五章  極限の闇イクストダークネス

「フィディス、お前……」

 窮地に立たされたリュードは僅かに上ずった声を出す。
 銃口をリュードに向けているフィディスの目は殺気に満ちていた。普段の気弱そうな様子からはとても想像し難い姿である。
 銃口を向けられていることに衝撃を受ければいいのか、それとも銃口を向けている人物に衝撃を受けていいのか――おそらくリュードにとっては後者だったろう。何せここ最近フィディスの身近にいたのはリュードだから。泣きたい衝動に駆られながらもなんとか堪えた。

「危ない!!」

 ツッチーがリュードを突き飛ばしていなければ、今頃リュードの頭には一つの穴が空いていただろう。頭上を通り過ぎた銃弾は背後のドアに突き刺さった。
 気弱だったはずの少年は無表情に第二撃の準備を始めている。

「逃げないと!」

 床に倒れて呆然としているリュードを抱え、ツッチーは急いで部屋を飛び出した。


 +++


「あ〜腹減ったな〜。ツッチーはまた甲板か?」

 夏用ローブを着た茶髪の男――クルフレイド・ヴァレインことクルドは、昼食を摂ろうとレストランに向かっていた。もちろんポケットにはカジノで稼いだ大金ががっぽりと収まっていた。
 ――と、ポケットの中の金を確認しようと手を突っ込んだときのことである。けたたましい銃声が聞こえたかと思うと、身近のドアに一つのひびが入った。

「な、なんだ!?」

 まさか今日の銃撃事件の犯人がまた――。クルドは咄嗟に身構えた。

「かかって来い!」

 威勢よく叫んだ刹那、そのドアが開いて小さな少年を抱えた眼鏡の男が飛び出してきた。

「ってツッチー!?」
「クルドさん!?」

 だが眼鏡の男――ツッチーは一度振り向いただけですぐに走り去ってしまった。

「何が起こったっていうんだ〜?」

 クルドが虚空に訊ねたとき、この理解不能な出来事の新たな登場人物が、部屋からゆっくりと歩み出てきた。
 少し色の薄い金髪に白い肌の少年。歳は十歳前後といったところだろう。いかにも不健康そうで、かつ気弱そうに見えるのだが、手には一丁の拳銃が握られていた。不似合いにもほどがある、と言ってやりたいところだが、生憎そんなことをほざいている暇はなさそうだった。
 銃口がまっすぐにクルドに向けられたのだ。

「もしかして、ピンチ?」

 呟いたときには、少年は躊躇することなく引き金を引いていた。
 この至近距離からだと、銃弾を避けることなど不可能だろう。なぎ払うことだってできやしない。だが放たれた銃弾はクルドに命中する直前に、突如として出現した電撃によって粉砕された。
 これが下級黒魔法“サンダー”である。

「危ない、危ない」

 魔法を放った張本人――クルドは暢気に伸びをしていた。

「ガキがそんなもん持ってると怪我するぞ」

 二発目のサンダーは、少年の手から銃を引き剥がした。足元に転がってきた拳銃を、クルドは拾い上げる。

「少しの間眠っていてくれな」

 クルドは言い聞かせるように囁くと、指をパチンと鳴らした。――刹那、銃を失ってただ立ち尽くしていた少年の周囲に白いもやが発生した。それをもろに吸い込んだ少年の目がだんだんととろんとしてきている。
 “スリプル”は極度の眠気を引き起こさせる魔法である。発生した靄を吸い込めば、よほど精神力が強くないと数秒で夢の中だ。案の定、靄を吸い込んでしまった少年はその場に眠り込んでしまい、まもなくして静かな寝息を立て始めた。

「マジで何事なんだよ……」


 +++


ほとぼりが冷めて、ツッチーとリュードが部屋を訪れたときには、フィディスはベッドで眠っていた。だが気持ちよさそうに眠っていたわけではない。なんだかとても苦しそうで、汗が吹き出ている。悪夢を見ているのだろうか?

