三章 闇色の少年
この日も晴天だったのでツッチーは甲板に出て暇をつぶしていた。
昨日見たときの海は青く、透き通っていたはずなのに、今日はどこまでも黒い。まるで深い、それはもう深い大穴があるかのように思えてしまう。
暗い海の中には無数の光が点在している。時折集まって動いたり、そうかと思えばまばらになって静止したりして面白い。しかしその正体は分からなかった。
「――海が深いんだよ」
不意に隣からかかった声に、ツッチーは視線をそちらに転ずる。茶髪の少年が先ほどのツッチーのように暗い海を見下ろしていた。
「兄ちゃんが珍しそうに眺めてたから。――光ってるのは魚だよ」
少年――リュードの顔は寝起きの冴えない顔である。
「海が暗く見えるのは、すっげぇ深いからだよ。世界一の大海“ラミューダ海”。別名“仄暗い海”とも言うらしい」
どこか誇らしげに語るリュードの様子に、ツッチーは笑いそうになった。
「兄ちゃんはカジノとか行かないんだな」
「僕賭け事とか嫌いなんですよ〜。昔から負けてばっかりですし」
「ふ〜ん」
さも面白くなさそうな態度の少年に苦笑する。
「リュードくんも暇なんですね」
「うん。な〜んもすることないしな。見たいテレビもないし。これだから船旅って嫌いなんだよ。しかも一週間だぜ」
「一週間……ですか」
たかが一週間、されど一週間。退屈でなければあっという間の一週間なのに、こうも退屈が継続すると長く感じられる。
「そういえば今日の昼頃にギナース島ってとこに寄るらしいよ。ずっと船にいるのは暇だから、兄ちゃんも一緒に降りて見物していかないか?」
「いいですよ」
セントアンヌ号は、正午を少し過ぎてギナース島に寄港した。
弧を描くようにして設けられた港には、たくさんの人でごった返している。露店なども立ち並んでいて、独特の賑わいを見せていた。
クルドがカジノで稼いだ金の中から少しだけ抜き盗って、ツッチーとリュードは船を後にした。
立ち並ぶ屋台のほとんどが食べ物屋なので、そこら中に美味しそうな匂いが漂っている。見たことのない料理から馴染み深い料理まで様々。どれも食欲をそそるものであった。
リュードが肉まんをいくつか買ったのに便乗してツッチーもそれを買い、それからは出航時間を気にしながらの食べ歩きになる。
「お!」
美味しいものをたくさん胃袋に詰め込んだ後、リュードが立ち止まったのはアクセサリなどを扱っている店だった。
店頭には洒落たネックレスや指輪などが並べられている。高価そうに見える割に値段はさほど高くない。これくらいなら欲しがっている少年に買ってあげてもよいくらいだ。それに金なら余るほどあるし。ついでに自分の分も買っておこう。
ツッチーはたくさんある中から龍の掘りがあるネックレスを選び、リュードは迷い迷いしながらも聖剣のネックレスを買うことにした。二つ合わせて八百ギル。中古のFFのソフトを買うよりも断然安い。
商品を受け取って店を出たちょうどそのとき、船の出港を知らせる汽笛がけたたましく鳴り響いた。セントアンヌ号の搭乗口にどっと人の波が押し寄せている。二人はその波に巻き込まれながらもなんとか乗船することに成功した。
しかし船に乗れば待っているのは退屈な時間ばかりである。せめてゲームでもあれば…と思っていたときに甲板で目に入ったのは“Game Gallery”と書かれたフラッグが立つ出店だった。今日の午前中までは見かけなかったのできっとギナース島から乗船したのだろう。
店に並べられていたのはやはりツッチーの知らないゲームばかりである。リュードが言っていた“FANTASY QUEST”を始め、“ソードダンサー”や“ガンスリンガー”など様々。
ツッチーはゲームボーイアドバンスのようなゲーム機とFANTASY QUEST(T〜Z)を購入し、ゲームへの期待を膨らませながら自室へとスキップで帰った。ちなみにリュードはいつの間にかいなくなったとか。
部屋にはやはり誰もいなかった。カジノ好きのクルドはまた遊びこけているのだろう。昨日みたいに大金を持ち帰ってきてくれることを三秒間限定で祈り、ツッチーはゲームの世界へと入っていくのだった。
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船の下には相変わらず漆黒の世界が広がっている。
リュードは何を考えるわけでもなく、ただぼうっと闇に点在する光を眺めていた。
