四章  いざ、セルク城へ!

 ――ついに、この日が来ました。

 ユウナはシスター服を身にまとい、大聖堂の清掃に当たる。
 この教会では、午前五時起床が義務付けられている。早起きに慣れないユウナには辛い面があったが、最初のうちは仕方がない。じきに慣れるだろう。

「――早いわねえ、新人シスターさん」

 ユウナの鼓膜を震わせたのは、女性のアルト声だった。振り返ってみると、出入り口のところで金髪の美女が、これはまた美しく微笑んでいた。

「おはようございます! デリアさん」
「おはよう」

 同性さえも見惚れさせるほどの美を兼ね備えているデリアは、ユウナの憧れの存在だった。

「確か今日はセルク王に会うんだったわね」
「はい。なんか、すごく緊張するな〜」
「大丈夫よ。セルク王家の人たちってみんな外交的な人たちだから。私、昔に話したことあるのよ、セルク王と」

 その話したことがあるというのは、ブレイルの言っていたセクハラ事件(?)のときのことだろうか?

「でも、いったいなんなのかしらね。セルク王があなたに会いたがっている理由って」
「それは私にも分かりません……」

 何度そのことを考えては、迷走しただろうか。ブレイルが父に似ている理由と同じくらい、難しい疑問だった。

「服装はこれでいいかな?」
「オッケーオッケー。シミもシワもないようね。あとで話聞かせてよ」
「了解っす」



 少し早めに朝食を済ませたユウナは、昨日ツッチーと再会した公園に向かった。
 教会を出たところに待ち構えている迷路にも奇跡的に迷うことなく、表通りに出ても、なんとなく記憶していたルートを辿っていくと、例の公園に着くことができた。
 ユウナとしては少し早めに来たつもりだったが、約束した者たちの姿はすでにある。

「――おはようございます、ユウナさん。遅刻しませんでしたね」

 爽やかに微笑んでいるのはツッチーである。その隣では茶髪の男――クルドがいかにも眠そうな顔をしていた。

「おはようツッチー。クルドさんもおはよう」

 ん、とクルドはだるそうに手を挙げただけだった。

「入城許可証は持ってきた?」

 城に入るには当然、役所で交付される入城許可証が必要となる。だが、ツッチーは首を横に振った。

「それが……クルドさんが変な杖を持っていて、それを見せれば絶対に入れてくれるなんてデタラメなこと言うんです」

 ほら、とツッチーが指差したクルドの手には、錆や傷の入った杖――少し力を加えれば折れてしまいそうなくらいボロい杖が握られている。そんなものが入城許可証の代わりになるとはとても思えない。

「これはなぁ、セルク城の玉座の間に飾ってあったもんだ。昔、家出するときに盗んできた」
「それって窃盗罪ですよね」

 お宝の自慢をするように話すクルドに、ツッチーが鋭い突っ込むをかました。

「だいたい、それを盗むときどうやって城に入ったんですか?」
「俺は特別なんだよ。なんといっても王子だからな」
「へぇ〜。それはよかったですね〜。でもね、クルドさん。寝言は寝てから言うものですよ」

 寝言じゃねえよ、とクルドはちょっとムッとしたような顔をした。

「まあ、信じる信じないは勝手だけどさ」

 実際、ユウナもツッチーもクルドの言っていることを陳腐な冗談としか思っていなかった。もし王子だということが事実だとしたら、世界が滅んでしまってもいいとさえ思っている。

「その杖が本当にお城の物かどうかは、お城に行ってみれば分かるよ」

 信じてないけどね、というのは心中で呟くに留めておく。

「行こう。セルク城へ」


 +++


 セルク城は、首都デルヘンの北に位置する。城下町から長く連なる石橋を経て、正門から入城。これが一般人の基本的な入場の仕方だ。もちろんユウナたちも石橋を渡ることになった。

「――変わってないな〜」

 昔を懐かしむようにクルドは語る。

「この辺だけは、城にいた頃と何一つ変わってない。この石橋も、ここから見える風景もな」

 クルドの言葉から嘘は感じられなかったが、やはり彼が王子だということは信じられないでいる。こんなマイペースで変態チックな王子がいたら、世界中の女性が嘆くに違いない。
 ――それにしても、とユウナは思う。この石橋は少し長すぎではなかろうか。先を眺めてみても、目的の城は見出せなかった。

「クルドさん、お城まであとどれくらいかな?」

 この国の出身だけあって、クルドはこの辺りの地理にも詳しかった。実際、彼の案内がなければここまで来るのにもっと時間を要したろう。

「隠れてるみたいだ」
「隠れてる?」

 意味不明、と言わんばかりにユウナはまゆをひそめる。

「――セルク城は“隠影おんけいシステム”というものを使って、周りの景色と同化することができるんだ。ちなみにセルク城はあの衛兵さんが立っているところだよ」

 隠れている、という意味について簡単に説明してくれたのは、クルドではなかった。
 振り返ってみると、そこには短い黒髪の青年と、黒い竜が魔法のように出現していた。

「久しぶりだね、ユウナ」

 その青年も竜も、ユウナのよく知る者たちだった。こちらの世界に来て間もない頃に、セルク王の使いだといって自分をセルク城へ連れて行ってくれようとした召喚士テュールと、背に乗せてくれた黒竜のクロ。道中に銀竜の襲撃に遭って以降、安否の確認が取れていなかったが、こうして無事に再会することができたのだった。