「――こいつ一体なんなんだよ?」

 ベッドの傍の椅子に腰掛けていたのはクルドだった。先ほどこの部屋の前を通り過ぎようとしていたとき――つまりツッチーたちが部屋を飛び出したときにフィディスに銃口を向けられたのだが、魔法でなんとかしたという。

「説明してくれよ。一体こいつはなんなんだ?」

 なんなんだ、と訊かれても、とツッチーは口を濁す。ツッチーたちに答えられるわけがなかった。むしろこちらが訊きたいくらいなのに。

「フィディス……こんなことするやつじゃなかったのに」

 リュードがぽつりと零した一言に、ツッチーも同意である。少ししか話したことがないとはいえ、フィディスの雰囲気と大まかな性格は見て取れた。大人しくて、気弱で――なのに拳銃を向けてきた彼はまったくの別人のようだった。
 人間とはあそこまで自己を変貌させることができるのだろうか? ましてやあんなに気弱そうだった少年が突然無感情な殺人鬼になれるものなのだろうか? もしできるのだとしても、フィディスには自分やリュードを襲う理由がない。
 そういえば、とツッチーは一つだけ気になるフシを思い出した。それはフィディスがクルドのことを捜していたことである。

「クルドさん、フィディスくんとは初対面ですか?」
「ああ。初めて見る顔だ」

 だとしたらフィディスが一方的にクルドを知っていることになるが、どこでクルドの存在を知り、なぜクルドを捜していたのだろう? いずれにしても疑問ばかりが湧き上がってきて、事態が解決するわけではない。

「夢遊病とかですかね……」
「だといいけどな」

 クルドの表情が一瞬険しくなったように見えた。

「いや、なんでもねぇや」



 程なくして、フィディスが目を覚ましていた。
訊きたいことは山ほどあるが、ここは彼が落ち着くのを待とう。

「あ、ボク……」

 フィディスは初めて出会ったときと同じ、内気で気弱そうな少年に戻っていた。

「ボク、人を……殺そうとして……リュードくんとツッチーさんまで」

 彼は自分がしてしまったことをすべて認知しているようだった。

「全部、お前の意思なのか?」
「分からない……」
「分からないじゃねぇ!」
「リュードくん、そんなにキツく言っちゃ――」
「だってこいつ人を撃ったんだぞ! それがどんなに悪いことか分かるよな? それをこいつはうやむやにしようとしているんだ!」

 リュードは半ば泣きそうになりながら訴えたが、それを冷静な声が制する。

「たぶん、銃口を向けたのはそのガキの意思に反していたと思うんだ」

 クルドは腕を組む。

「銃口を向けてきたときの目と、今のそいつの目――全然違う。友達ならそれくらい気づいてやれよ」

 リュードはムスっとしたように下を向いてしまった。

「――お前、変な夢を見なかったか?」

 気のせいだろうか、クルドの声色が重くなったような気がする。

「真っ暗な空間にいて、声がしなかったか?」
「う、うん。円卓の騎士ナイツオブラウンドに極限の闇と……」

 やっぱり、とクルドは嘆いた。
 円卓の騎士に極限の闇……ツッチーの頭は段々と混乱し始めた。円卓の騎士とは、確か昔この世界を制していたという騎士たちのことだ。しかし大昔に滅んだと聞いている。なのになぜその名前が、円卓の騎士滅亡から何千年という月日が流れた今になってまた話題に上ってきたのだろう? 
 それに“極限の闇”とは何だ? それがフィディスの暴挙とどう関係あるのだ?
 分からない。本当に分からない。

「クルドさん、状況の説明をしてください」
「説明、か。詳しいことは俺にも分からんが、過去に同じような例を見たことならある。俺の親友とも言うべき男が言っていたこと、体験していたこと。それを話せば居間の状況も理解できるかもしれない。――もう何年も前のことだ」







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