五章 大国の王――ユウナの真実
「――入城許可証をお見せ下さい」
門番というのはもう少し厳しい口の聞き方をするものだと思っていたが、セルク城の門番を務める衛兵は重々しい鎧や兜に似合わない穏やかな口調で入城許可証の提示を求めてきた。慇懃に会釈する様は紳士的にすら見える。
ユウナが許可証を差し出すと、衛兵は持っていた、携帯より一回りほど大きな機械にそれを入れた。きっと許可証が本物かどうか鑑定するためのものだろう。そして五秒も経たないうちに承認された。
「そちらのお二方も許可証を」
そちらのお二方というのはユウナの後ろに控えていたツッチーとクルドのことである。許可証さえ差し出せば城に入れるというのに、彼らはそれを持っていない。クルドが王子で杖が許可証の代わりになるとかで持ち合わせていないのだが、あの飾りにすらならないほどボロボロの杖が許可証の代わりになるとは到底思えなかった。
「――彼らは私の客人だから通してくれないかい? 許可証なしで」
太平楽を音にしたような声の主はユウナではない。
ツッチーたちの更に後ろから黒髪の青年――テュールが身を乗り出した。
「テュールさま!? お帰りなさいませ」
衛兵は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに事務的なものに戻して恭しく頭を垂れる。
テュールはどうやら王宮でも地位の高い存在らしい。ただでさえも召喚士という伝説になるまでの種族というのに、更に大国の高位まで持っているとなると恐怖すら湧いてしまう。
「テュールさまの客人とあらばもちろんお通ししますとも。しかし念のためあなたに合言葉を提示していただきたい」
「“究極の兵器”」
ユウナの聞き慣れぬ単語がテュールの口から出ると、衛兵は虚空に手を翳した。そしてあたかもそこに何かがあるかのように拳を握ると、何もない石橋の向こうに身を押した。
「え……?」
ユウナは眼前の光景に、意識していなければ呼吸さえできないほど驚愕した。
先ほどまで何もなかったはずの衛兵の背後の空間に、身の丈の二倍ほどの高さの一つの穴が出現していたのだ。――いや、違う。これは建物の入り口だ。そして衛兵が握ったのはドアノブ。
開かれたドアの向こうには様々な家具があり、どことなく金持ちの家を思わせる。それもそのはず、そこにあるのはセルク城なのだから。
「どうぞお入り下さい」
衛兵に促されて城の中へ入っていくが、ユウナはすぐに足を止めてしまった。
「すっごい……」
テレビ番組で外国の城が紹介されているのをよく見かけたものだが、今こうして目の当たりにしているのはそれよりもすごい。
ここは大広間に当たるところだろう。壁や柱は純白に統一され、床には鮮やかな赤色の絨毯が敷き詰められている。入り口の真一文字のところには上の階へ続く階段、しかしそこまでがえらく遠い。
美術館にしか展示されていないような趣味のよい壁画の数々が印象的であるが、こんなに豪勢な家を知らないユウナにとってはすべてが印象深いものだった。
「――ここも変わってないなあ」
昔慣れ親しんだものを懐かしむような――あるいは昔慣れ親しんだものがあまりに変化がなくて呆れたような声は、クルドのものである。周りを一通り見回すや否や、ズカズカと階段へ歩みを進める。
「クルドさん、どこへ行くの?」
「玉座の間だよ。そこに親父たちがいる」
本来ならば玉座の間は国の官吏や大貴族たちが王と会議する際に使われるものだが、この城では一般人と面会するときにも使われている。
大広間の三分の二くらいの広さ――それでもなかなかに広い――の部屋の奥には、王だけが座ることの許される玉座があった。しかし肝心の王の姿はない。
部屋にいた女史に座るよう促され、ユウナたち四人は大人しく着席する。黒竜のクロの姿はいつの間にか消えていた。
「まったく、親父は何をやってんだ」
この国の王子という立場でありながら、とても王子とは思えない口調でクルドがぶつぶつと文句を洩らした。――そのとき、
「――お待たせして申し訳ない」
突然玉座の間に響き渡ったのは、音程で喩えるならソプラノに当たる女性の声だった。
「余がセルク王国国主、クレルム・ヴァレイン・セルクじゃ」
いつの間にか玉座に着いていたその者を見て、ユウナはもちろんのこと、クルドまでもが目を見開いた。
セルク王といえば無精髭を生やした男の姿を彷彿とさせるが、今目に映っている、セルク王と名乗った者はユウナとあまり歳の変わらなさそうな女の子だったのだ。
もしかしたらセルク王の代理なのかもしれない。そう思ったが、代理の者が自らを“セルク王国国主”と称するだろうか? それに同い年くらいに見えるのにどこか毅然として見えるのは王のそれだ。
