼の言葉にとてつもなく偉大なものが紛れ込んでいたことに気づく。

「国のためって……」

 国に関わるような結婚ということは、彼は相当な権力や財産を持った貴族なのだろうか?
 訝しむような視線に気づいたラスラが力のない目を上げた。

「私は……こう見えてナブラディアの第二王子なんだ」

 静かに告げられた言葉は、雨の代わりに爆弾が降ってくるくらいレックスを驚愕きょうがくさせた。背中をさすっていた手を離すことも忘れ、変な表情のまま硬直してしまう。
 こう見えても、と彼は言葉を付け足していたが、その美しい容姿は一国の王子にふさわしい。初対面のときからそう思っていたものの、まさか本当にそうだとは思いもしなかった。

「ご、ごごごめんなさい!」

 ただの貴族ならさっきみたいに身分を気にせずそばにいただろう。しかし王族とあれば別である。自分のような小汚い市民など近寄ることすら許されない。
 無礼講にも背中に触れたままだった右手をさっと引くと、慌てて立ち上がろうとするが――

「そのままでいて。頼む」

 ラスラの白い手に腕を掴まれてそれは結局叶わなかった。

「でも俺みたいなのが近くにいちゃ――」
「いいんだ。今はそばにいてほしい。それともレックスは私といるのが嫌なのかい?」
「そ、そんなことないですっ!」
「じゃあ離れないで。今は君に甘えていたいんだ」

 王子にここまで懇願されて断れる者が果たしているだろうか? しかも半ば泣き出しそうな表情で。
 レックスは手を引かれて、結局ついさっきのように彼のそばに座ることになる。

「……このまま結婚してしまえば、私はずっと縛られたままで苦しむと思う。けど、断ればダルマスカとナブラディアの同盟の結束が堅くならないし、父やラミナス陛下にも申し訳ない」

 二つに一つ――しかしどちらを選択しても、ラスラにとってはいばらの道を歩むこととなる。悩むのも無理はない。もしもレックスがラスラと同じ立場だったら、やはり同じように悩んでいただろう。

「……俺にはなんとも言えません。そんな大事なこと、俺が選んじゃいけないから。相談に乗るとかデカいこと言って、何もできてないですね。ごめんなさい」
「いいんだ。話しただけでも少し気が楽になったよ。それだけで十分」

 ラスラが浮かべた微笑みは、少しだけ元気を取り戻したように見えた。

「これは私自身が決めなければならないことだから。でもどうせなら――」

 急に肩が重くなったかと思うと、そこには夕日に染まった銀髪が乗っかっている。
 レックスは鼓動が速まるのを感じた。自分とはまったく違う立場に、しかもレックスがどれだけ手を伸ばしても掴み取ることのできない地位にいる人間にすがられたことへの驚きと、そしてそれ以外の何か――思わず抱きしめてあげたくなるような衝動。
 伸ばした右手はラスラのたくましい身体を引き寄せている。

「王族になんか生まれたくなかったな……」

 レックスに身を預けた王子頬を一筋の光が伝った。それが涙なのだと分かったとき、手ぶらだった左手が自然と彼の身体に伸びて、苦しさに沈みかけていた一人の男を抱きしめている。
 このときレックスは初めて知った。王族だからこそ直面する強大な壁があることを。小さい頃から王族に憧れていた思いと、華やかな暮らしだけが王族のすべてであるという固定概念が消えて、彼らもまた自分たちと同じ“人”なのだ、と初めて知った。

「こんなふうに誰かに甘えたの初めてだ。温かいな」

 こんなふうに甘えられたのは決して初めてではないが、ラスラに甘えられるとドキドキするのを抑えられない。それは彼が王族の人間だからというのもあるし、彼の容姿が奇跡そのもののように美しいから、というのもあった。

「少しの間こうしていてもいいかい?」
「いいですよ」

 ありがとう、と小さく囁いたラスラは両手でレックスにしがみついた。抱きしめ合った形となった二人は、はたから見れば同性愛カップルに見えるかもしれない。しかしレックスは気にしなかった。この大きな温もりを放すのが惜しいから……。







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