八章  ラスティルの悲劇


 身体慣らしということで、練習はキャッチボールから始まった。

「ユウナ、一緒にやろうぜ」

 ティーダがブリッツボールを差し出してきた。それを取ろうとした瞬間、横方向からボールが飛んできて、差し出されたボールが明後日の方向へ飛ばされてしまった。

「おいおい、お前だけがユウナちゃんを独占するなんてせこいんじゃねえのか?」
「そうそう。俺たちだってユウナちゃんとキャッチボールしたいんだぞ」

 周りにいた男たちが、ユウナとティーダの周りに集まり始めた。
 狙いはチームの中で唯一の女であるユウナとキャッチボールをすることらしい。どうしてそこまでして女とキャッチボールをしたいのか、ユウナには理解し難かった。それが男の夢であることなど分かるはずがない。

「ユウナは俺とキャッチボールするって決まってんの!」
「はぁ? そんなこといつ誰が決めたんだよ!」
「お前だけ美味しい思いするなんてひでえぞ!」
「やる気か!」
「上等だ! この野朗!!」

 はぁ、とユウナは溜息をついた。
 まったく、男たちはつまらない理由で喧嘩をするものだ。たかがユウナとキャッチボールをしたいだけがために……。
 ユウナはそっと騒ぎの中心から離れていった。そのとき、その騒ぎを呆れた様子で見ていた――と言ってもフードを深く被っていて顔はよく見えないのだが――ラスティルの姿を見つけた。こうして喧嘩中の男たちと比べてみると、ラスティルがずいぶんと大人びて見える。ここは喧嘩を放っておいて唯一落ち着いているラスティルとキャッチボールをしよう。せっかく仲良くなれたのだし、彼なら遠慮なく教えてもらえそうだ。

「ラスティル君、一緒にキャッチボールしよ!」
「あ、うん」

 二人はこっそりと男たちの見えないところに移動するのであった。


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「ほら! もっと方の力抜いて投げて!」
「え? こう?」

 ユウナの“ボールを投げる能力”については絶望的だった。
 一般の女子でもせめて十メートル程度は投げられるというのに、ユウナ投球距離は五メートルにも満たない。これではブリッツの試合中、パス回しができないというものだ。

「じゃあ、ユウナさんの嫌いな人を想像して投げてみてよ」
「うん……」

 嫌いな人、と言われても頭にぱっと思い浮かんでこなかった。仕方がない、とユウナの想像したのは先日ティーダの家にやってきた借金取りの姿だった。

「こうかッ!!」

 剛球、まさにその二文字がふさわしいに違いないボールが、ユウナから繰り出された。
 先程まで五メートルにも満たない投球を見せていたのが嘘のように、たった今投げたボールは強く、そしてラスティルの元へと確実に飛んで行ったのだ。しかしながらその威力は凄まじく、ラスティルごとスタジアムの壁に突き進んでいってしまった。

「ラスティル! 大丈夫!?」

 予想だにしていなかった出来事に、ユウナは驚愕と困惑を覚えた。

 ――まさかボールがあんなに飛ぶなんて……。

 それはさておき、ユウナの陰謀によって吹き飛ばされてしまった――もとい、ユウナの投げたボールが偶然にも剛球となって、その威力によって吹き飛ばされてしまったラスティルは大丈夫なのだろうか。

「だ、大丈夫……じゃないよ〜」

 頭部を強く強打したせいか、頭からは僅かに血液が流れ出ている。
 ラスティルは壁に背を押し付けたまま、眠るように意識を手放してしまった。

「ラスティル! 死んじゃ駄目だよ! すぐにベナムさんを呼んでくるからね!」



 ラスティルはすぐに病院に搬送され、集中治療を施されることになった。
 付き添いはユウナと監督のベナムだけ。他の者には練習を続けるよう言い残してスタジアムを離れた。
 ユウナは大きな罪悪感に苛まれていた。もしあのとき自分が嫌いな人を想像して投げたりしなかったら、こういう事態にはならなかっただろう。もしあのとき借金取り以外の者を想像していたら、こういういことにはならなかったかもしれない。頭の中をいくつもの思いが旋廻している。振り払おうにも振り払えない。まさにそれが罪悪感というものだ。

「――あんたのせいじゃないよ」

 ユウナの思考を読み取ったかのように、ベナムが言った。

「まったく、うちの男は本当に貧弱なんだから。あんたの投げたボールなんかに吹き飛ばされて……恥ずかしいったらありゃしないよ!」
「でも……」
「気にすることないさ。もしラスティルが試合に出られなくなったとしても、その分をあんたとエースがカバーしてくれればいい。スポーツって、みんなそんなもんだよ。レギュラーになりたい人間なんていくらでもいる。喩え実力が及ばないのだとしても、やる気があればそれでなんとかなる。怪我をしたら怪我をしたほうの責任さ」

 ユウナはそれを聞いて、元の世界での部活動を思い出した。
 バトン部として活動していたあの日々――。もちろん部員全員がレギュラーになるのではなく、選手オーディションに合格したものだけがスターティングメンバーに入ることができる。ユウナはそれなりの実力をふまえていたために毎度毎度スタメンに入ることができた。その一方でスタメンに入れなかった者たちがいる。しかし、彼らはスタメンであるユウナたちを憎んだりしなかった。それどころか、自分たちの分まで頑張れ、という気持ちを胸に応援してくれたのだ。
きっと内心では自分もあの中に入れたらな、と思っていたに違いない。だからその分まで頑張らないと……。そんな励ましがあったからこそユウナは頑張れたのだ。
そして――こちらもきっとそういう励ましがあるのだろう。そんなことを思っていた。

ラスティルが病院に搬送されて数時間が経過し、ようやく彼がユウナたちの眼前に姿を現した。
額からぐるりと頭部に包帯が巻かれており、それはなんとも痛ましかった。しかしながらその他に外傷はなく、また、命に別状はないそうだ。練習にドクターストップのかからず、これまでどおりの生活をしてください、とのことだ。

「ラスティル、ごめんね……」
「気にすることないよ。僕が嫌いな人を想像して投げてって言ったのが悪いんだから」
「お前! そんなつまらんことを教えたのか!」

 少し怒気のこもったベナムの声に、ラスティルは苦笑した。


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 結局その日はラスティルの一件があったためにユウナが練習に参加することなはかった。

「――なあ、ラスティルってどうして病院に運ばれたんだ?」

 家に到着して、まるでその質問を準備していたかのようにティーダに訊ねられた。
 事実を話すのは何処か嫌な感じがしたので、ユウナは「内緒」と返しておいた。

「え〜、気になるじゃん」
「それでも内緒だよ」

 なんだよ、とティーダは頬を膨らませて、先程買ってきた夕食用の食材を袋から出す。
 にんじん、じゃがいも、たまねぎ、牛肉、カレーのルー、今日の御飯はカレーで決まりだ。

「俺、飯の準備するから、ユウナは風呂の準備しててよ」
「は〜い!」

 ユウナは桶を手に取って、颯爽と家を出た。







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