月が綺麗な夜だった。
 病院の一室には産まれたばかりの赤ん坊の元気な産声が響いている。

「元気な女の子ですよ」

 出産に携わった看護師がその赤ん坊の母親に声をかける。
 母親は、疲れきった表情を引きずったまま微笑んだ。

「私にも抱かせてよ」

 彼女の夫はわが子さも大事そうに抱え、涙を流していた。

「やだ。何泣いてるのよー」
「これが泣かずにいられるかい? 待ち望んでいたわが子がついに誕生したんだぞ」

 彼は赤ん坊を彼女に預けると、涙を拭った。

「あら不思議……この子、目の色が左右で違うわ」

 彼女は衰弱した自分の身体を無理に起こすと、わが子を自分の身体ごと夫のほうへ向ける。

「私の緑色とあなたの青色。なんて綺麗なのかしら」

 そうだな、と夫は笑う。

「私と君の愛の結晶だ」
「うん。――ほら、お月様も微笑んでるね。そうだ、この子の名前は月の意味を込めて“ユウナ”にしましょう」
「ユウナ……いい名前だ」
「――いつか、あの月のように輝く存在になってほしい」
「ユウナならなれるさ。絶対に」

 そうだね、と彼女は力強く頷いた。

「なんといっても私とキミの子ですから」


 ――夜空に輝く満月は、二人の幸せなときを優しく見守っていた。






























天空の微笑み 大地の怒り(ユウナ日記 第四部)












































一章 愛する父


 世界一の大国と呼ばれ始めて何十年が経とう。広大な領土と資産、そして人員。すべてにおいて素晴らしい結果を生み、更に優秀な国へと進化し続けるのはここ――セルク王国である。
 ユウナは眼前の光景に思わずたじろいだ。
 高層ビルが立ち並び、道は多くの人で埋め尽くされているのは元の世界でもよく見かける都会の光景だった。しかし、元の世界に空飛ぶ車があったかというと、そうではない。更に移動手段の一つにリフターという瞬間移動ができるという大変優れたものがあった。

「これが、セルク王国……」

 まるで延未来の大都市のようである。
 今まで見てきたアクアスやリンドブルムの街並みは何だったのだろう。ここまでの技術の差があるとはさすがに思わなかった。

「で、ここはどこ……」

 興味本意で裏路地に入ったのが運の尽きだった。探検気分でどんどん奥に進み……複雑になっていくのにも気づかず……そしてこのありさまである。

「私って莫迦だな」

 ユウナは自分の愚かさを呪った。
 帰り道も分からず、本格的に迷ってしまったユウナは、とにかく進むことにした。
 諸人曰く、迷ったときは動かないのが一番だとか。しかしここでじっとしていて事態が打開されるかというと、太鼓判を押して、そうだ、とは言えないだろう。進み続けても同じかも、と思ったり、思ったりするのだが(笑)



 いつの間に、とユウナは思う。
 辺りの風景は黄昏ていた。建物と建物の隙間から見える西の空は紅蓮色に染まっている。ここに迷い込んだのは昼過ぎだったから、あれからずいぶんと時間が経過してしまったことになる。
 しかし事態は一向に打開されていない。迷って迷って歩いて迷ってとまって歩いて歩いて迷って止まって迷って迷って……etc
 体力だけは人一倍と思っていたユウナも、さすがに疲れていた。

「足が痛いなぁ」

 こんなに歩いたのは久しぶりだ。ここ数日間は飛空艇で生活していたから尚更そう思う。

「ん、あれは」

 私って不幸な人、とか心中でぶつぶつ言いながら歩いているうちに、ある建物の入り口に辿り着いた。
 大きな扉の上に十字架と人型の彫りがある。それはまさに……

「教会?」

 元の世界にいたときは悩んだときや悲しいときによく立ち寄ったものである。ユウナは道に迷ったことも忘れて懐かしさに心を置いていた。だから急に開いた扉にも気づかず……

「きゃっ!」

 勢いこそなかったものの、開いた扉が顔面にクリーンヒットしてはさすがに痛い。ユウナは涙目になりながら、じんじんと痛む顔を押さえる。

「す、すみません! 大丈夫ですか!?」
「大丈夫じゃないです……」

 本当に私は不幸だ。ユウナは心中で嘆いた。

「お怪我はございませんか?」

 修道服を身にまとった赤毛の少女――おそらくこの教会に勤めるシスター――が声をかけてくるのにユウナは頷いて答える。

「私がこんなところにいたのが悪いんです」

 意外と頑丈なんです、とユウナは笑う。それを見てホッとしたように少女も笑った。

「本当にすみません。あ、教会まだ開いてるのでどうぞ〜」

 自分がむくわれない今こそ教会で神の加護を求めるべきだろう。ユウナは何の迷いもなく教会に入っていく。
 中も元の世界の教会同様、たくさんの長椅子が並べられている先に“主”を象った銅像が祀られている。しかし祀られている銅像は、ユウナの知っているキリストでも聖マリアでもなかった。

「あれは?」
「大召喚士ユウナレスカ様。大昔に円卓の騎士ナイツオブラウンドを封印した召喚士団の長だった方ですよ」
「円卓の騎士……?」

 ご存知ないのですか、とシスターは珍しいものを見つけたかのような目をする。

「私、とっても遠い田舎に住んでいたから」

 ユウナは苦笑した。

「じゃあ、私がお話しましょう! 円卓の騎士とは――」
「大昔にこの世界を征していたという騎士たちのことだよ」

 少女が勢いづいて話そうとした瞬間、男にしては少し高い声が割って入った。

「司教様!?」

 少女が視線を向けた先にユウナも視線を向ける。入り口に背の高い、青髪の男が立っていた。僧衣を身にまとっていることからおそらく神父なのだろう。

「え……」

 その神父の顔を見た瞬間、ユウナは驚きのあまり凍りついた。

 ――嘘……。

 綺麗な青い瞳に、白月のような肌。おだやかな表情の顔はまさに……

 ――お父さん?

