五章 ブリッツボール
ティーダが所属する“ミステイク”というブリッツボールチームの練習場は家から徒歩で二十分ほどのところにあった。外見は元の世界で見かけた球場によく似ている。しかし、こちらの建物はひび割れや煤のせいか、別段古く思えた。訊くと、創立五十年は優に超えているという。
内部はドームのようになっており、球場ほどではないが、観客席もそれなりにある。見物人は見当たらない。まあ、ただの練習なのだから、それも当然と言えば当然のことだろう。
中心には得体の知れない巨大な球体が一つ。
「あれは何?」
「スフィアプールさ。あの中で俺らはボールを奪い合って、ゴールに入れる」
指差されたほうには、サッカーゴールのようなものがあった。
「でも、何分もあの中にいることはできないよね? 息が苦しくなっちゃう」
言うと、ティーダは声を上げて笑った。
「あの水は“スフィア水”って言って、水中でも息ができる水なんだ」
「へぇ〜」
元の世界にそのような水がなかったためか、スフィア水というものがなんだか奇異に思えた。
「これがブリッツボールだ」
言ってティーダが差し出したのは、人の顔ほど大きさのボール。ところどころに丸い出っ張りがあり、色は白と青が交互に並んでいる。真ん中には金色の、文字らしきものが書かれていた。
見た目だと分からないが、ボールは妙に重い。バスケットボールのそれはあろうかという重さと、固さ。確かに水中では軽いものは浮いてしまうのでこれくらいが適当なのかもしれない。
「ユウナ! こっちに投げてみてよ!」
いつの間にか向こうのほうまで行っていたティーダが呼んだ。投げろ、と手と口で促しているので、ユウナは手にしたブリッツボールを力いっぱい投げた――つもりだった。しかし、ボールは五メートルほど先に落下しただけであって、ティーダの元に届くことはなかった。
「ユウナって面白いッスね」
嘲笑するティーダを、ユウナは少しねめつけた。
「これでも本気だったんだよ」
「分かってるって」
それでもティーダは笑うのをやめない。
「仕方ないでしょ、女の子なんだから」
「借金取りを追っ払うときはあんなに強かったのにな」
「あれは特別なの。わたし自身にもよく分からないんだから」
ユウナは返ってきたボールを上手くキャッチして、すぐ横に佇むスフィアプールを見やる。丸いプールには目を凝らして見ると水が入っているのだと分かるが、普通に見たのでは空っぽの球体にしか見えない。
「プールに入ってみたい?」
「……ちょっと入ってみたいかな」
「よしきた! ついてきて、プールん中に案内するッス!」
水の中に入ったという感覚はあるのだが、果たしてそこが本当に水中なのかという疑問も捨てきれない。ティーダの言っていたようにスフィア水の中では普通に呼吸ができる。一番驚いたのは、声がちゃんと伝わるということだ。水中にも関わらずティーダと普通に会話できるという、ユウナにとっては衝撃的の、ティーダにとっては普通の現象がこの水の中では起こってしまうのだ。
ユウナはあまりの不思議さと驚きについついプールを一周泳いでしまった。
「ユウナって泳げるんスね」
「あまり得意じゃないけど泳げるよ。――凄いねぇ。元の世界ではこんなのなかったからなー」
もの珍しげに辺りを見回すユウナの様子は、まさに初めて遊園地に来た子どものようだ。
「俺と勝負してみない?」
「あ、うん。してみたい」
「あれにシュートするんッスよ」
「分かってるよ。――えっと、ボールは持って移動していいんだよね?」
「うん。女の子だからって手加減しないッス」
「女の子だからって甘く見ないでよね」
こうして一対一のブリッツボールの試合が始まるのであった。
プールの中心よりユウナがボールを所持して開始。あまり水泳経験のないユウナだが、このプールの中では思うように泳げるのだと理解してゴールを目指して突き進む。一掻きしただけでもずいぶんと前進できた。
背後からティーダが追ってくる気配を感じ、ユウナは振り返る。もう手が届くほどのところまで近づいてきていた。これから頑張って泳いでもゴールに着くよりティーダが追いつくほうが早いだろう。ユウナは思い切ってシュートした――が、投げる直前に背後からティーダの手が伸びてきてボールを奪われてしまった。一対一なので自分が守るべきゴールは当然、空。このまままでは一点を取られてしまう。
ユウナは全速力で泳いでなんとかティーダに追いつこうとするが、そう簡単にもいかず、ティーダはすでにシュートを放っていた。あのボールになんとか追いつけぬものか――。持てるすべての力を振り絞り、一路ゴールへ向かっているボールを取りに、水を掻く。
そのときだった。まるで何かに押されたかのように、恐ろしいスピードでユウナは泳ぎだした。自分の力だとは到底思えないが、後ろに何かがいるわけでもないし、前から誰かが手を引いているわけでもない。何が起きたのだろうか。とにもかくにもおかげでゴール直前のボールを奪い取ることができたのだから、よいだろう。
