三章  ずっと会いたかった

「ツッチー!」

 やっとの思いで愛しい彼に再会できた。ユウナは喜びを表すように彼に抱きついた。

「ユウナさん……?」

 一方の彼は、突然の出来事に困惑と驚きを見せている。

「ずっと、会いたかったんだよ」

 嗚咽を堪えて訴えるように噛みしめると、彼がおずおずとユウナの背に腕を回してきた。

「僕も、会いたかったです」

 この世界に来てからというものの、彼のことを考えなかったことは一日もなかった。彼のことが心配で心配で――だけど自分にはどうすることもできなくて……。言い知れぬ不安と歯がゆさが混合したような気持ちが胸に鉛をつくっていて、堪らなく苦しかった。
 こうして再会できた今となっては、自分を苦しめていた鉛も消えている。嬉しさだけがユウナの胸にあった。

「ちゃんと待ってましたよ」

 眼鏡越しの彼の目はとても優しい色をしている。

「夢の中でユウナさんが言ったんです。遅刻するけど待っていて、と。だからちゃんと待ってました」
「うん。ありがとう」
「――俺の前でラブラブするのやめろよな。すっげぇ虚しい気分だ」

 二人の幸せな世界をぶち壊したのは、低音のガラガラ声だった。

「ふ〜ん。そいつがツッチーの女か。なかなか可愛いシスターじゃん」

 少年とも青年とも揶揄やゆできる茶髪の男が、生まれたときからそこにいたような顔で近くのベンチにふんぞり返っていた。

「ツッチーの知り合い?」

 得体の知れぬ生物を見るような目で見やると、男は人の悪い笑みを浮かべた。

「ツッチーの親友ってとこだな。なぁ、ツッチー?」
「そうなの?」

 訊ねると、ツッチーはどぎまぎしながらこう答えた。

「あの、えっと……全然知らないおっさんです!」



 その後、これまでのお互いの経緯を話し、ユウナは前に世話になった召喚士と黒竜が無事であることを知った。そしてベンチにふんぞり返っていた男が、ツッチーを助けてくれた命の恩人であることも聞いた。

「俺はクルフレイド・ヴァレイン。親しみを込めて“クルド”って呼んでくれ」

 クルドは口元を綻ばせた。

「ユウナです。その、いろいろありがとうございました。もしあなたがツッチーを助けてくれなかったら、こうして再会することもできなかったかもしれません」

 ついでに先ほど得体の知れぬ生物を見るような目で見やったことを、心の中で謝罪しておいた。

「それで召喚士さまは今どこに?」
「テュールなら今、セルク城にいるぞ。王の側近ともいえるやつだからな。――それはそうと、あいつに変なことされなかったか?」
「変なこと?」

 ああ、とクルドはねずみを見つけた猫のような目でユウナを見る。

「だから、(ピ――)や(ピ――)、あと(ピ――)とか(ピ――)とか」
「されてませんっ!」

 ふしだらな発言を平気で吹っかけてくるクルドを、ユウナは憤怒を込めて睨んだ。

「そりゃあよかった。あいつ、ひねくれた変態だからな〜。――ところでお前らの関係はどこまで進んでるんだ? まさかもうヤったとか?」
「や、やる?」

 未知の言葉を聞いた子どものように訊き返したのは、ユウナではない。
 その隣でツッチーが訝しむような――それでいてどこか興味を持ったような目でクルドを見上げていた。
 ユウナはクルドがどれだけ危険な発言をしたのか分かっていた。そしてその先は絶対に言わせてはならないことも、よく分かっている。

「なんだツッチーそんなことも知らんのか。ヤるっていうのはなぁ、エッ――」
「そういえば私、明日セルク城に行くんだよ!」

 咄嗟とっさに話題を変えたおかげで、あの言葉を上手く言わせぬことに成功した。

「そうなんですか〜。いいなぁ。僕も行ってみたいです」
「じゃあツッチーも行こうよ! 入城手続きをすれば大丈夫みたいだから」

 ツッチーはさも嬉しそうに笑う。

「ってことでクルドさん、手続きよろしくお願いします★」
「おいおい、俺に面倒かける気か?」
「だって僕まだこっちの世界のこと分かりませんから〜」
「まあいいけどさ。でもなんでだろう、今ツッチーの首を絞めたくて堪らないんだ」
「それはやっぱり幼少時の人格形成に問題があるか、カルシウム不足じゃないですか? ――うぎゃって!」

 クルドはとても爽やかな笑みを浮かべてツッチーの首を絞め始めた。

「クルドさん、やめてください〜! じぬ〜〜!」
「お前が死んだらユウナは俺のものだな!」
「駄目〜!」

 本当にツッチーが絞殺されてしまうのではないかと思ったユウナは、慌てて仲裁に入る。こんなところで彼を殺されてしまっては、これまでの苦労がすべて水の泡となってしまう。

