六章 過去は今に繋がる?
あれから十年以上の月日が流れたな。
セルク王国で暮らしていた俺は、自分の将来のことで両親と喧嘩して、家出した。行く当てもなく世界を彷徨い歩いていたら金も底を尽きてしまって、ついには道端で倒れてしまったんだ。もう二度と目覚めることはないだろうと思ったよ。けど俺はまたこの世界で目を覚ますことができた。
まだ意識がハッキリしない中、俺を囲んでいたもんたちがしきりに話しかけてきたのは覚えている。――そう、俺は助けられたんだ。
アクアスはロセトニア州、プロトという小さな村の、住人たちに介抱してもらった。村人たちは心底いいやつらだったと思う。だから俺はここに住んで働こうと考えた。
ところがどっこい、その村人たちは王に謀反を起こそうとしていたんだ。まあ当時のアクアスの王は国民に多額の税を課し、その金で私腹を肥やすような奴だったから、謀反を企んでいる人間なんてたくさんいたけどな。もちろん俺も謀反には賛成だった。
俺が村人に助けられて数ヵ月後、謀反を起こそうとしていた人間の中に王宮からのスパイがいたらしく、謀反の計画が王にばれちまった。そして瞬く間に王軍が村に攻め込んできた。不意を突かれた――まあ、不意を突かれなくても結果は同じだったかもしれないが、完全武装の兵士に俺たちは手も足も出ず……村人たちは次々と死んでいく。
俺は残った村人――もう一人しか残ってなかったけど、そいつを連れて逃げた。
俺と同じくらいの年の男で、名前は“アイル”という。
『――クルド、オレ最近変な夢を見るんだ』
アイルがそんなことを言い出したのは、村を離れて三日過ぎた頃だった。
『薄暗くて何もない空間にいて、誰かが話しかけてくるんだ。「お前は“極限の闇”だ」って』
あとはフィディスが言ってたのと同じことを言っていたな。でも最初は村のもんが死んだショックのせいでそんな夢を見てるんだと思っていた。けどその夢は日毎に進むっていうし、アイルの顔色も日毎に悪くなる。ただ事じゃねぇな、とは思ったけど、俺にはどうすることもできなかった。
『アイル! 何やってんだ!』
そしてその日が来てしまった。
朝起きてみたらアイルがいなかったから、辺りを探してみると、銃口を自分のこめかみに押し付けているアイルがいたんだ。
『アイル! 銃を下ろせ!』
アイルは怯えたような目で俺を見ていた。
『クルド、オレこのままだとクルドを殺してしまうかもしれない。“円卓の騎士”はオレを使ってクルドを……。でもオレはそんなことしたくない! だからっ!!』
『やめろっ!!』
俺は咄嗟に魔法で銃を引き剥がそうとしたけど、一瞬遅かった。
けたたましい銃声が当たりに響き渡った後、アイルはその場に崩れ落ちた。
『アイル!!』
もうどうすることもできなかった。
唯一俺にできたことといえば、アイルを抱いて、その死を見守ることだけだったな。
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「これが俺の知っている“極限の闇”だ。その“円卓の騎士”のはっきりとした目的は分からんが、人を殺すことに何かしらの利益があるらしい。そして“極限の闇”になりきれない人間は自ら死ぬ。フィディスはそんなことすんじゃねぇぞ……ってありゃ?」
先ほどまでベッドに横たわっていたはずのフィディスがいつの間にかいなくなっていた。部屋のどこにもいない。
「いつの間に外へ……」
ツッチーの口から嘆きとも不安とも取れる声が漏れる。たった今自殺の話を聞いたばかりだから、心配する気持ちも一層大きい。
「捜しに行くぞ!」
珍しくてきぱきと行動するクルドに何か言おうとしたツッチーだったが、フィディスを捜すことを優先する。
クルドとしても亡き旧友の二の舞は見たくないだろう。
フィディスを見つけるのは意外と簡単だった。ちょうど甲板の縁が交わる辺り――その先にはもう暗黒の海しかないというとても危険な場所に、彼は立っている。
「フィディス! そんなところに立ってると海に落ちるぞ!」
リュードの警告にもただ首を横に振るだけだった。
「ボクはリュードくんを――みんなを殺したくないんだ」
弱々しい声色だったが、必死なのがこちらに伝わってくる。
「でもボクが殺したくなくても“極限の闇”がみんなを殺そうとする。だから――」
フィディスが何かを言いかけた刹那、何も聞こえなくなるくらいの凄まじい風が甲板に吹き荒れた。
そしてその風が止んで目を開いたとき、先ほどまでそこに立っていたはずのフィディスの姿が、文字通り消えていた。
「フィディスくん!!」
「フィディス!!」
ツッチーとリュードは慌てて甲板の先に駆け寄った。
船下に広がる海に、船が立てる飛沫に巻き込まれて、溺れかけているフィディスがいる。
このまま彼を見捨ててよいのだろうか? ツッチーは自分自身に問うた。何とかして彼を救えないだろう? しかし果たして救うことができるだろうか? 自問自答したって何の解決にもならない。それよりも今自分が彼にしてあげられることを率先してやるべきではなかろうか。
ツッチーは決意した。そして大きく息を吸い込むと、仄暗い海に飛び込んだ。
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ついさっきまで乗っていた客船セントアンヌ号は、もうずいぶんと遠くまで行ってしまった。
