五章  ユウナ暴走!?


「―時空の狭間が獣の森に出たとか」

男が言うと、隣の黒竜は微かに頷いた。

『はい。村の者はそう。しかし、光の色が妙だったと』
「やはりそうか」

男は考え込むように頬杖をつく。

「目的の人物は獣の森にいるようだね。あの森には神獣がいたっけ? きっとそいつが世話をしているだろう」

あの森の主はいやに面倒見の良い神獣だとか。異世界の人間でもきっと世話をしていてくれるだろう。おかげでこうしてのんびりしていられる。

『すぐに出発しますか?』
「森を出るのにはもう少し時間がかかるだろうから、待とう」
『わかりました』

男は小さな窓から月を見る。見ながら自嘲の笑みをこぼした。
それが何の笑みだったかは自分でも分からないが、妙に笑えた。


❈❈❈


昼はフェンリルの背に乗り、夜はフェンリルに包まれて眠る。そんな毎日が当たり前のようになっていた。
ユウナは笑う。フェンリルとの旅は驚くべきほど楽しかった。めくるめくる変わる森の風景を見るのは楽しい。偶に顔を出す獣たちもユウナの目を楽しませてくれた。
本当に不思議な世界に来たんだ、と改めて思う。失望ではなく、それは驚き楽しむ気持ちだ。
それでも元の世界のことは引きずっていた。時空の狭間に巻き込まれてからすでに1日が経過している。今頃親やリュック、その他もろもろの身内はいなくなった自分のことを必死で捜しているだろう。
あの場所が無性に温かいところだったように思えた。いつも誰かが傍にいて、笑ってくれた。時には真っ向からぶつかることもあったが、その後にあるのはあの笑顔。

―やっぱり帰りたいな……。

あの安心できる場所へ一刻も早く帰りたい。帰って、ただいま、と言っていつもの生活に戻る。そして当たり前のような毎日を過ごすのだ。
当たり前だからこそ、それが心の底から懐かしく思えた。離れてみるとこれだけ辛い。



―夜
何もない森のようだったが、食べ物には困らなかった。木になっている実はすべて食べられるもので、その実の生った木は至るところに立っていた。
困ったのは、替えのない服のことだった。この世界に来てから―正確には来る前から―ユウナはずっと制服を着ている。それももう限界が近かった。大部分は裂け、服としての役目を失っていた。
身体も泥紛れで汚くなっている。風呂がないどころか水もない森だったので、身体を洗うことができない。

―この姿、お父さんが見たら怒るだろうな。

父親は身なりだけには厳しい人で、誰に見られても恥ずかしくない恰好をしろとしつこく言われたものだ。もうその言葉を聞くことはないのだろうか?
そう思うとひどく寂しかった。 
何か熱いものが込み上げてきて、ユウナは堪らず泣きたくなった。

『また泣く気か?』

頬を涙が伝う。ユウナはとっさに顔を伏せた。

「だって、辛いんだもん。みんなに会いたい……」

帰られないという事実は、予想以上に重かった。あの世界の人たちに会えないという事実はもっと重かった。その重たさがこうして涙になって溢れ出てきたのだ。
泣きじゃくるユウナを心地よい毛並みが包んでくれた。身も心も温かかった。

「好きなだけ泣くがいい。それでおまえの気が済むのなら」

そしてユウナは思う存分泣き、落ちるように眠りについた。



―翌朝
耳に入ってきたのは銃声。その嫌な音でユウナは目覚めた。
いつもならフェンリルが傍にいるが、今日はその姿もなく、近くにいる様子もない。

―嫌な予感がする。

フェンリルがいないこといい、今きこえた銃声といい、何だか変だ。言い知れぬ畏怖感がユウナの背に圧し掛かる。それに押しつぶされそうになりながらも銃声のしたほうへと向かった。


嫌な予感は見事に的中してしまった。
大量の血を流し、ぐったりとしているフェンリル。呼吸がとても苦しそうだった。今にもその荒い息が止まってしまいそうだ。
ユウナはわっと泣きたくなるのを堪え、フェンリルを囲っている男たちのほうへ歩き出す。
フェンリルはこの森に人間が立ち入ることは断じて禁じてあると言っていたが、こうしてボンクラどもが堂々と入ってきている。人間とはつまらないものなのだ、とフェンリルが言っていた理由が分かったような気がする。
ユウナがこの世界に来て人間と会うのはこれが初めてである。その初対面の相手が犯罪者とは……。運が悪い。

「あなたたち!! この森に人間が入るのは犯罪です!! すぐに出て行きなさい!!」
「そういうおまえはどうなんだ?」

確かに、こうして堂々と森を歩き回っている者が言っても、説得力がないというのが事実である。いっそのこと人間ではないと言おうかと思ったが、隅から怪しまれそうだったのでやめておいた。

「あなたたちは何者なんですか?」
「おれたちゃ獣ハンターさ! 獣を捕って売りさばくのが仕事」
「でもフェンリルはただの獣じゃない! 神獣です!」

言うと、男たちはニヤつき、

「神獣は普通の獣より高く売れるんでな」
「何よそれ!!」

怒るユウナを男たちは嘲笑った。

「だからこれが仕事だって言ってるだろ? おまえみたいな馬鹿女には関係ねぇべ!」
「馬鹿……?」

その言葉が妙に気に入らなかった。なんだか上から見下ろされたようなその言葉が。
ユウナは俯き、馬鹿、と何度も呟いた。その光景はさぞかし不気味だろう。

「……ククク……」

自嘲の笑みがこぼれる。その笑みも、言葉では言い表せないほど不気味だった。男たちはそれを見て一歩退く。

「……許さない。かかってきなさい!! 不潔男ども!!」
「フケツだ〜? 生意気なこと言いやがって!! おめーら、やるぞ!!」

こうしてユウナ1人対6匹の男たちの闘いが始まった。
まず、リーダー格と思われる大柄の男が襲い掛かってきた。ユウナは身をよじり、拳を避けてその避け際に男の急所を一蹴り! 男はその場に倒れこんだ。
次に少々老けた男が拳を剥き出しにして走ってくる。それには回し蹴りで対抗。蹴られたほうは見事に転倒した。
今度は一気に2人。まず、最初に近づいて来たほうにサマーソルトキック! もうひとりには殴られかけたものの、そのお返しに右ストレートをお見舞いしてやった。

―自分はこんなに身軽だっただろうか?

そんなことを考えていると、他の男に後ろを取られてしまっていた。ユウナはエルボーのでき損ないをくらってしまう。でき損ないでもそれなりに痛かった。
もたもたしていると、次の一発が顔面に振り下ろされるところだった。ユウナは慌てて身を翻し、一回転してすぐに立つ。そのまま隙を見せずに男の鳩尾みぞおちへ拳を入れた。

「残りは一匹」

知らぬ間に口調まで変わっていたが、そんなことはもうどうでも良かった。
最後の一人はユウナに挑もうかやめようか悩んでいるようだった。これはもらった、と言わんばかりにユウナは駆け出す。そして鳩尾を殴ってすべてが片付いた。
辺りには気を失った人間たちが散らばっていた。それには見向きもせず、ユウナは倒れているフェンリルのもとへ駆ける。

「フェンリル! 大丈夫!?」

ぐったりとした毛並みは動こうとしない。
やがてユウナは気づいてしまった。

―息してない!!





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