「――あなた……ユウナが結婚するそうです」

 一人語り出した戸の向こうの母の声に、ユウナは耳を傾ける。

「私たちが結婚したときよりも若いのよ。本当に驚いちゃった。気になる相手のことだけど、私に似て見る目があるのかしら。あなたみたいに優しそうで、ユウナをとても大切にしてくれてます。名前はツチノコ……じゃない、ツッチーくん」

 何やら一部おかしな言動があるが、いつもの母にはよくあることだ。こうして母が語るのを聞いていると、自分の話し方は彼女に似たのだとよく分かる。

「安心してください。あの二人ならきっと幸せになれるわ。私たちのように。なんと言ってもユウナは私とあなたの娘ですから」

 いったい何を根拠にそんなことを言っているのか、少しおかしくてユウナはこっそり笑った。

「あなたが生きていたら、きっととても喜んだでしょうね。もちろん私も嬉しいよ。だって、あの子が幸せを見つけられたんだから――」

 嬉しい、という言葉とは裏腹に、その声色は少し沈んでいるように思えた。昔の嫌な思い出でも思い出してしまったのだろうか、と考えたとき、鼻をすする音がしてユウナははっとなる。

(お母さん、泣いてるの……?)

 少し遅れて聞こえてきた、小さな嗚咽おえつ。母が泣いている姿を知らなかっただけに、ユウナが受けた衝撃は大きい。

「寂しいよ。あなたがいなくなって、ユウナもいなくなったら、私独りになっちゃう。祝ってあげるべきなのに素直に祝えないよっ」
(お母さん……)

 確かに、ユウナがこの家を出て行けば夫を失った母は独りになってしまう。一度異世界で独りぼっちになったユウナは、その壮絶な寂しさをよく知っている。

(だけど違うよ、お母さん……)

 ユウナはそっと戸を開けた。そして、大粒の涙を零しながらこちらを見上げた母を優しく抱きしめる。

「お母さんは独りじゃない。この家を出ることになっても、私毎日ここに来るから。それに心の距離はいつになっても変わらないよ。私はお母さんの娘だもん」
「ユウナ……」

 物理的な距離は離れたとしても、親子という固い絆は互いの心の距離を広げたりなどしない。ユウナが生き続けている限り、母は一人でも独りでもないのだ。

「お父さんだってそうだよ。ずっと私たちのそばにいる。それで、ずっと優しく笑ってるの」
「そうだね。うん、絶対にそう」

 ――ユウナたちのことを見守っているよ。
 信じている。消える直前に父が言ったその言葉を。そしていつまでも自分たちのそばに寄り添っていてくれることを。
 ――母さんを守ってあげなさい。
 そして最後に交わした約束。この世からいなくなってしまった父の代わりに母を守り抜く。だからお父さんもお母さんも安心して。腕の中に泣き崩れた母と、仏壇の中で微笑む父を交互に見て、ユウナは心の中で呟いた。


 ◆◆◆


「――デリア、エステル、クルドさん、テュールさん、王様、ティーダ、ミステイクのみんな」

 遠い異世界で出会った仲間たちの顔を思い出すと、ユウナは懐かしいと感じると同時に切なくなる。

「ユウナさん……」
「分かってるよ。何度思い返したってあの人たちにはもう会えない」

 寂しげに眉をひそめたツッチーに、ユウナは鏡越しに苦笑する。

「でもなんだか最近、すごく会いたいんだ。会って五年間のこといろいろ話して、いろいろ聞いて、それで結婚の報告をするの」

 そしてみんなに祝福されたい。彼らとはそんなに長い付き合いではなかったけれど、ユウナを姉妹のように思ってくれたデリアとエステル、少しやらしいけど優しかったクルド、少しどころか大変やらしいが頼りになったテュール、自分を必要とし、いろいろと助けてくれたセルク王、そしてブリッツのチームメイトとしてともに頑張ったティーダ――。ユウナにとっては皆安心できる心のよりどころで、ずっと一緒にいたいと心から思っていた。

「懐かしくて、恋しくて……私、ずっとあの人たちを呼んでいる」

 会えないと分かっていても、会いたいという気持ちは膨らむばかりでとても苦しい。

「僕も彼らに会えなくてとても寂しいですよ。でもそれは耐えなければならない試練の一つで、いつかはちゃんと思い出になります。そうなったとき、彼らから出会ったことは自分の強さになると思うんです」
「そう、かな?」

 そうです、とツッチーは安心させるように微笑んで、後ろからユウナをそっと抱きしめてくれる。

「それにユウナさんには僕がいます。だから大丈夫」
「うん。ありがとう、ツッチー」

 背中に感じる温もりが、彼の優しさごとユウナに伝わってくる。ああ、やはり自分には彼しかいないのだ、とそのときユウナは改めて実感した。



「緊張するな〜」

 二人の結婚式はついに幕を開ける。開場の大きな扉を前に、ユウナは緊張に身体を震わせた。

「大丈夫ですよ、ユウナさん。中の人みんなクルドさんだと思えば緊張しません」

 そう言われてふとあの男のだるそうにしかめた顔を思い出し、つい噴出してしまった。あれで一国の王子だなんて乙女の期待を裏切るのもいいところだ。

「そろそろご準備のほうを」

 式場のスタッフに促され、ユウナはツッチーの腕に手を回す。今のクルドのことで少し緊張は解けたが、出席者のことよりもここから先に待ち受ける未来に対しての緊張が少し大きくなった。
 結婚は決してゴールではない。むしろ第二の人生が始まるスタート地点だ……とユウナが心底尊敬する歌手が語っていた。そしてスタートを目前にした今、その言葉が意味するものの大きさを、ユウナはまざまざと実感する。

(でも大丈夫)

 隣にいる彼となら、どんなことが待ち受けていようと乗り越えていけるだろう。それに何より苦しかった父との対決を自分は乗り越えたではないか。だから大丈夫。

『新郎新婦、ご入場』

 スタッフのアナウンスと同時に、目の前の扉が重い音を立てて開かれる。
 その先に広がる人生のセカンドラインを、ユウナとツッチーはゆっくりと歩き出した。



終わり



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