一章  A sea voyage




★人物紹介

◆ツッチー・アイガシード
アンダスティル総合高校に通っていた男子。
ユウナとともに時空の狭間に巻き込まれてしまい、そのまま生き別れに……。

◆クルフレイド・ヴァレイン
森で倒れていたツッチーを拾い、元気になるまで介抱してくれた男。
通称「クルド」





 闇の穴、迷宮の世界。
 通常の世界とはまた別の世界がここに存在している。そこは通常の世界同様、人間たちが暮らし、また動物たちが暮らし、誰にも平等な時間が川のように流れていた。しかし、様々な機会が生産され、日々便利なものへと変わりつつある通常の世界と比べれば、まだ発展途上だと言えよう。
 そしてこの世界には奇異なものが存在した。その代表的な例が“魔物”だ。動物なのは確かだが、彼らは他の動物を襲うし、人間たちもを襲ってしまう。その点は凶暴なライオンやサメなどの大型肉食動物となんら変わりない。ただ、彼らには“魔法”やその魔物特有の特殊能力を使うことができるのだ。
 魔法といってもハ○ー・ポッ○ーのように空を飛んだり、物を宙に浮かせたりするようなおとぎチックなものとは大きく異なっている。種類は大まかに分けて二つ。攻撃的な黒魔法と、回復や治療を主とした白魔法。
 大雑把な説明で大変申し訳ないが、最終的に言いたかったのは、この世界には通常では考えられないものが当たり前のように存在するということである。

 私たちが現在当たり前のように暮らしているこの世界をAとし、先ほど説明した世界をBとしよう。AとBは絶対に交わることがない、と定められている。ところが近年多発している“時空の狭間”という意味不明な自然現象のせいで、AとBが一時的に繋がるというこれまた意味不明な自体が起こっている。そして、時空の狭間発生時にその近辺にいた者は、Bへと飛ばされてしまう仕組みになっている。Bでそれに巻き込まれた場合については、未だ解明されていなかった。

 ある日の夕暮れのことである。
 某総合高校の一室に、突如として時空の狭間が発生し、偶然その場に居合わせた男女二人が巻き込まれてしまった。

 二人の行方は、依然として掴めていない。







暗黒の海 黄昏の囁き
(ユウナ日記 第三部)






 一章 A sea voyage

 この日、ツッチー・アイガシードは初めてこの世界の晴れ空を見た。燦々さんさんと照りつける陽光を受けた丸眼鏡が、不審者を思わせるように煌いている。
 時空の狭間に巻き込まれ、この異世界に辿り着いてから一週間が過ぎた頃のことである。

 長らく雨天が続いていたためにセルク王国への旅をできないでいたが、今日ようやく旅立てそうである。支度は一週間中にしっかりと整えた。あとは……

「家中の金集めてきたぞ」

 質素な木造の家――小屋?――から出てきたのは、茶髪の青年。誰もが一度は振り返りそうな顔立ち、なのに着ているのはほろのようなローブである。背には遠足にしては大きすぎるリュック。手には山登りには最適な杖。いかにも周りから変な目で見られそうな恰好だ。
 クルフレイド・ヴァレインこと通称“クルド”は森で行き倒れていたツッチーを拾い、介抱してくれた恩人――変人?――である。

「金欠もはなはだしいですね」
「自分でもそう思う。って、そんな笑顔で言われても説得力ねぇぞ」

 思案を巡らせた結果、セルク王国へは船で行くことになった。飛空艇を使えば短い日数で着くらしいが、生憎それを使う予算がないため、安い賃金で済む船旅をよぎなくされたのだ。

「そういえばクルドさんってお仕事は何を?」
「近くの製鉄工場で働いてる」
「旅に出ることは伝えたんですか?」
「伝えたというか、きっぱり辞めた。どうせセルク王国に行くんならあっちで働いたかな〜と思ってさ。給料も断然あっちのほうがよさそうだし、金欠にもそう簡単にはならんだろ。あ、ちなみに退職金は一ギルももらえなかったぞ。『なんせこの辺りは不況でね〜』とか言われたけど、実際俺のことが気に入らんでくれなかったんだろう」

 それは何処からどう見ても大問題ではないだろうか? 自分が気に入らないからといって退職金を渡さないのはあまりにも理不尽かつ不誠実である。それなのにクルドはあまり気に留めていないようだった。

「おいツッチー、これ持っとけ」

 ひょい、と飛んできたのは片方の先に尖った石のついた棒――槍だった。

「え!? どうして僕がこれを?」

 もちろんツッチーにそれを渡された意味が分かろうはずがない。

「魔物に襲われたときに使え。何もないよりはマシだろ」
「ぼ、僕に魔物と戦うなんてことできるわけないでしょ!」
「基本的には俺が魔法で守ってやるけど、やむを得んときもあるかもしれないから」

