夏の厳しい陽射しがユウナの傷ついた身体を照らしていた。
 身体の至るところが痛かった。だが呻く体力も、また泣く体力もない。何もできずにただ地面を見つめていると、近くの草むらをガサガサと掻き分ける音がした。
 動物でもいるのだろうか? あるいは凶暴な魔物がユウナの臭いに釣られてやってきたのかもしれない。どちらにしてもユウナの行く末は知れている。このままここに倒れていればそのうち体力も尽きて死ぬだろう。
 霞む目を上げて音のしたほうを見ると、そこに一人の少年が立っていた。歳の頃はユウナと同じくらいで、健康的な小麦色の肌に明るい金髪。澄んだ空を思わせる青い瞳が驚いたように見開かれている。

「おい! 大丈夫か!?」

 少年は慌ててユウナのそばに駆け寄り、小麦色の手を伸ばした。

「何があったんだよ、こんなボロボロで」
「あ……」

 ユウナは力の入らぬ手を必死に動かして差し出された手を握る。

「そこに俺んちがあるからさ。そこまで歩け……って無理そうだな」

 少年はユウナと地面との間に手を忍び込ませると、ユウナの細身を抱きかかえた。



 一章  少年



 少年に抱きかかえられ、小さな家に辿り着いてからユウナは深い眠りについた。それから何度か浅い眠りと深い眠りを交互に繰り返し、時折少年に声をかけられては頷いていた気がする。
 ようやくはっきりと目覚めたとき、ユウナは粗末な家のベッドに横になっていた。目覚めたばかり特有のだるさに身を浸し、しばらく天井をぼうっと見上げていた。
 狭い部屋には誰の姿もない。配置された棚や机は息を潜めるかのように音を立てず、外で泣いている鳥のさえずりだけが聞こえる。身体の痛みはだいぶ軽くなったがまだ完全に消えたわけではない。
 重い身体を必死に起こし、しばらく傷ついた自分の手を眺めていると部屋のドアが開かれた。

「――おっす。起きたか」

 視線を向けた先にいたのは記憶に新しい少年だった。手にはコップと体温計らしきものを乗せたお盆を持っている。それをそばに机に置いて少年はユウナの額に手を伸ばした。

「まだ高いかな〜。一応測ってみて」

 お盆の上の体温計を取ると、ユウナに差し出す。

「びっくりしたッスよ。道に人が倒れてるんだから」

 少年は珍しいものでも見るような目でユウナを見ている。まだ幼さの残る顔は端整で健康的な色。露になった腹筋がたくましくて、誰もが一度は見惚れてしまいそうだ。
 ピピピ、と体温計の高い機械音がなり、ユウナは脇の間からそれを抜いて少年に差し出す。

「七度八分……ちょっと高いな。これ飲んで」

 少年はお盆からコップを取り出す。中には赤っぽい色の液体が入っていた。

「解熱剤を溶かしてあるッス」

 差し出されたコップを受け取り、ユウナはゆっくりとそれを口に運ぶ。――薬特有の苦味が口に広がった。

「少し眠ってたらそのうち治るッスよ。それまでゆっくりしてな」

 うん、とユウナは頷いた。

「あ、何かいるものとかある?」
「……お水がほしい」
「了解ッス。すぐに持ってくるから待ってろよ」

 

 少年はすぐにマグカップを持って戻ってきた。
 少し熱めのお湯が味などないはずなのに美味しかった。

「ありがとう。キミのおかげで助かっちゃった」

 少年は微笑む。

「いいって。人が倒れてたら助けるのは普通だろ? あ、俺はティーダ。あんたは?」
「ユウナ」
「ふ〜ん。可愛い名前」

 ユウナは照れるように笑う。

「ユウナはどこから来たんッスか?」
「えっと……ここじゃないところ、かな」
「ここじゃないところ? 違う国ってこと?」

 ユウナは首を横に振る。答えないのは拙い気がして、事実をありのままに話すことにした。

「違う世界から、かな」
「時空の狭間に巻き込まれたんッスね!? そりゃ、大変だっただろ」
「ううん。助けてくれた人がいたから」

 ――助けてくれた人?

 そのときになってようやくユウナは自分が記憶の一部を失っていることに気がついた。
自分は右も左も分からないこの世界で、誰かに助けられたのだ。急に呼び起こされた記憶にユウナは一瞬悪寒さえ感じた。それでも必死に記憶の糸を辿って、答えを見つけようとする。が、考えれば考えるほど目眩がしてきて、ユウナはどさっとベッドに倒れ込んだ。

「あんまり無理すんなよ。ユウナは一応病人なんだから」


 +++



 外へ出てみると、そこは少し前に見た覚えのある村の風景とよく似た風景が広がっていた。だが集落のようなものはいっさい見当たらない。寂しい土地にティーダの家一軒、それがいっそう寂しさを感じさせる。
 身体のあちこちにできていた傷はほとんどがすでに治りかけていた。時折痛みを感じるものの気にするほどでもない。

「――キミの一人暮らししてるの?」

 訊くと、壁の穴が空いた箇所を修正していたティーダはユウナを振り仰いだ。
 
「そうッスよ。母さんは死んで、親父はいないから」
「あ、その……ごめん」
「いや。もう昔のことだから気にしてないッス」

 笑顔を差し向けるティーだが、何処か悲しかった。

「ユウナは何処かへ行く予定だったのか?」
「……それが、思い出せないの」

 記憶の一部が欠けている。それが何か重要だという予感はあるのだが。

「――他にすることは?」
「ないッス。病み上がりなんだから座ってな」

 言われるがまま、ユウナはだるい身体を椅子に預けた。

「仕事は?」
「してるッスよ。仕事つってもブリッツの選手だけど」
「ブリッツ……?」
「この世界では結構有名なスポーツ。説明するの面倒だから、今度実際に見せてやるよ」

 ユウナは頷いた。

「でもさ、うちのチーム弱くて、給料もそんなにもらえないんだよな。だから見てのとおり、貧乏丸出しってわけ」
「大変なんだね……」
「ユウナほど大変じゃないッスよ。異世界に来て、苦労しなかったか? 食べていくのにも困らなかったか?」
「そこも思い出せない……。でも、誰かに助けられたことは覚えてるの。それが誰で、どんなことをしてもらったかは思い出せない」
「無理に思い出すことないって。そのうち、なんとなく思い出すさ。それまでここにいるといい」
「……ありがとう」

 ティーダは微笑む。

「いいって。困っている女の子を助けるのは当然だろ?」

 うん、と頷いてユウナも微笑した。


 夜になって、ユウナは独り、窓の向こうの満月を眺めていた。ティーダはユウナの世話に疲れたのか、すでにぐっすりと眠っている。
 それにしても――ここに来るまでに何があったのだろうか。美術準備室で時空の狭間という怪奇現象に巻き込まれたこと、ツッチーと離れ離れになったこと、そして誰かに助けられ、時空の狭間について聞かされたこと、そこまではまだ覚えている。問題はその後だ。誰かとともに過ごし、いろいろと話をしたような気はするが、それが誰で何だったのかまでは鮮明に出てこない。
 煌く満月は、元いた世界となんら変わりない。明るさも、形も、輝きも。星や空に至っても、故郷で見るものと変わりなかった。
 もし、今見ている月が故郷で見ていたものと同じなのなら、会えなくなった身内たちも同じ月下にいるのだと言っても過言ではないだろう。もう会えないかもしれないけれど、せめて同じ空の下にいることだけは幸せに思おう。ユウナはそう、心中で呟いた。







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