「召喚士さま! 無事でよかった〜」

 嬉しくて今にも飛びつきたかったが、今は他の二人の視線が気になるので抑えておいた。だけどクロに飛びつくことは許されるだろうと思い、ユウナは人形のようにじっと動かない黒竜の胸に飛び込んだ。

「クロも元気そうで安心したよ」

 思えば一番苦労していたのはクロかもしれない。何せユウナとテュールの二人分の体重を背負って、長距離を飛翔していたのだから。

『ユウナさまもお元気そうで何よりです』

 神獣独特の心に直接話しかけてくる声がどこか懐かしかった。

「う〜ん、人間×神獣っていうのもありかな?」

 優しい微笑みを浮かべながらろくでもなことを口走るテュールを、ユウナは密かにねめつけた。

「でも、謝らなきゃね。私は不覚にも君を守ることができなかった。本当に、駄目な男だ」

 ううん、とユウナは首を横に振る。

「あれはクジャって人がやったことだから、召喚士さまは悪くないよ」
「そのクジャのことも許してあげてね。彼のあれは、私への愛情の裏返しだから。殺そうと思えば簡単に殺せるのに、いつも肝心なところで見逃してくれる」
「了解っす。――でもいつか、表で接してくれるようになるといいね」
「うん」

 共に旅をしているときは決して見せることのなかった悲しげな表情をテュールは浮かべていた。だがそれも一瞬のこと。次の瞬間には、何か悪戯いらずらを思いついたように、にんまりとほくそ笑んでいた。

「あ〜あ。ユウナみたいな可愛い子が奥さんだったらいいのになぁ。でも君にはそこの眼鏡のボーイがいるし。まあ、私にはクルドがいるからいいけどね」
「クルドさんとは知り合い?」
「うん。だってクルドは私の恋人だから★」

 第一爆弾発言が投下された。
 男同士の恋愛など、少女誌の中だけの話だと思っていたユウナにとって、現実で目の当たりのするのは衝撃が大きかった。しかしながら、テュールとクルドがベッドで抱き合っている姿を想像してみると、かなり自然に見えてしまう。

「あ、今変な想像したでしょ?」

 ユウナは慌ててぶんぶんと首を横に振った。

「俺はお前なんか好きじゃねえぞ! ってか離れろ!」

 頬を擦り付けてくるテュールを、クルドは必死に押し剥がそうとしていた。

「もう。人前だからって照れちゃってーv」
「放せ変態!」
「クルドさん、そんなに否定してはテュールさんが可哀想ですよ。あ、もしかして僕たちがいるから遠慮してるんですか? 気にしないでラブラブしていいですよ」
「ツッチーも勘違いすんな! とっとと放さんか!」

 しょうがないなあ、とテュールはさも残念そうにクルドを放した。

「あ、そういえばクルド。君ってば、結局お家に帰ってきちゃったんだね」
「ただの付き添いだよ。来たくて来たわけじゃない」
「え、あのお家って……?」

 ユウナは訝しげに眉をひそめる。

「あれ? 知らないの? クルフレイド・ヴァレイン・セルク二十一世――クルドはセルク王国の王子なんだよ」

 私の王子でもあるけどね、という台詞の後半はユウナの耳に入っていない。
 クルフレイド・ヴァレイン・セルク二十一世――この大国の王子。本人からそれを聞いたときはふざけた寝言を言っているものだと思っていたが、テュールの証言が重なると信じたくなってしまう。まだ半信半疑なのは、クルドが王子だということが気に入らないからかもしれない。
 
太陽の微笑を浮かべる王子。
 凛とした表情で白馬にまたがる王子。
 女性に優しく、紳士的な王子。
 何でも上手くやりこなしてしまう王子。
 
 クルドは、そんなユウナの理想の王子さま像をぶち壊すような姿をしている。
 別に来るどの容姿が悪いとかではない。むしろ彼の顔は美男子というにふさわしいほど整っている。
 問題は彼の中身にあった。汚い言葉遣いにだらしのない態度。昨日は下世話なことまで口走っていたような気がする。そんな男が王子だなんて、思いたくなかった。
 しかし、ユウナの思考とは裏腹に、クルドが王子であるという事実は深まりつつあった。十年前、王位を継ぐのが嫌でクルドが城を飛び出したこと。セルク王、並びに王妃が彼のことを心配して捜索隊を出したこと。過去にクルドが王宮で起こした数々の失態を、思い出話をするようにテュールが語っている。

「ねぇツッチー、信じられる?」

 いつもくだんの人物のそばにいたツッチーは、ユウナ以上に衝撃を受けているようだった。

「い、いえ……でも本当らしいですね」
「――二人とも何ぼうっとしてるんだい?」

 テュールが思い出したように、半ば放心状態に陥りつつあったユウナたちに声をかけてくる。

「王様に会うんだから、もっとしっかりしないといけないよ」
「はぁ……」

 ユウナとツッチーはおぼつかない足取りで歩き出した。








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