二章 家族
ユウナの生活拠点はブレイルが管理する教会に決まった。その代わり、その教会のシスターとして働かなければならない。生活する場所と職を探す手間が省けて、ユウナにとってはこれほどまでよい話はなかった。
更に住民登録や入城などの手続きをブレイルに手伝ってもらって、ようやくこの国で――この異世界で安定した生活を送ることができそうだ。
セルク王国に来て二日目のこと。午前中にすべての書類の申請を終えたユウナとブレイルは、教会に帰る途中だった。
「本当にシスター服が似合っている」
夏用の白いシスター服を身にまとったユウナは、顔を上げる。
「本当?」
「うん。とても可愛いよ」
こうしてシスター服を着て父――正確には父と似た人――と歩く日が来るとは思ってもみなかった。もちろんユウナがシスター服を着るのはこれが初めてである。
「お父さんも僧衣が似合ってるよ」
ブレイルは嬉しそうに笑った。
彼を父と呼ぶことに関しては何の違和感も感じていない。見た目も中身も、実の父と何一つ変わらないし、自分への接し方も同じだったから。
「申請が済めば、あとはあちらの返事を待つだけだ。たぶん、面会は明日になるだろうけどね」
「ドキドキするな〜」
何といってもユウナが合うのは一国の――それも世界一の大国と言われている国の王なのだ。緊張しないほうがどうかしている。
「大丈夫さ。セルク王は親しみやすいお人柄だから」
「お父さんは王様と会ったことがあるの?」
ああ、とブレイルは何かを思い浮かべるように空を見上げた。
「教会ができたばかりの頃――十年近く前になるかな。セルク王直々に挨拶に来てくださって、そのときに少しだけ話したんだ。あの方は教会のシスターの一人を可愛いとか美しいとか愛人にしたいとか言っておられた」
ただの変態親父じゃん。そう言いたくなるのを必死に堪え、ユウナはとりあえず笑っておいた。
「そのシスターは確かに美しい。今も教会に勤めているから、あとで会える」
セルク王を呻らせた美人シスター……果たしてどんな人物なのだろうか?
――もしかして、エステル?
確かに彼女は可愛いが、美人というには少し幼いように思える。それに現在十六歳と言っていたから、十年近く前になるとまだ六歳か、それくらいの年齢……いくら美しかったとしても美人と称するには無理があるだろう。しかしセルク王が変態でロリコンだとしたら……。
変なことを考えそうになったのを、首を振って留めた。
複雑な裏路地にも拘らず、ブレイルは迷いもせずに教会に辿り着いた。昨日ユウナがその路地に迷い込んだで教会に着くまではずいぶんと時間がかかったのに……やはり長年の慣れというものだろうか。
教会には幾人もの一般人が訪れていた。主――大召喚士ユウナレスカの像に何かしら祈っている者もいれば、向こうのほうで集まって雑談している者たちもいる。
「――かくて主は我らを守らん。故に我らは貴女に背かん」
静かな声で聖書の一説を口ずさんだのは、赤毛の尼僧――エステルだった。神前に膝をついて祈る彼女の隣には、同じようにしている長い金髪のシスターの姿があった。
「あ、司教様! お帰りなさい! お姉さんも!」
ユウナたちの帰省の気づいたエステルが声を上げた。
ユウナは“お姉さん”と呼ばれることが嬉しかった。やはりあちらにいるときも心のどこかで兄弟がほしいという願望があったのかもしれない。実際にこうして姉のように慕われてみると、舞い上がってしまいそうだった。
「エステルがどうしても私のことを“司教様”と呼ぶのが癖みたいだなあ」
隣に並んでいたブレイルが大仰な溜息をついた。
「長年“司教様”で慣れ親しんできたんだから、いきなりお父さんって呼べっていうほうが無理だよ」
ユウナはエステルを弁護する。
「でも、心の中ではちゃんとお父さんだって思ってくれてるんじゃないかな?」
