04. お客さん

 ふと気づくと、辺りはいつの間にか夜の闇に染まっていた。古い街灯の白光が噴水の縁の腰掛けたレックスたちを照らしている。決して眠っていたわけではないのだが、ぼうっとしているうちに時間が過ぎていったらしい。
 レックスの肩にすがりついていたラスラは静かな寝息を立てている。無防備に夢の世界へ陥ってしまった彼の寝顔は同性と言えど、ずっと見ていると変な気を起こしてしまいそうだ。
 
「それにしても、これからどうしたらいいんだろう……」

 せっかく気持ちよさそうに眠っているのを起こすのは悪い。だからと言って朝までここにいるわけにもいかないだろう。ラスラはラバナスタ王宮に招かれたナブラディアの王子、夜になっても帰ってこない彼の身を案じて王宮は捜索隊でも立ち上げているのではなかろうか。それにレックスにだって帰る家があるし、待っている人がいる。
 帰るに帰れず、と困り果てていたとき、肩に圧し掛かっていた重みが急に消えた。ラスラが目を覚ましたのである。

「……もう夜か」

 眠気をたっぷり含んだ声がレックスの耳を掠める。

「すまない。あんまりに心地よかったから眠ってしまった」
「あ、いえ。気にしないでください。それより早く王宮に帰らないと、皆さんが心配してるんじゃないですか?」
「……うん」

 少し間があって曖昧な肯定があり、しかも視線がそれとなくらされたことから、おそらく彼は王宮に帰ることが億劫おっくうになっているのだと予想がつく。政略結婚を熱烈に求めるラミナス国王には顔を合わせ辛いだろう。それに、あそこには政略結婚の相手だっているのだから。

「あの、よかったらうちに来ませんか?」

 え、と上がった声は疑問符だったが、その顔は希望のともしびでも見つけたかのように輝いている。

「ダウンタウンにあるんです。古くて汚くて居心地悪いかもしれないけど、王宮よりはきっと安心できると思います」
「でも……迷惑じゃないのかい?」
「ぜーんぜんっ! むしろ大歓迎です」
「ご家族は?」
「二つ下の弟がいるだけです」

 弟と二人で暮らすには少し広すぎる家だ。一人客が来たところで困ることはない。尚も遠慮しようとするラスラにレックスが人のよい笑みを向けた直後――。
 いきなり視界が真っ暗になったと思ったら、ラスラに抱きつかれていた。しかもその勢いで押し倒されてしまっている。はたから見れば微笑ましいような、あるいはとてつもなく恥ずかしいような状態だ。

「君は本当に優しいな」

 自分が相手を押し倒していることも気にせず、ラスラはレックスを賛美している。その無防備な姿だけは彼の身分を忘れさせ、急に親近感を湧かせた。



「――何やってたんだよ兄さん。心配したぞ」

 帰宅して早々、弟の金切り声に近い声が耳に突き刺さる。安心したように息をつくが、レックスの背後の人物に気づいて眉をひそめた。

「誰だよそいつ」

 彼があごで差したのは他でもない、レックスの後ろでそわそわとしているラスラである。

「友達だよ。ちょっと親とトラブっちゃって、今日はうちに泊めてあげることにした」

 ラスラの身分は明かさないほうが賢明だろう。口が軽い弟のことだ、王子が泊まったんだぜ、と近所に自慢して回るに違いない。もしくは彼の身分を怪しんで一晩中疑問をぼやくか。

「……まあ友達なら別にいいけどさ。でも寝るとこないよ」
「俺が床で寝るから大丈夫」

 さすがに客人を、しかも一国の王子を床に寝させるわけにはいかないだろう。しかしラスラは、駄目だ、と首を横に振った。

「無理に泊めてもらってるのはこちらのほうだ。君が自分の寝床を使って」

 そんなの駄目です、とレックスは言うが、ラスラは頑なに拒否し続ける。

「気にしないで。私はどこでだって眠れる」
「でも悪いです。だってあなたは――」

 王子なのに、と言いかけたところでラスラに口をふさがれ、肩に手を置かれた。間近に感じた彼の熱に少しドキドキしながら、次の言葉に耳を傾ける。

「君、名前は?」

 彼がそう訊ねた相手は厳しい視線でレックスたちの様子を見ていた弟。背の後ろにいるためにラスラの表情は見えないが、おそらく人のよい笑みを浮かべていることだろう。それが彼の常の様子である。

「オレはヴァン。あんたは?」
「私はラスラ。――ヴァン、君は本当にいいお兄さんを持ったね」

 優しい声音で囁かれた言葉に、レックスは自分の顔が紅潮していくのを感じた。“いいお兄さん”と褒められたのが、過去にそう言われたことのないせいか恥ずかしい。
 ラスラは赤くなってしまったレックスの様子には気づくこともなく、いつの間にかヴァンの目の前に移動している。

「レックスにそっくりで可愛いな」
「か、かわっ……!」

 おそらくラスラ本人は何の悪気もないのだろうが、実際ヴァンは完熟トマト並みに顔を赤くしてしまっていた。視線を下に落としてしまったところから、それは恥ずかしさゆえのことだと推測できる。
 レックスにそっくりで可愛いということは、彼の目にはレックスのことも可愛く見えているのだろうか。もしかしたら視覚に何かしら障害があるのかもしれない。
 そんな疑いをかけられているとも知らぬラスラは、喋らなくなってしまったヴァンの頭を撫でている。隣家のカナルにすら撫でられることを嫌がっていた弟が初対面の他人に大人しく撫でられている様子は珍しく、そして微笑ましい。

「ふ、風呂入れよ。お湯入れてあるから」

 視線を上げることなく、ただ風呂場のほうを指差したヴァンにラスラはありがとう、と一言告げてそちらに向かう。

「あ、着替えとかどうしましょうか?」

 着の身着のままここに来た王子に当然着替えの衣服などない。今日着たものをまた着るのは居心地悪かろう。しかしレックスとヴァンの服ではラスラにはサイズが小さくて着られない。
 どうするべきか、と考えていたとき、ふと隣人の顔が頭に浮かぶ。大柄なカナルの服なら着られるのではなかろうか。

「隣行って取ってきます。王子は風呂に入っててください」
「え、いや、いいって」

 慌てて拒否しようとしていたラスラを無視してレックスはすでに家を出てしまっている。
 ラスラは遠慮しすぎだ。王子ならもっと身分を盾にわがままを押し付ければいいのに。彼は身分を盾にするどころか、自分の身分も忘れて頭を下げたりたかが一般市民のレックスたちを尊重したりして自分を犠牲にしていようとしている。
 だからこそ政略結婚をするしないにも迷うのだろう。自分の親やその他の身内の者、そしてナブラディアとダルマスカのことを尊重して、自分を犠牲にしてしまう。
 いっそ自己中心的なほうがきっぱりと決められてよかったかもしれない。だが――彼がもしもそんな性格だったら、彼との出会いは間違いなくなかった。あんな性格だからこそ出会えた、まさに奇跡や運命と称せよう。

(でもなんだろうな……この落ち着かない感じ)

 ラスラと打ち解けあい、安堵したと思ったらこの激しい動悸どうき。彼が王族だから、というのも一つの理由だが、それ以外の感情も芽生え始めている気がする。

(でもなんだろう、これ)







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