ユウナはそのまま自分のゴールへと突き進む。ボールを奪うべくティーダが飛び掛かろうとするのだが、ユウナはそれを難なく抜けた。それから全速力で泳いで、ティーダとの距離がある程度開いたところでユウナは止まった。
――ここからシュートできるかも……。
ちらりと後ろを振り返ってティーダが追いついていないことを確認すると、ユウナはボールを高く投げ上げ、サマーソルトのような形でそれを蹴った。
ブリッツの選手も驚きの可憐なシュート――。足先がボールの中心にミートして、それが最速のスピードを生み出した。ボールは捩れることもなくゴールへと一直線に飛んでいき、そのままゴールネットを突き破るような勢いでシュートが決まった。
ユウナがまさかの先制。これにはティーダも驚愕した。
「やった〜! “ユウナ様シュート三号”決まっちゃったよ!」
「なんッスか、そのネーミングセンスのなさは。というか、一号も二号もないのに三号ってどういうこと?」
「いや、三号だったら誰かが一号と二号も見れるんじゃないかって期待するかと思って」
「誰がそんなこと期待するんスか。ブリッツ選手じゃあるまいし」
確かに、と笑って、ユウナはプールの外に人がいることに気がついた。その誰もが同じ服をまとっていることから、チームメンバーか何かであることは予想がつく。
「人が来ちゃったね」
「ああ。一旦出よ」
プールから出てやはり、先程見た人間がここのブリッツチームのメンバーだということが分かった。三人、背丈はティーダと同じくらいで、身体つきはティーダほどではないが、スポーツ選手にふさわしいがっちりとしたものである。こちらに目を向けるなり、おおい、と手を振ってきた。もちろん、ティーダにだが。
「――ようティーダ、今日は珍しく早いなぁ。彼女とデートか?」
冷やかすように笑う男たちを、ティーダは軽くねめつける。
「彼女じゃない。家の近くで倒れていたのを助けたんだ。で、今ブリッツを教えてたんス」
「教えていたというか、教えられていたようにも見えたぞ。っていうか、彼女に一点入れられていたじゃないか」
「そうなんッスよ。ユウナは相当の実力者。俺よりもブリッツ暦長いんじゃないかと思った」
ええ、とユウナはとぼけた声を出して、恥ずかしげに頭を下げた。
「へぇ〜。ユウナって言うんだ。オレは“ジャッシュ”、このチームのレフトアタッカーを努めている」
短い金髪の男が軽く会釈してきたので、ユウナも会釈を返した。
「僕は“ビッグス”言います。よろしく」
今度は握手を求められたので、ユウナは右手を差し出した。――火傷を負うかと思うくらい、彼の手は熱かった。
「“ウェッジ”です。ども」
彼も握手を求めてきた。左手を差し出してきたことから、彼が左利きなのだろうと予測した。まあ、彼の気分で左手が差し出されたという可能性も否定できないのだが。
「ユウナちゃんはブリッツやったことあるの? さっき凄く強かったけど」
「いえ。ブリッツのことを聞いたのは昨日のことだし、やるのは初めてです」
へぇ〜、と感心したような声がジャッシュたちから上がった。
「それにしちゃあ上手いなぁ。どう? このチームに入らない?」
ユウナは困り果てていた。チームに入りたい気持ちもあるのだが、今はセルク王国に行くのが先。視線をティーダに向けて助けを求めた。
「駄目ッスよ。今は旅の途中なんスから」
「旅? いったい何処を目指して旅してるんだ?」
「セルク王国です」
ユウナが言うと、男たちは心底関心したような表情で頷いた。
「そりゃ難儀だな」
いえ、とユウナは苦笑する。確かに難儀する旅かもしれないが、実際旅自体には難儀しないだろう。問題は賃金だ。ティーダがブリッツの退職金でどうにかすると言っていたものの、それだけではこれからの旅にはとても足りないような気がする。
「――いやいやいや、なんとも逞しい娘さんだねぇ」
と、突然にして老人の声が割って入った。あまりにも声が渋すぎて性別は判断できなかった。
顔を上げると、ユウナの眼前に一人の人間――老婆がくしゃりと笑んで、立っていた。開いているのか閉じているのか分からないほど細い目は、まっすぐにこちらを見つめているようだ。
「本当に逞しい娘さんだこと。さっきのブリッツも見ていたよ。他チームにも女はいるが、あんたほど強くなかったねぇ」
「監督!」
え、と疑問符の呟きを上げて、ユウナはまじまじと老婆を見つめる。
――この人が監督?
このただの老いぼれ婆さんにしか見えない者が、このチームの監督だというのだろうか。見た目からして七十歳は当に越しているだろう。そんな老婆に果たしてブリッツの監督など務まるものか。
「あんた今、この老いぼれに監督など務まるのかと思っただろう」
「思いました――じゃない、思ってません」
ポロリと出てしまったユウナの本音に、老婆は声を上げて笑った。
「正直でよろしい。――あたしがこのブリッツチーム“ミステイク”の監督の“ベナム”だ。ただの老婆にしか見えんかもしれんが、これでもまだまだ現役じゃぞ。――選手はもうやってないから現役とは言えんのう」
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