 元の世界では毎日顔を合わせ、話した父。いつも優しく微笑んでいた父。そして今はもう二度と会えない父……。今目に映っている神父は、そんな父とそっくりな――むしろまったく同じといっていいような顔をしていた。

「私はこの教会を仕切っているブレイルです」

 ――別人、か……。

 父とは違う名前でまったくの別人だった。だが男は父とまったく同じ、優しい微笑を浮かべている。

「私の顔に何か付いてますか?」

 あまりにも父と似ていたためについ見入ってしまったユウナは、慌てて首を横に振った。

「エステル、円卓の騎士のことは私に話させてもらえないか?」
「あ、はい」

 赤毛の少女――エステルは笑う。

「司教様は円卓の騎士のお話がお好きですものね」

 そういってエステルは長椅子の一つに腰を下ろす。ユウナもその隣に座った。

 ――ホントそっくりだな〜。

 世の中にはそっくりな人間が三人いるというが、父と眼前の神父はいくらなんでも似すぎである。――いや、まったく同じだと言ったほうが正しいかもしれない。顔も髪も声も体格も雰囲気も……すべてが父と似ているのではなく、同じだ。

「話をする前にお名前を伺ってもよろしいかな?」
「あ、はい。ユウナです」

 ユウナか、とブレイルは天を仰いだ。

「“月”という意味ですね。ふふ、この教会で月と星が巡り合いましたか」
「星?」

 ブレイルは笑って、ユウナの隣に座っているエステルを見た。

「エステル……“星”という意味です。月と星のツーショットが見れて私は幸せ者だ」

 そう言うと、ブレイルは“主”の前に歩み寄り、膝を折って手を組んだ。

「主よ、月と星があなたの子らの輝く存在になりますように。そして二つにご加護を――エィメン」

 そういえば母がよくこんなことを言っていた。あなたにはあのお月様のように輝く存在になってほしい、と。だがユウナは未だに輝けることを何一つしていない。いや、遅刻をしまくってみんなの注目を集めてしまうというのが、ある意味輝けることだったのかもしれない(笑)

「円卓の騎士の話をする前に、ユウナさんのことを伺ってもよろしいですか?」

 父とまったく同じ声のブレイルの問いに、ユウナは頷いた。

「ぶしつけかもしれませんが、お許しを。答えたくなかったら無理に答えなくてもいいですからね。――まず、先ほどのエステルとの会話を聞いていると、あなたはこの国の出身ではないようですが、どちらから参られたのですか?」
「違う世界から来ました――あっ!」

 本当はリンドブルムの出身だと言いたかったのだが、つい事実を口走ってしまった。

「なるほど。時空の狭間に巻き込まれてしまったのですか。それはご苦労な……。さぞかし故郷が恋しいことでしょう」
「両親のことがとても心配です」

 父にそっくりなブレイルの前で言うのも変な気分だが、事実だから仕方がない。

「両親もさぞあなたのことを心配してらっしゃるでしょう」
「……ブレイルさんは私の父にとても似ています。さっき初めて見たときは本当に父かと思って驚きました」

 本当ですか、とブレイルは嬉しそうに笑う。

「何なら私がこちらの世界のあなたの父ということでどうです? そしてユウナさんとエステルは姉妹です」

 すると、先ほどまで大人しくしていたエステルが急に身を乗り出した。

「私、お姉さんがほしかったんです!」

 私も妹がほしかった、とユウナは心中で呟いた。兄弟のいる友達をどれだけ羨ましがっただろう。

「あの、ブレイルさんをエステルちゃんは親子なんですか?」
「ブレイルさんてはなく、お父さんと呼んで下さい。おっと、娘に敬語はいりませんね。ユウナさ――ユウナとエステルも敬語を遣う必要はないからね」

 そう言って笑った顔はどこか照れくさそうだった。

「エステルと私は実の親子ではない。まあ、生まれたときから彼女のそばにいたから親子と変わりないんだがね」

 ブレイルは立ち疲れたのか、最前列の長椅子にすとんと身を落とした。

「あの、時空の狭間に巻き込まれてこちらに来てしまったら、もうあちらに戻ることはできないのですか?」

 訊いたのはエステルだった。

「セルク王が時空の狭間を使えると聞いたことがあるがね」
「あ、私そういえば――」

 この国に来た理由の一つが急に引き出された。

「セルク王に呼び出されたんたけど、その使者の方とはぐれてしまって……」

 使者とはあの黒竜を連れた召喚士――テュールのことである。銀竜の襲撃を受けて以後、安否の確認が取れていない状態だ。

「セルク王が呼んでいるとなると、それは大そうなことだ。絶対に行ったほうがいい」

 はあ、とユウナはぎこちなく頷いた。
 しかしどうやって城に入ればいいのだろう? それに自分のような一介の放浪者なんぞが城に入れてもらえるのだろうか? そもそもセルク王が住まう城とはどこにあるのだ?
 一人で愚問していると、ブレイルが心を読んだかのように大丈夫、と微笑んだ。

「近くの役所で正式な申請をすればセルク城に入れるよ。それに王がユウナに面会を求めているのなら、問い合わせれば王と面会できるはずだ。大丈夫、申請と城へ案内は私に任せて」

 本当ですか、とユウナは嬉しくてつい身を乗り出した。
 何せまだこの国に来て間もないから、案内なしでは確実に迷ってしまう。

「だけど今日はもう遅いから明日にしよう」

 ――どんなに押しても引いても開かなかった扉が、ようやく開いたような気がした。








inserted by FC2 system