「おい、なんの冗談だ?」
不機嫌極まる声で訊ねたのはクルドである。
「どうして親父じゃなくてお前が出てくる?」
「あなたは……」
セルク王は一瞬だけ少女らしい顔をしたが、すぐに表情を引き締めた。
「今回はあくまでシスター・ユウナとの面会。あなたの不平はあとでいくらでも聞こう。だが言うておくが、余の前で横柄な態度をとることは許さぬぞ」
硬度と凄みを声に含めて少女は告げた。どこかの王子よりはよほどしっかりしている気がする。
「――シスター・ユウナ」
「は、はい!」
いきなりの指名に返事の声が裏返りそうだった。
「あなたがこの世界に来たということは、あなたから出ている波動で分かった」
「波動、ですか?」
「そうじゃ。あなたからの身体からは波動が出ておる。それがどういうことか理解できるか?」
派動が出ているとか何とかいきなり言われて、それを理解しろというほうが無理である。ユウナが仕方なく首を横に振ると、セルク王は優しく微笑んだ。
「うん、分からなくて当然じゃ。では、感情的になったときに力が強くなったことはないかや?」
獣の森でフェンリルが襲われたとき、ティーダの言えに借金取りがやって来たとき、そしてブリッツの試合で勝ちたいという思いが高ぶったとき――とても自分の力とは思えないような怪力と戦術が繰り出されなかったか? あの力のことを訊かれているのだろうか?
思い当たるフシがいくつかあるのでユウナは小さく頷いた。
「よく分かった。――これからあなたの知らないあなたの真実について話す」
「私の真実?」
「そうじゃ。あなたの出生のこと、あなたの立場のこと――知っておいてもらわねばならぬことがたくさんある。此度あなたに面会を求めた理由はそれなのじゃ」
自分にいったいどんな真実が隠されているというのだろう? 自分のような一介の尼僧に……。
しかし感情的になったときのあの怪力が真実に繋がっているというなら、知っておきたいと思った。
「まず、あなたの出生について語ろう」
王たる少女は最初と代わらぬ毅然とした態度と口調で語り始めた。
「あなたが元いた世界――余らは“アルファ世界”と呼んでおる。そのアルファ世界で一組の男女が結ばれ、あなたが生まれた。それは他の子らとなんら変わりない出生じゃな。じゃが……あなたの父親は普通の人間ではなかった」
え、とユウナは怪訝に眉をひそめる。
「あなたの父親はアーサー王――円卓の騎士を仕切っていた男じゃ」
その名は先日聞いたばかりの昔話に登場する恐怖の人物だった。遥か昔、この世界を統制していた騎士団の長。そしてすべてを破壊しようとした殺戮神。
毎日のように顔を合わせ、とても仲のよかった父。いつも優しく微笑んでいて、天使のように温かかった。それがアーサー王であるという戯言など、誰が信じようか?
その殺戮神がアルファ世界に渡ったということも聞いているが、それが父だとは思えなかった。
「その顔だと信じておらぬようじゃのう。じゃが、あなたは先ほど感情的になると力が強くなったりせぬかという質問に頷いた。その力は騎士に匹敵するもの。あなたの父がアーサー王である証拠じゃ」
「でも、どうしてあなたがそんなことを知っているのですか? 父が円卓の騎士であるとか、こちらの世界にいるあなたがどうして?」
こちらにいるのにアルファ世界にいる父の動きが分かるなど不審な点がありすぎる。だが、セルク王は生徒の間違いを説明する女教師めいた冷静さで証拠を話した。
「アーサー王があちらに渡った後、奴を捜索するために召喚士たちはアレクサンダーという神獣を送ったらしい。――召喚士、黒魔道士、円卓の騎士……どんな強大な力を持っていようと、あちらに渡ってしまえばその力も抑制されてしまう。しかし、神獣だけは力を保つことができた。だからアレクサンダーを渡らせ、奴の捜索をしたのじゃが、なかなか見つけ出せなかったらしい。もしかしたらもう死んだやもしれぬ。そう考える者も出始めたが、アレクサンダーは奴の気配を感じるという。そうして何年も月日が流れ、召喚士は死んでいく。神獣は不死の生き物じゃからアレクサンダーは死なず、何百年も捜索を続けておった。――そして最近になってついにアーサー王を見つけ出したのじゃ。姿かたちも大昔のままで。それがあなたの父。青い髪の毛に青い瞳と窺っておるが、違いないかや?」
青い髪の毛に青い瞳――ユウナの父の最も特徴的なところである。晴天の空の色と同じでとても綺麗だった。そしてユウナの左目もそれと同じ色をしている。
あの父が本当にアーサー王なのだろうか? 優しく微笑んでいた裏側で世界の破壊を目論んでいたのだろうか?