「そうだといいな」
エステルは物心つく前に両親を亡くし、身寄りもなかったために巡回神父だったブレイルが預かることになったのだという。当時はまだ教会は建てられてなかったが、どうせならシスターに仕立て上げようと、聖書やら神の道を彼女に学ばせたらしい。そして今の彼女があるのだ。
「――あら、新人のシスター?」
声をかけてきたのは、先ほどエステルの隣で祈っていた金髪のシスターだった。
さっきは後ろ姿しか見えなかったのが、今度は正面から見られる。そしてその顔を見るや、失礼ながらもユウナは驚きすぎて情けない顔になってしまった。
ブレイルのときほど驚きはしなかったが、その美貌は一度見れば忘れることのない圧倒的な印象を持っていた。道ですれ違えば誰もが一度は振り返るに違いない。それくらい、美しい女性だった。
「私はデリア。よろしくね」
差し出された手をユウナは握る。
「ユウナです。こちらこそよろしくお願いします」
デリアは美しく微笑む。
「エステルから話は聞いていたけど、まさかこんなに可愛い子だなんて思わなかったわ。苦労続きでガリガリにやせ細ってるのかとばかり思ってた」
自分の何倍も美しい女性に可愛いと言われると、心底嬉しい。
「ちょうど今からお昼を食べようと思っていたとこなの。二人ともタイミングがよかったわね」
昼食はコッペパンと得体の知れぬスープに、その他etc……。見た目は質素だが、とても美味しかった。
「デリアさんは何でもできちゃうんですよー」
と、エステルは姉の自慢をするかのように言う。
「お料理もお裁縫も、何でもやりこなしちゃうんです」
「へぇ〜。憧れるな〜」
デリアは少し照れたように笑う。
「家事は子どもの頃に母親に仕込まれたのよ」
「でも、本当に美人ですよね。セルク王にもよく評価されたって聞きました」
「ブレイルがバラしたのね」
デリアはちらりとブレイルをねめつける。
「あの方の趣味が悪いんだと思うわ」
「そんなぁ。デリアさん、すっごく可愛いですよ」
「あんまり褒めると調子に乗るよ、デリアは」
ブレイルが面白がるように笑った。
「――なんか、本当に家族みたいでいいですね」
ユウナは心底そう思っていた。
ブレイル、エステル、デリア……ブレイルとデリアが夫婦で、エステルがその間に生まれた子どものように思える。それを言うと、三人はどっと笑った。
「ブレイルが夫だなんてごめんだわ」
「えぇ、すごくお似合いですよー。あたし、お二人が親ならすごく嬉しいです!」
「ふふ。デリアが妻だったら毎日が大変そうだな〜。男には厳しいからね」
でも、とブレイルはユウナを見て微笑む。
「私たち三人は家族も同然さ。そして昨日、家族が一人増えた」
三人に見つめられて、ユウナはちょっとばかし恥ずかしかった。
「ユウナも家族だよ。ここにいるみんなは身内がいない。その身内がない者同士でできた新しい家族だ」
「だからお互いに遠慮することなんてないんだからね。でも、お母さんって呼ぶのはダメよ。それに私とブレイルはずいぶん歳が離れてるんだからね。歳のいったお姉さんってことでよろしくね」
ちなみにデリアは二十八歳である。
「可愛い妹たちがいて、私はとても嬉しいわ」
「私も、美人のお姉さんがいて嬉しい」
クラスメイトに自慢したいくらいだ。
「そうだ。昼からちょっと街を歩いてみない? ここに住まうには地理も覚えないといけないでしょ、ユウナ? 私が案内するから行きましょうよ」
「あたしも行っていいですか?」
明るく挙手したのはエステルである。
「もちろんOKよ。あ、ブレイルはダメだからね。私たちがいない間、教会を頼んだわ」
父一人に留守番を押し付けて大丈夫だろうか? でも地理も覚えたいと思う。せめて一人で買い物に行けるくらいにはなりたい。
申し訳なさそうに父を見ると、彼は優しく微笑んだ。
「行って来るといい。教会は私一人で大丈夫だから」
