七章 消えた村人
突然にして現れた召喚士と神獣の黒竜に連れられ、ユウナは粗末な村に来た。
元の世界にもありそうな田舎の村だった。八方を山々に囲まれ、田んぼが広がる中央に集落がある。瓦の屋根に少し黄ばんだ土壁という古い歴史に登場しそうな家々。
異様な風景だ、とは思わなかった。むしろ気抜けするくらい元の世界に近いと思う。異世界だということを感じさせる風景でなかったことに、ユウナは密かに胸を撫で下ろした。だが安心できたのはその風景だけであり、集落に近づくにつれてユウナの不安が大きくなる。
鼻に突き刺さるような異臭が漂っていた。それは肉が焦げたときの臭いに酷似している。あまりにも不快な臭いに咽ながら集落に入っていった。
「――おかしい」
ユウナのすぐそばを歩いていた召喚士――テュールが口を開いた。
「こんなに静かな村じゃなかったけどなあ……」
確かに家数が多いのに人気がない。そう思ったのは決して集落との距離が遠いからではないだろう。村には子どももいるらしいから、その子どもの声が聞こえてきてもおかしくない。
窒息しそうなほど狭い集落だった。家と家の距離は僅かしかなく、中央にある空き地も家の庭ほどの広さしかない。
狭いスペースにたくさんの家。にも関わらず人の姿がなく、不気味な静けさが漂っている。また、先ほどからユウナを悩ませた異臭が一段とひどくなっていた。
「誰もいない……」
この吐き気さえ催しそうな異臭に気づいていないのか、もしくは気づいていて気にしていないのか、テュールは顔色一つ変えず辺りの様子を見回している。
『――人の気配が』
地獄の底から湧き上がるような低い声は黒竜のものだった。
「どこから?」
黒竜の尖ったかぎ爪は集落に一角にある粗末な建物を指した。テュールが小走りにそこに向かうのをユウナは追う。
まだ昼間だというのにその民家の中は夜のように暗かった。その暗さがユウナの恐怖心を少し煽るが怖気ず前進。――そばから人の気配がしたのはそのときだった。
入り口のすぐそば、死角になっているところに子どもが蹲っていた。
「大丈夫?」
ユウナが話しかけると、その子どもはゆっくりと顔を上げる。十歳前後の少女だった。涙の伝う頬は青白い。一見して死人のように見えてしまう少女は、じっとユウナを見つめていた。
「だ、れ……?」
「――おや、君は」
労わりの言葉をユウナはかけようとしたが召喚士が声をかけるほうが早かった。少女の頭の高さまで屈むと、人のよい微笑みを浮かべる。
「村の子だね」
「召喚士さま……」
少女はテュールの顔を見るなり、火がついたように泣き出した。
「よしよし。もう大丈夫だよ。いったい何があったんだい?」
「お母さんがっ…っ…みんっながっ……空に何か飛んでるって外に出て……アタシは怖いから中にいたけど…そしたら光が落ちてきてっ……っ…みんな消えちゃった」
このとき召喚士が目を見開いたのをユウナは見逃さなかった。
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「いったい何が起こったんですか?」
ほとぼりの冷めたところでユウナはテュールに訊ねてみた。
「神獣に襲われたんだ」
視線を向こうのほうで何事か祈っている少女に向けたまま、テュールは言う。
「人間を消滅させることは人間にはできないだろうからねえ。魔物ごときにもできないさ。この繊細さ――人間のみを消滅させるは銀竜の得意分野だ」
「じゃあ、銀竜がここを?」
「そういうこと。ただ、神獣は誰かに仕えない限りは海の底で暮らすことになるから、きっと召喚士が襲わせたんだね。きっとあいつだ」
「あいつ?」
「“クジャ”っていう」
その名を聞いて瞬間、ユウナは言葉では言い表せぬ何かを感じた。怒りと恐怖をいり混ぜたような情動。
「でもどうしてこんな小さな村を?」
「きっと私がここにいると思ったからだろうね〜」
テュールは苦笑する。
「私とクジャは昔から不仲でね〜。ちょっとしたことですぐ喧嘩。別に私は彼のことを憎んでいないんだけど、彼はそうでもないみたいで、あらゆる手を使って私を苦しめようとする」
つまりは今回のこの襲撃はテュールとクジャの痴話喧嘩によるとばっちりから起こった悲劇ということになる。
「さすがに罪悪感はあるよ。私がここに来なければ、ってね。――さて、今日はこの村に泊まることにしよう。小さいけれど、食料は十分にあったと思う」
「――お姉ちゃん服ボロボロだね」
突然言われてユウナは少々戸惑うが、すぐに頷いた。
「アタシの家にお母さんの服があるからあげるよ」
「いいの?」
「うん。だってお母さん、困っている人がいたら助けてあげるのよ、って言ってた」
ユウナにはそれが少女の母親の遺言のように思えた。
少女はユウナの手を引く。
向かったのは、近くの粗末な家だった。中もそれなりに粗末で、家が貧しかったことが窺える。奥の部屋には服や手紙が散乱しており、ユウナと少女はそれを踏んで歩いた。
少女は散乱しているものの中から一着の服を取り上げた。いかにも中年の女性が着るような服ではあったが、それでも今着ているボロボロの制服よりはマシである。
「身体も汚れてるね。待ってて、お風呂準備するから」
「あっ! そこまでしなくても……」
「いいのいいの! 困ったときはお互い様よ」
少女は笑っていた。少し引きつっていたような笑みだったことに、ユウナは気づいていた。
――どうして笑っていられるんだろう……。
両親を亡くしたことに比べて、異世界に迷い込んだことなどどうってことない。それなのに、彼女はまるでユウナのほうが辛い目に遭ったかのように接してくる。しかも、表情は明るかった。無理やり笑ったのがよく分かる。
もしも、あの少女が自分だったらどうだったろうか? きっと笑ってなどいられなかっただろう。泣いて泣いて泣きまくったに違いない。
「川に水を汲みに行くから、お姉ちゃんも手伝って!」
ふと我に返り、無言で頷く。彼女はすでに外へ出ていた。慌てて追いかけると、少女がすぐそこで大きなバケツを二つ持って待っていた。
「名前、何て言うの?」
ユウナが訊くと、少女は嬉しそうに笑って、
「リオ! お姉ちゃんは?」
「ユウナ」
リオ――どんな意味なんだろう、と考えたが、無意味な行為と気づいてすぐに現実へと戻った。自分の名前にもどんな由来があるのか知りたかったが、もう訊くことはできないのだと気づく。両親にはもう会えないから。
それでもあの夫婦が幸せに暮らしているのだったら問題はない。
寂しかったが、しょうがないことだった。
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物思いに耽っているうちに眠ってしまったらしい。目を覚ましたときには外が薄暗くなっていた。
テュールは立ち上がって軽く伸びをし、暗い廊下を歩き出す。自然に外へと向かっていることに、建物を出てから気づいていた。
西の空は紅蓮色に染まっていた。村は黒く染まっていて、人がいないせいで一層暗い。その黒い景色のなかから唯一明るいものを見つけた。
すぐそこの建物から光が漏れ、更には湯気までが見て取れる。その家からは笑い声が聞こえてきた。
まるで引っ張られるかのようにテュールはそこへ歩き出す。
近づくに連れ、段々と笑い声が大きくなってくる。
そしてその光と笑い声溢れる建物の、戸を開けた。
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