六章  マジッスか!?


 まさかこの老いぼれクソババア――もとい、この老婆がティーダの所属するブリッツチーム、“ミステイク”の監督だったとは……。驚きと衝撃で言葉が出なかった。
 ティーダから厳しい人だと聞いたので、ユウナはてっきりいわおのような男が監督をやっているのかと思った。それが還暦迎えてそうな婆さんだと聞くと、チーム名など気にならなくなるほど驚いてしまう。

「こう見えてもねぇ、ちゃんと指導できるんだよ。――のう?」

 ティーダたちが頷いた。

「それにしてもうちのエースは珍しく来るのが早いじゃないか。どういう風の吹き回しだい?」

 えへへ、という風にティーダは笑って、頭を掻く。例のことを言うおうか言うまいか迷っているな、とユウナは察したが、何も言わないでおいた。

「――監督……俺、このチームやめます!」

 しばし沈黙して、じきに驚きの声が上がるようになった。――ベナムは反応しない。

「おいティーダ、それどういうことだよ! お前ここのエースなんだぞ!」
「まさか弱いから他のチームに移るなんて言うんじゃないだろうな?」
「だったらおれたちもっと練習して鍛えるからさ、行かないでくれよ」
「ち、違うッスよ。ちょっとセルク王国に行く用事ができたんだ」

 今度はベナムも困惑したような声を上げた。

「何故にセルク王国なんぞに行くんじゃ?」
「ちょっと、ね。俺にもいろいろ事情って言うものがあるんスよ」
「まさかその女と駆け落ちするつもりじゃあるまいな!?」

 それに対しては否定はできないだろう――いや、否定できるだろう。別にユウナとティーダは駆け落ちするような仲ではないし、大体がユウナの事情でセルク王国を目指すのだから。ティーダも借金取りから逃げるというだけのことである。
 それを話すと、ベナムは顔をくしゃりと歪めて、微笑んだ。

「そりゃあ難儀だね。でもね、あたしにだってあたしの事情がある。来週のマグナムインカップで優勝すれば賞金一億ギルが手に入る。その金で借金は返せばよかろう? 娘さんは一人でもセルク王国に行けるのではなかろうか?」

 はい、とユウナは苦笑しながら頷いた。飛空艇の発着場までの道のりは曖昧だが、すれ違う人々に訊けばなんとかなるだろうし、発着場に着けばあとは飛空艇に揺られてセルク王国に行くだけだから。あちらに到着すればもう何も迷うことはない。さすがにセルク城までの道のりは分からないかもしれないが、それも人に訊けばなんとかなる話だ。

「でもね、ちと勝手すぎるかもしれんが、娘さんにも是非残ってほしい」
「え? わたし、ですか?」

 老婆はくしゃりと笑って、ユウナの眼前までのろのろと歩いてくる。

「あんたにお願いしたいことがあるんじゃ。あっしについてきておくれ」


 ✝✝✝


 老婆について、やってきたのはスタジアム内にある会議室のようなところだった。長机が四つ、中心に長方形を描くようにして並べられており、パイプ椅子が複数置いてある。奥には何冊かの本が並べられている本棚、出入り口にほど近いところに植木鉢があって、正面の壁には何かを象ったと旗が掛けてある。ベナムに訊くと、それはここのブリッツチーム、ミステイクのロゴなのだという。

「ささ、好きなところに座んなさい」

 ユウナは促されるがまま、手近の椅子に腰掛けた。ベナムはその正面の席に腰掛、まっすぐにこちらを見つめてくる。

「あんた、名前なんていうんだい?」
「ユウナです」

 ベナムが皴を寄せて微笑んだ。

「ユウナか〜。珍しい名前だね。まあ名前のことは置いておいて」

 自分から言い出しておいてそれはないのではないか、とユウナは心中で毒づいた。

「さっきね、あんたとうちのエースがブリッツで勝負してるの見ていたんだよ。あんたうちのエースより強いじゃないか。他のチームにも女はいたけど、あんたほど強いやつはいなかったね〜。――ブリッツはやったことあるのかい?」
「いいえ、今日が初めてです。元の世界ではブリッツなんてなかったから」
「元の世界?」

 ユウナは頷いて、この世界の者ではないこととこれまでの経緯、セルク王国を目指している理由を、すべて話した。

「――あれま、それは大変だったね〜」

 ベナムは驚いたように声を上げ、ユウナの顔をまじまじと見つめてきた。

「実際、わたしは何も苦労してなかったと思うんです。この世界に来て、人に助けられてここまで来たんだから」
「ここまで来られたのはねぇ、決して人に助けられたからじゃないとあっしは思うよ。あんたは確かに人に助けられた。けどね、差し伸べられた手を信じたのはあんた自身だよ。それに強い精神あってこそ、見知らぬ世界で今まで生きることができたんだ。――よく頑張ったねぇ」

 自然と、ユウナの目から涙が零れ出した。

「おやおや、どうして泣くね? あっしの台詞に感動したかえ?」
「うん……ベナムさん、わたしのお婆ちゃんにそっくりなんだもん。わたしが困ったときや一人で悲しんでいるとき、『よく頑張ったね』って褒めてくれたから……」

 ベナムが祖母に見えて仕方がなかった。それになんだか懐かしい気がしていた。今は亡き祖母が、まるでベナムになってユウナの前に現れたような気がして――。もしそうなのだとしたら、泣いてなどいられない。少しでも元気な姿を見せて祖母を安心させなければ。
 ユウナは頬を伝う涙を手で拭った。