信じられないわけではない。信じたくないのだ。父が世界の敵であることなど考えたくもない。
「あなたの父は、あなたとともにこちらの世界に渡ってきてしまった」
そんなユウナの苦しい気持ちに知るわけもなく、セルク王は淡々と語った。
「そして同時に奴の気配も消えてしまった。おそらくは自らの力で消したのじゃろう。ともなれば奴は少しでも力を取り戻したことになる。余らの推測では完全復活まで約三週間。タイムリミットは近い。なんとしても奴を見つけ出さねばならぬ」
アーサー王の目的は円卓の騎士の復活。そして世界の破壊。
何が原因で円卓の騎士などという特別な人間が生まれたのは定かではないが、彼らは生まれながらにして破壊衝動を持っているらしい。
最初は身の回りのものを、そして最後にはこの世界を壊そうとする彼らは我々には到底理解のできない存在である。
その理解できぬ存在を仕切る者と普通の人間の女の間で生まれたのがユウナであることを、ユウナ自身気に入らないのかもしれない。
別に父が円卓の騎士であるとかはどうでもよくて、自分がその子どもであるということが嫌で、自分が可哀想で……そう考えると真実から逃げ出そうとしている自分が情けなかった。
「――私は……いったいなんなのですか?」
円卓の騎士と普通の人との間に生まれた自分はいったい何者なのだろうか?
「あなたは円卓の騎士に対抗できる世界の守護神。故にこの世界を守らねばらぬ存在。――“究極の兵器”」
呼吸さえも罪悪感を覚えるほど玉座の間は静まり返っていた。
「あなたは、あなたの父親と戦わねばならぬ。それがどれだけ辛いかは察する。しかしながら、奴を倒さねばこの世界が滅んでしまうのじゃ。――力を貸してくれぬか?」
優しく微笑む父の顔がユウナの脳裏に浮かび上がった。その父が本当に世界の敵だったとしても、果たして自分に父と戦うことなどできるだろうか? 自分の父親を倒すことなどできるだろうか?
ユウナは確かに特別な力を持っているかもしれない。しかしそれに匹敵する意志の強さは持ち合わせていなかった。
幼い頃はお化けとか魔物とか、そういう偽りの物体を信じて怖がっていたが、それが偽りと分かってからは怖いものなしで生きてきた気がする。それが今ここに来て、父と戦わなければならないということを恐れているではないか。
これほどまでに怖いことが果たしてこの世にあるだろうか? “切り裂きジャック”や“機械仕掛けの魔術師”などの名の知れた殺人者に殺してやると宣告されるよりも遥かに恐ろしいとさえ思った。そんな恐怖に立ち向かう勇気がただの小娘のどこにあるだろう?
『気が済むまで泣くといい』
ハッとユウナは顔を上げた。
脳裏に浮かんでいたはずの父の顔はいつの間にか消えてしまっている。代わりにフラッシュされたのは、この世界で出会った人たちと、彼らのくれた言葉だった。
『ありがとう、お姉ちゃん』
『ユウナー! よくやったねえ』
『ユウナに出会えてよかった』
『でも、謝らなきゃね。私は不覚にも守ることができなかった』
『あたし、お姉さんがほしかったんです!』
『ユウナも十分可愛いじゃない』
『親しみを込めて“クルド”って呼んでくれ』
獣の森で世話になった神獣。銀竜の襲撃で両親を失った少女。厳しかったがその中に優しさを兼ね備えていた老婆。ユウナを愛してくれた少年。頼れる召喚士。妹のような存在の尼僧。姉のような美女。変態チックだが、愛しい人を助けてくれた王子。
生まれ出てきた世界は違えど、ユウナにとって大切な存在であることに違いない。
世界の破壊とはすなわちそれらの存在を失うことだ。自分がアーサー王を止めなければ、大切な存在も思い出も、そして自分自身までもが消えてなくなってしまう。
「――やります」
先ほど上げられた者たちは決して失われてよい存在ではない。それぞれに明日があり、そして未来がある。
「ありがとう、シスター・ユウナ」
セルク王は初めてその年齢に似合う可愛らしい微笑を浮かべた。
「詳しいことはまた明日話す。今日のところはゆるりと休まれよ。そちらの眼鏡のお方もな。――茶髪のあなたは残ってもらおう。話したいことが山ほどある」
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