「ク、クルドさんも明日一緒にお城に行こうよ」
「俺も行っていいのか?」
「うん。私たち二人だけじゃ不安だもの。あ、でもお父さんがついてきてくれるってって言ってたし……ああ!」

 お父さん、と言って思い浮かんだのは父の顔。その次にエステルとデリア――ユウナが引っかかったのはそこだった。二人をどこかに置いてこなかったか、と。ツッチーと再会できたことの喜びが大きくて、喫茶店にいる二人のことをすっかり忘れていた。

「私、帰るね! とっても大切なこと忘れてた!」
「帰り道分かるか〜?」
「あ、分からない……」

 ここに着くまではツッチーを見つけ出すことに夢中で、周りの風景など一切見ていなかった。このまま一人で行けば迷ってしまうに違いない。

「どこの教会だ?」
「いや、あの……喫茶店に人を置いてきちゃって……」
「喫茶店なぁ……。分かんねぇや」

 この広い街に喫茶店など余るほどあるだろう。その中でエステルとデリアのいるところを見つけろ、というほうが無理のある話だ。

「それに俺もここに来るのは十年ぶりで、当時とはずいぶんと街並みも変わってるからさ」



 結局誰に頼ることもなく、ユウナは目的の喫茶店に辿り着くことができた。
 何も言わずに飛び出したから、一緒に来ていたエステルとデリアは大そう心配していることだろう。もしかしたら自分を捜しに出て行ったかもしれない。
 だが大きな窓ガラスの外から中を覗いてみると、ユウナが一緒に来たときと同じ席に座っている二人の姿があったので、ユウナは安心する。

「――ユウナ〜! どこ行ってたの? 心配しちゃったわよ」

 最初に気づいたのは奥側に座っていたデリアだった。

「ごめんなさい。ちょっと恋人……じゃない、知り合いが通りかかったんで」
「今はっきりと“恋人”って聞こえましたけど?」

 デリアはにやりと人の悪い笑みを浮かべた。

「ユウナもそういう年頃なのね。エステルはどうなのかしら?」

 まさか自分が指名されるとは思っていなかったエステルは、危うくコーヒーの入ったマグカップを落とすところだった。

「あ、あたしはあんまり男の子と交流する機会がないですから……。そういうデリアさんはどうなんですか?」
「私? そんなの秘密に決まってるじゃない。――それより、ユウナの恋人のことをもっと聞きたいな〜。どんな人なの?」
「え、えっと……すごくカッコイイ人、かな」
「それじゃ分からないわ。もっと具体的に話してよ。その男を知らない私たちにも分かるように」
「う、うん」

 デリアはまるで容疑者の罪を追及する警察官のようで、少しばかり怖い気がした。

「見た目はとにかくかっこよくて、眼鏡がとても似合ってるの。性格は優しくて、どこかとぼけてるところが可愛いんだぁ。誰でも敬語を遣う紳士的な人――って二人ともどこ行くの!?」

 ついさっきまで同じ円卓に着いていたはずのエステルとデリアは、いつの間にか出入り口のところに移動していた。そして今しも喫茶店を出て行こうとしているではないか!

「ノロケ話ごちそうさま。ついでにコーヒーもごちそうさま。三人で百五十ギルだから、払っておいてね★」

 デリアは悪戯にウインクすると、エステルを連れて喫茶店を出て行った。

「マジっすか……」


 +++


 満月が綺麗な夜だった。
 こうして月を眺めていると、ユウナはなぜかもとの世界の人たちのことを思い出す。
 父と母……今頃自分のことをとても心配しているだろう。警察に捜索願を出したり、“この子を捜しています”という貼り紙が街の至るところに貼られているかもしれない。しかし、頭に浮かんでくるのは母の姿ばかりで、父の姿はなぜか出てこなかった。
 別に父のことが気にならないわけではない。ただ、こちらにブレイルという、父ブラスカにそっくりな人間がいることが、ユウナを悩ませていたのだ。
 ブレイルと父――二人には違いという違いがない。容姿はもちろんのこと、ユウナとの接し方もまったく同じだった。そんな彼はいったい何者なのだろうか? なぜそこまで父と似ているのだろう?

「分からないよ……」

 分からないことだらけのこの世界で、まだどぎまぎすることばかりだったが、今日は勇気付けられることがあった。
 それは彼――ツッチー・アイガシードとの再会である。
 ずっと会いたいと願っていただけに、実際に再会したときはとても嬉しかった。見知らぬ変態を連れていたことも特に気にならなかったし、何より明日からは毎日のように会って話ができる。それがどんなに幸せなことか、自分以外の人間が分かるだろうか、とユウナは思った。

 さて、とユウナは一息ついた。
 明日はついに、この国の王と面会する。自分を呼んでいた理由も明らかとなるだろう。
 大国を創り上げた人間――果たしてどんな人物なのだろうか……。








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