「さて、落ち着いたようだから続きを話すよ。ティーダから聞いたかもしれんが、このチームは他チームと比べれば断然弱い。チームワークは何処よりもいいのじゃが、エース以外の実力があまり……な。練習は真面目にやっとるというのに、一向に上手くならないんじゃよ……。まあ、チームを結成してまだ一年しか経っとらんから仕方がないのかもしれんが、それにしても成長しない。来週には賞金がかけられた地区大会があるというのに……。そんなときにうちのエースにやめられても困るんじゃよ。まあ、エースがいたところで勝てるわけじゃあないんだけどね。そ・こ・で・あんたの力を借りたいんじゃよ。さっきのエースとの対決を見ていて素晴らしいと思った。それにセルク王国へ行くお金が欲しいんじゃろ? だったら地区大会に出場して賞金を取ればいい。――さっきも言ったが、賞金は一億ギルじゃ」
「一億……。でも、わたしみたいなので本当にブリッツの選手なんか務まるのでしょうか?」
「あんたならできるさ。異世界でもここまで生き抜いた精神力と先程のプレイを見ておればどんな監督だろうとあんたを欲しがるさ。それに急いでいるわけではないのじゃろ? だったらやってみる価値はあるんじゃないかえ?」

 ユウナは力なく頷いて、老婆の後ろの壁にかかっているチームの象徴たる旗を見やった。
 孔雀くじゃくのように何層にも折り重なった羽を、堂々と広げている鳥。その鳥を文字の書かれた細い布が囲んでいる。背景は紅蓮に燃え盛る炎のようだ。

「まあ、優勝なんか夢のまた夢なんだけどねぇ。他のチームはうちよりだいぶレベルが高い。うちのエースでさえ、得点王を逃すからね。それにタックルやパス、シュートの威力が断然違う」
「でも、最初から負けるなんて思っちゃ駄目ですよ。相手がどんなに強くても――喩え負けたとしても、挑むところに意味があるんですから。ブリッツをやったことがない私が言うのも変だけど、頑張れば優勝だって夢じゃないと思います。ほら、ベナムさんはこのチームはチームワークだけは一流って言ってたでしょ」
「ん、そうだね。あんたの言うとおりだ」
「だったら、そのチームワークを生かした作戦やフォーメーションを考えて、試合に挑んでみてはどうでしょうか?」
「……あんた、本当にブリッツ初心者かえ?」

 ユウナは微笑んだ。

「――で、結局入団ってことで話は成立だね?」
「はい。精一杯頑張りますので、よろしくお願いします」

 ユウナは腰を浮かせ、深く頭を下げた。

「こっちこそよろしく。あんたが入ってくれて嬉しいよ。ちょうど女がいなくて寂しかったところだからねぇ。でもあれだよ、一人で男に囲まれてるっていうのもいい気分だよ」

 これにはユウナは苦笑を返した。

「女だからって特別扱いはしないからね。しっかりついて来るんだよ」


 ✝✝✝


 何故ユウナがベナムに会議室に来るよう言われたのか気になって、ティーダはその会議室の目の前まで来ていた。黒い扉に耳を押し当て、息も潜めて中の会話を聞き取ろうとする。しかし、この会議室は防音設備が整っているので、中の会話を聞き取ることなど到底できなかった。それはティーダも重々承知しているのだが、話の内容が気になって気になって仕方がなかった。
 三分ほど経過して、ティーダはユウナたちが出てくる前に立ち去ろうとした。しかし少し遅かったか、立ち上がった瞬間に傍のドアが勢いよく開いて、ティーダは弾き飛ばされてしまった。

「――あ、ごめんなさい。大丈夫〜?」

 ドアを開いたユウナが本当にティーダの存在に気づかなかった、というような顔で訊いてきたので、ティーダはとりあえず頷いた。

「大丈夫ッスよ……」

 それにしても、今のドアの勢いは本当に凄まじいものだった気がする。まるで傍にいたティーダの存在に気づいていて、それでわざと力いっぱい開けたかのように。もしやすべてはユウナの陰謀だったのではないか――そんな莫迦なことを考えて、ティーダは首を振った。ユウナに限ってそんなことはない、と。いや、実際ユウナだからこそありえる話なのかもしれない、と考えるほうが適切のようにも思えるが。

「あ、あのね」

 少し遠慮がちな声色でユウナが切り出した。

「私、このチームに入団することになったの」
「マジッスか!?」
「地区大会までだけど、キミといっしょにブリッツをやることになったの。セルク王国に行くにしてもお金がいるし、何よりブリッツが好きだから。――よろしくお願いします」

 ユウナが深々と頭を下げたので、ティーダは「はぁ」と情けない返事をして頷いた。確かにユウナがいてくれればこのチームだってレベルが上がるだろう。問題は練習だ。何処のチームにも負けを取らない練習の厳しさ――もちろん、監督であるベナムが厳しいのである。見た目はただの老いぼれクソババアでしかないのに、ブリッツになると、まるで別人のように人格が変わってしまう。
 まあ、ユウナが辛くなったときは自分が傍にいてやればいい。そう自分に言い聞かせて、ティーダはユウナの手を握った。

「こちらこそ、よろしく!」







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