うん、とこちらも笑みをこしらえて頷いた。
セルク王国首都、デルヘンの街並みはいつ見ても壮大である。高い建物に囲まれた道を歩いていると、深い谷底にいるかのような錯覚に陥ってしまいそうだった。
「どう? 元の世界と比べて」
大通りの喫茶店で休んでいるとき、ユウナはデリアに訊ねられた。
「街並みもすごいですけど、リフターとか空飛ぶ車とか、技術が全然違いますね」
元の世界との技術差は当然、同じ世界に属するリンドブルムやアクアスとさえも、その差は歴然としている。
「今のセルク王はすごいわ。登極した当時、まだ農業中心でリンドブルムよりも遅れていたこの国を、あっという間に世界一の大国にした。もちろん、国民の中の技術者のおかげでもあるんだけど、やっぱり一番は王があれこれ動いてくれたおかげだと思うわ。他国との協定を結んだり、異世界から来た人間の技術を使うことを提案したり、いろいろやってくれたらしいの」
「王様って、お城で贅沢しているとばかり思っていたけど、意外と大変なんですね」
王という立場は、元の世界でいう総理大臣の役割と同じようなものらしい。
「王妃と王女もなかなか頭の切れるお方らしいわ。放浪者の戸籍の管理とか、他国の亡命者の世話とか大変みたいだけどね。ちなみに王子様もいたんだけど、今は行方不明らしいわ」
「暗殺されたという噂もあります」
と、エステルが付け加えた。
「王家の中でもいろいろとあるのよね〜」
ふ〜ん、とユウナはなんとなく大窓の外を見る。――その瞬間、初めてブレイルを見たときと同じような衝撃をユウナは受けた。
「あれって……」
見間違いかも、と思って目をこすり、もう一度外を見るが、やはり目に映ったのは見覚えのある眼鏡の男だった。
「どうかしました?」
エステルの問いかけに頷きもせず、ユウナは一目散に喫茶店を飛び出した。
外に出たときにはすでに彼の姿を見失っていたが、歩いていく方向を記憶していたので、そちらに走る。
――ツッチー……。
自分が最も会いたいと思っていた人物が、確かにこの道を歩いていた。
人違いなどではない。愛する彼を見間違うはずなど、ありえない。
――やっと会える!
そう思うと走らずにはいられなかった。
道全面を覆い尽くす人ごみをかきわけながら、彼の歩いていったほうへ走る。時々行き交う人の顔を確認しながら。
『僕……ユウナさんのこと……』
――あのとき何を言おうとしたの?
『放課後、教室に来てください』
『すごく似合ってます、その髪』
『遅刻しちゃ駄目ですよ』
元の世界にいた頃の彼の姿、言葉が脳裏にフラッシュされた。どの姿も、その言葉も、ユウナとってはとても貴重なものだった。そしてその人こそが、ユウナにとっても最も大切な存在である。
必死に走っているうちにいつの間にか人ごみ地帯を脱したらしい。気がつけば、人気の無い公園に来ていた。
「ここどこ?」
この国に来てまだ間もないユウナにとって、そこは未知の世界だった。とりあえず辺りを一周見渡してみる。
そのとき、視線の端に何かを捉えたような気がして、ユウナはそちらに視線を転じた。
「あ……!」
ユウナの足はすでに駆け出している。まるで、なくしてしまった宝物を、ようやく見つけ出したように――その喩えは決して間違いなどではない。
ユウナは確かにそこに大切なものを見つけたのだ。自分が生きていく上で絶対に失いたくない存在を。
嬉しくて涙が溢れた。それほどまでに愛おしい存在に、ようやく再会することが叶う。それを何度夜空に祈っただろう?
彼が駆けてくるユウナに気がついて、驚いたような顔をした。
「ツッチー!!」
――絆が手繰り寄せられるがごとく、二人の男女はお互いに引き寄せ合っていた。
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