純白のドレスに身を包む。いつかは自分も着てみたい、と小さい頃から憧れていて、その願いを今日叶えることができた。鏡に映った自分のあまりの変貌ぶりに戸惑う。だがそれは一瞬のことで、ユウナの胸の中は嬉しさで溢れかえった。

「ユウナさん……すごく、綺麗です」

 鏡越しに目を合わせた青年が穏やかな微笑みを浮かべて、そう言ってくれる。

「そうかな?」
「ええ。天使みたいです」

 青年――ツッチー・アイガシードの大袈裟おおげさな発言にユウナは苦笑し、だがやはり嬉しくて笑みをこぼした。

「ありがとう。ツッチーもタキシード、すごく似合ってるよ」

 さっぱりとした短い黒髪に少しあどけなさの残る顔。そして黒縁眼鏡という彼のスタイルは高校時代から変わらない。中身もあのときのまま、誠実で優しい彼のままでいる。

「私たち、結婚するんだね」

 そんな彼にユウナは恋をして、実はツッチーもユウナに想いを寄せていて、互いにそれが通じ合ってから二人はずっと一緒にいる。時には喧嘩をすることもあったけど、数分後にはどちらともなく謝罪の言葉を口にして、また笑い合える関係に戻った。
 そうして五年の交際を経て、二人はついに結婚する。

「いろいろあったね」
「そう、ですね」

 いろいろ、に含まれる数々の出来事が脳裏をよぎる。だがよぎるだけに留まらず、頭の中ではっきりと再生される思い出が一つだけあった。一生忘れることのない、二人にとって特別な思い出が。






 ユウナ日記―Second line






 この一言を口にしたら、ユウナの母はいったいどんな反応を示すだろうか。そんなことは分かりきっている。まるで自分のことのように喜んでくれるに違いない。
 リビングでテレビを見ていた彼女の正面の席に座り、ユウナは決意したようにゆっくりと口を開いた。

「お母さん、私結婚することにした」

 ええ、と母は驚いたように目をみはる。しかし案の定、すぐに嬉しそうな微笑みを浮かべて、おめでとう、と言ってくれた。

「そっか、ユウナもついに結婚か〜。もちろんツッチーくんだよね?」
「他に誰がいるんだよ」

 母は何度かユウナの恋人と顔を合わせている。彼の礼儀正しさをずいぶんと気に入っているようだったから、結婚することに対して異論はないらしい。

「式はいつにするか決めたの?」
「それはまだだよ。プロポーズされたばっかりだもん」
「そうよね。でもあれじゃない、小さい頃から憧れていたウエディングドレスをついに着られる」
「あ、そうだね」

 親戚や知り合いが結婚するたびに目にした、あの純白な衣装。まるで天使のような装いに昔からずっと憧れていた。

「お母さんもウエディングドレス着た?」
「もちろんよ。あ、確か写真がどこかに……」

 そう言って母はおもむろにタンスを開けっ放し、ガサゴソと中を探り始める。

「あ、あった」

 そうして探り当てた厚めの冊子をユウナ渡された。
 開いてみると、若かりし頃の父と母の写真が片面に貼られていた。純白のドレスに身を包んだ写真の中の母は少し気恥ずかしそうな笑みを浮かべ、その隣では黒のタキシードで決めた父が穏やかに微笑んでいる。

「お母さん綺麗だね。というか、今とあまり変わらないね」
「ええ、そうかな?」

 母だけでなく、父もそれほど変わっていない。あの独特の柔らかい雰囲気が写真からでも伝わってくる。

「お父さんにもちゃんと報告しなきゃ駄目よ」
「そうだね。なんだか緊張するな〜」
「仏壇相手に緊張してどうするの」

 仏壇、という母の言葉にユウナは悲しさを感じずにはいられなかった。
 父ブラスカはもうこの世にいない。そして彼を殺めたのは他の誰でもない、ユウナ自身だった。あの懐かしいひまわり畑の、あの枯れ木の下で微笑む父に刃を向けた。
 あのときの自分の選択は間違っていなかったと思う。父の命を失うことにはなったけど、破壊衝動に溺れかけた彼の心を取り戻すことはできた。だから最後には二人笑い合って別れることができたのだ。
 母は異世界でユウナと父との間にあった出来事を知らない。何があったのか、と訊いてくることもなく、ユウナの体験した冒険の話に耳を傾けるだけだった。いや、もしかしたら何もかもを知っていたのかもしれない。

「私、先に荷物置いてくるね」

 ユウナは冊子を閉じると、仕事の鞄を持って二階の自室に向かう。ドアを開いたちょうどそのとき、ポケットの中の携帯が着信を知らせるメロディーを鳴り響かせた。

「あ、リュックからだ。――もしもし」

 高校からの友人である彼女と話すのもずいぶんと久しぶりだ。

『おっす、ユウナん久しぶり! 元気してた〜?』
「うん、元気だったよ。リュックも相変わらず元気そうだね」

 電話口からも窺える、リュックのテンションの高さ。彼女が元気にしていなかった日などあっただろうか。

『ユウナん最近全然電話もメールもくれないからさ〜、思い切って掛けてみたよ』
「ごめ〜ん。最近いろいろ立て込んでてさ〜。あ、そうだ。リュックに知らせないといけないことがあった」
『何々〜?』
「私、結婚することにしたの」
『おお! おめでとう!』
「あれ、あんまり驚かないね?」
『いや〜、そろそろそういう時期かな〜って思ってたから。相手はもちろんツッチーだよね?』

 リュックはユウナたちの交際を原点から知っている。だから彼女にとって二人が結婚するという展開は当たり前のことだったのかもしれない。

『でもうちのアニキ悲しむだろうな〜。ユウナんのことすごく気に入ってたし』
「アニキさんにもきっとそのうちいい人が見つかるよ。リュックにもね」
『なんか今おまけ的な感じしたんですけど。――あ、噂をすればなんとやら。こっちから掛けてきて悪いけど、アニキが呼んでるからまた後で掛け直すね』
「うん、分かった。じゃあまた後で」

 通話を切る直前に電話口の向こうから聞こえた嬌声は、おそらくリュックの兄のものだろう。自分のことを可愛がってくれた彼には少し申し訳ないが、ユウナにはツッチーしかいない。同じ苦しみを味わい、同じ敵に立ち向かい、同じ時間をあちらの世界で過ごした特別な人だから。

「あ、お父さんに報告するんだった」

 リュックとの電話ですっかり忘れていた、大事なこと。ユウナは携帯を机に置くとすぐに階段を下りる。
 下りてすぐの、仏壇のある和室の戸を開けようとしたとき、中から母の声がしてその手を止めた。

「あなた……ユウナが結婚するそうです」


■続く■



inserted by FC2 system