人命救助よりも乗客優先――理屈は分かるが、少しひどい気がする。確かに予定通りの航海も大切かもしれない。だが、人一人の命に比べれば、予定が狂うことなど小さなことではなかろうか。
もがくことの体力を使って疲れたらしいフィディスを、ツッチーは自分の身体に引き寄せる。
大海原に主人公とヒロインが取り残される……映画ではよくあるシーンだが、まさかこうして自分が体験することになろうとは思ってもみなかった。映画ならこのあと仲間が助けに来たり、偶然船が通りかかったりするものだが、今この場面では鳥すらも飛んでいない。近くに島があるわけでもなく、延々と仄暗い海が広がっている。
「ツッチーさん……」
と、今にも消えてしまいそうな弱々しい声でフィディスが言う。
「迷惑ばっかりかけて……ごめんなさい」
「いいんですよ。これは僕がしたくてしたんですから」
何も彼を助けられるとは思っていなかった。ツッチーがやらなければならなかったのは、この少年を大海原に独りぼっちにさせないこと。そして彼を安心させることである。
人間は人間の傍にいることで安心を得られることがある。時としてそれが不安を生み出すこともあるが、傍にいるのが信頼できる人間ならば心の底から安心できるだろう。
フィディスがツッチーのことを信頼しているかどうかは分からない。だけど憎んでいるとは思えなかった。それにツッチーには自分でも気づかない“温かさ”を持っている。だからきっと腕の中の少年は安心してくれているだろう。
「ボクたちこれからどうなるんだろう」
そういえばまだ未来に対する不安があったな。本当に自分たちはこれからどうなるのだろう、とツッチーは思う。このまま暗黒の水底に沈んでしまうのだろうか? それとも奇跡が起こって二人とも助かるのだろうか?
澄み切った空に“影”が現れたのは、ツッチーが奇跡が起こることを祈ったときだった。
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「くそーっ!」
リュードは甲板の縁を思いっきり殴った。
ツッチーとフィディスが船から落ちたところからもうずいぶんと離れてしまっている。先ほど船長に船を引き返すよう頼み込んだのだが、今いる乗客が優先だ、と跳返されてしまった。
「人の命が懸かってるっていうのに船長は何考えてやがんだっ!」
「まあ、船長さんは間違いなく強制退職だろうな」
冷静に応じたのはクルドである。
「予定を遅らせることのほうが奴らにとっては大きなスキャンダルになるんだろうよ。乗客だって船が途中で止まったりしたら黙っちゃいない。何もみんながみんな気休めや里帰りのためにセルクに行くわけじゃないしな。中には企業の大事な契約のためや知り合いの結婚式のためとか、重大な理由を抱えているやつだっている。それでもし時間に間に合わないとなると、乗員に怒りをぶつけてくるだろうな。それを避けるためにツッチーとフィディスを見捨てたというわけだ。まあ、この事実が上のほうに知られると船長も乗員もその責任を負ってクビになるんだが」
「だからって!」
リュードは何よりも大切な人たちを救えない自分が悔しかった。甲板の上から、ツッチーとフィディスが船の起こす波に巻き込まれている様を見ていることしかできなかった自分が憎い。しかし自分が海に飛び込んだところで事態がよくなることはなかったと思う。むしろ救われない人間が一人増えただけで、より悪い状況へと変わるのではなかろうか。そんな自分の無力さを、リュードは呪った。
「二人とも助かるよな?」
心配ない、とクルドはぎこちなく微笑む。
「ツッチーには彼女にフられて、その後病にかかって死ぬっていう筋書きが用意されている。ついでにフィディスは将来セルク王国で工学博士になるってことになっているんだ。だから二人ともこの海で死ぬことはない」
すました顔でとんでもないことを口走ったクルドだが、結果的にはその言葉がリュードを少しだけ安心させた。
「そう、だよな。あいつらは死んだりしない。おれ、おっさんの言葉を信じるよ」
「おいおい、俺はまだおっさんって呼ばれるような歳じゃないぞ。新鮮な二十九歳なんだから。せめて“お兄さん”と呼べよ」
「分かったよ、おっさん。――ん? あれは!?」
リュードが指差したのは南の空――ちょうどツッチーたちが落ちた方向である。
青い空に、海の暗さに負けないほどの暗い影がぽつりと浮かび上がっていた。その影は徐々にこちらに近づいてきているようだ。そして近づくにつれ、その容貌が露となる。
漆黒の身体と翼。額と思われる箇所には発達した角がある。鋭利なまでに尖った爪は、鷹か何かのそれのようだった。
「黒竜……」
“黒竜”と呼ばれる“神獣”のそれは、三人の人間を背に乗せて飛翔していた。そのうちの二人はツッチーとフィディスだと確認できる。あとの一人――短い黒髪の青年は……
「あれって召喚士か?」
クルドは頷く。
そう、あれこそが神獣とともに時を歩み、そして人間にして唯一神獣を支配下に置ける召喚士であった。しかし近年においてはその数もめっきり減り、公の場に姿を現さなくなった。いわば伝説の存在なのだ。こうして白昼堂々姿を拝見できるなど、本当に奇跡に等しい。
リュードは召喚士も神獣も初めて見るという。だがクルドはそうではない。その黒竜も召喚士その人もよく知っていた。
「テュール……ずいぶんと久しい」
クルドがぽつりと呟いたとき、黒竜が高度を下げて甲板に降り立った。
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