――これから何しようかな。ツッチーは部屋に帰っちゃったし……。
ゲームを売っているのは知っているが、やる気が起きなかった。最近はずっとこの調子である。
――だり〜。部屋帰って寝よ。
気だるさを振り払おうとしながら踵を返し、足を一歩踏み出したところで、止まった。視線の端で気分悪そうにうずくまっている人間を捉えたのだ。見た目から察するにリュードと同じくらいの年齢だろう。涙目で、顔は蒼白している。
「大丈夫か?」
近づいて声をかけるが、僅かに視線が動いただけだった。
「酔っちゃったみたい……」
風の飛ばされて消えそうなくらいの弱々しい声が返ってくる。
「しょうがねぇな〜」
リュードはその者の背後にしゃがみ、丸くなった背中を優しくさすってあげた。
「こんなところで吐くなよ」
「うん。――ありがとう」
微笑みを浮かべる顔には子ども独特の美しさがある。まだ成長しきっていないその顔は、歳が近いリュードでさえも性別を見極めることができなかった。
「おれはリュードってんだ。十歳でD.H.G(危険物取り扱い専門学校)に通ってるんだ。お前は?」
「フィディス。君と同い年だよ。あ、こう見えても男だからね」
それだけ言ってフィディスはまた気持ち悪そうに俯いてしまった。
「吐くんならトイレか自分の部屋でしろよ。動けるか?」
「う、うん」
無理に立ち上がろうとする少年の肩をリュードは支えてやった。そのまま彼の部屋――二〇〇号室へと歩く。時折他の乗客に手を貸そうかと言われたが断り、苦労しながらもなんとか部屋に辿り着くことができた。
今にも嘔吐しそうなフィディスをベッドに置き、とりあえず落ちていた紙袋を彼に渡す。
「ごめん。すっごい迷惑だよね、ボク」
「気にすんな。人助けなんて朝飯前さ!」
病院の世話をするのも別に嫌じゃないし、面倒だとも思っていない。それに困っている者を放っておくことなどリュードのプライドが許さなかった。
「船酔いの経験ないから分からないな、その気持ちが」
「それってある意味幸せなことだよ。ボクなんか船だけじゃなくて車でも酔うし、チョコボでも酔っちゃう」
ベッドに横たわって虚ろな目を向けるフィディスの顔色は、末期の老人のそれだ。
「何か飲んだら楽になりそうか?」
「うん。でも飲み物ないんだ……」
「おれが買ってきてやるよ。金なら余るほどあるしな」
その余るほどの金というのは、昼にツッチーから分け与えてもらったもの――つまりはリュードがまだあったことのない“クルド”とかいうカジノ好きのぐーたらおっさん(ツッチー談)のものである。まあ、それが他の人のものだからこそ大いに使ってやろうというのがリュードの基本的な姿勢だったりするのだが。
廊下にあった自販機で缶ジュースを自分の分とフィディスの分を買い、部屋に戻ったところで一方の缶のふたを開けて死に掛けている――船酔いで苦しんでいるフィディスに手渡した。
「ありがとう」
返ってきた弱々しい声に頷いて、ベッドの横にある椅子に腰掛ける。
「フィディスもセルクに行くんだろ?」
「うん。お婆ちゃんちに泊まりに行くんだ。ギナースにずっといるのも暇だからね。あ、こうして喋ってると酔いが薄れる!」
だがその言葉が船酔いを呼び戻してしまい、フィディスは慌ててジュースを何口か飲む。
「セルク王国って遊ぶところがいっぱいあるんだよね。珍しいものとか面白いものもいっぱいあって好きだな〜。リュードくんもセルク王国に行くんだよね?」
「ああ。おれんちセルクにあるからさ」
「いいなぁ。セルクに住んでるなんてすごく羨ましいよ」
「つっても普段は学校の寮に監禁状態だけどな。あ、ちなみにおれ、トラードのD.H.Gに通ってんだ」
甲板で話しかけたときもこの台詞を言ったが、あのときは船酔いがひどかったのか、フィディスの反応はなかった。しかし今度は正気だったために期待通りの反応を見せてくれる。
「すっごいねぇ! ボクも試験受けたけど落ちたんだよ!」
興奮続行中のフィディスの、目は尊敬に輝いている。
「リュードくんって意外と頭いいんだね!」
「意外と、は余計だ」
苦し紛れの微笑だが、フィディスのそれは十分に美しかった。今は船酔いのせいで顔色が悪いが、健康な状態だとその微笑みもいっそう美しく見えただろう
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