 一見して素早い攻撃を繰り出しそう剣士に見えるクルドだが、実際は攻撃魔法の使い手、黒魔道士である。今手にしている杖は魔法攻撃力アップに繋がる魔道士専用の武器だ。

「なんか、クルドさんが守ってくれるっていうと逆に心配になりますね」
「そんなこと言ってると魔物に襲われたときに助けてやらんぞ」
「冗談ですって」

 実際は心配でならなかった。クルドが魔法を使えるとはいえ、ツッチーが見たのは指から小さな火を出すのだけ。そんなもので魔物を撃退できるとは到底思えない。

「港まではだいたい三分ありゃ行けるかな。森を抜けたらすぐだから。まあ、朝っぱらから魔物が出てくるようなことはねぇよ」

 とか言って本当に魔物が出てきたらどう責任を取ってもらおうか、とツッチーは心中で毒づいた。


 +++


 深く、そして果てしなく広がる青色は、日光を浴びて煌いている。
 思えば海を見るのはずいぶんと久しぶりだ。息がつまりそうになるくらいに密閉されたスケジュールに縛られ、決して家から遠くない海を見る機会がなかったから。
 人気の少ない港には、漁船を合わせて幾数の船が停泊している。その中の一隻、他の船と比べて圧倒的に大きく、概観も綺麗な船がツッチーたちの乗ることになる船である。
 外観だけでなくもちろん船内も綺麗だ。ところどころに飾られた絵画が印象的だが、どの絵の作家もツッチーの知らない名ばかりであった。
 心地よい音色のクラシック音楽が流れているが、やはりツッチーの聴いたことのない曲である。ここが自分の知らない世界だと、改めて実感するとともに、新鮮味が感じられて、ツッチーの心は躍った。

「え〜と、部屋は何処だっけ」

 搭乗口でもらった部屋の番号札と鍵を持ってうろうろしているクルドの後を、ツッチーは追う。札に書かれた206号室は二回の廊下の突き当たりにあった。
 部屋は大きな窓から射し込んでくる日光を受け、明るく凛とした空気を漂わせていた。だいたい十畳ほどの空間にベッドが二、木製のデスクと椅子が二セット、テレビが一台、家具らしい家具はそれで全部だった。
 奥のほうにはバスルームとトイレがあって、安値の割にはずいぶんと設備が整っている。
 重い荷物を床に下ろし、ツッチーは窓の向こうの海を一望した。

「船の上って、何もないから暇なんだよな〜」

 と、クルド。
 確かに船上は遊ぶものもなければすることもない。甲板にプールがあるとは聞いていたが、生憎水着は持ってきていないし、だからと言ってパンツ一丁で泳ぐのも人目が気になる。

「お〜、そういえばカジノがあるんだった! 俺はそっちで遊びまくってるぞ! ツッチーはどうする?」
「僕は適当に船の中を歩き回ってます」

 そうか、と言ってクルドはツッチーを置いてさっさと部屋を出て行ってしまった。
 ちょうどそのとき、船全体が少し揺れた。上のほうからけたたましい汽笛が聞こえる。

 ――セルク王国行き船 『セントアンヌ号』 出港。

 決して多いとは言えない――むしろ少ない――人数を乗せた大きな船は、蒼き海へと滑り出した。


 +++


 甲板には心地よい潮風が吹きつけている。船が立てる水飛沫みずしぶきの音を聞きながら、ツッチーはつい数分前まで足をついていた島が遠くなっていくのを見守っていた。――トラード島。リンドブルム王国に付属する小さな島だ、とクルドが話していた覚えがある。
 進行方向は陸地えあしきものは一切見えない。ただ蒼き水の世界が果てしなく広がっているだけである。
 海の水は恐ろしいほど澄んでいた。海底で小さな魚が泳いでいる様や、ヤドカリなどがうごめいているのがよく見える。珊瑚礁さんごしょうに見え隠れしている見たことのない魚。水流になびいて踊るイソギンチャク。透明度が高いおかげで海の世界の様々な顔を見学することができた。

 ――ユウナさん、大丈夫かな……。

 こうして落ち着いてみると、様々な心配事が浮き上がってくる。
 まず、時空の狭間に巻き込まれた後に離れ離れになってしまった大切な人のこと、いったい何処に辿り着いたのだろうか――安否さえも見当がつかない。別世界からの放浪者は国籍を与えてくれるセルク王国に向かうということでツッチーもそれに便乗したのだが、果たして“彼女”と再会できるのだろうか?
 次にこれからの自分の人生である。ついこの間まで普通の世界で普通の生活をしていたのに、それが突然にして途切れてしまった。まだこれから先の未来があったのに、様々な希望や夢があったのに、この右も左も分からない異国に来てしまった。あちらの世界にはもう帰ることができないというのだから、もうこの世界で新たな未来を切り開くしかないだろう。
 はあ、と大仰に溜息をついてツッチーは無限に広がる青色を眺めた。水平線がはっきりと見える。――ということは、この背かも元の世界同様丸いのだろう。環境も人々も、なんら変わりないこちらとあちら。なのに二つはかけ離れている。それどころか、こちらは事実上存在しないことになっている。
 宇宙空間の何処にもない星。では今ここにあるこの世界は何なのだろう? 存在しないはずの世界がどうして存在しているのだろう。考えても考えても結局辿り着くのは、ここが何処で何なのか、という答えのない疑問だった。
 思えばこちらに来てから不安と疑問ばかりに脳を支配されて、希望を何一つ見出せていない。楽しいこととか、面白いこととかもまったく考えていない。

「――兄ちゃん」

 声をかけられたのは、マイナス思考を必死で消し去ろうとしていたときだった。







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