六章 サプライズ!?
真実を聞かされてそれに衝撃を隠せないでいるユウナと、そのユウナをどう慰めようものかとおどおどしていたツッチーが退室した後、広い玉座の間はクルドとセルク王の二人だけの空間となっていた。
先ほどまで毅然として王たる風格を露にしていたクレルム・ヴァレイン・セルクその人は、まるで別人のような穏和な雰囲気に変わっている。
「お久しぶりです。クルドお兄さま」
口調もずいぶんと軽いものになっていた。本当に玉座に腰掛けていた少女と同一人物なのだろうか、と訊きたくなるほどまでに変貌してしまっている。
「本当にクレイ……だよな?」
「はい」
十年という月日は思っていた以上に大きかったらしい。
クルドがこの城を出る前、当時はまだ九歳だった妹も十九歳に。姿かたちもずいぶんと変わってしまっている。そして十年の歳月を経て、より美しい顔立ちになっていた。だが、兄を慕う様子は十年前とまるで変わっていない。
「やっと帰ってきてくださったのですね。お帰りなさい。――ですが、遅かったです」
「遅かった?」
確かにこうして長い年月を置いて帰ってきたのは遅いものかもしれない。しかし、クルドの帰省が遅かったことに何の意味があるのだろうか?
訝しげに眉をひそめると、クレルムの美貌に哀愁の色がさした。
「ついて来てください」
何か妹を悲しくさせることがあったのだろうか? それと自分の帰省が遅かったと言われることと関係あるのだろうか?
様々な疑問を頭の中で解決しようとしている間に、真っ暗な空間に辿り着いていた。
「ここは?」
「城内に設けられた聖堂です」
聖堂などこの城にあっただろうか? もしかしたらクルドが城を出た後に造られたものかもしれない。少なくともまだここにいた頃に聖堂があったという話は聞いていなかった。
「今、明かりを点けますね」
ふっ、と音もなく幾数のランプに明かりが灯った。今の時代、一般人の住居でさえも電気が供給されているというのに、なぜここはランプに火を灯すという原始的なものを用いているのだろう? しかし眩しくもなくば暗くもない火の明かりがなんとも綺麗だった。
しかしそんな幻想的な世界に心を奪われていたのも束の間こと。目に映ったものにクルドは大きな衝撃を受けることになる。
最初に見えたのは二つの棺だった。その下には大量の白い花が敷き詰められている。そしてその奥にある壁には、棺の中に納まっている者の顔写真が飾られていた。
それはクルドのよく知る人物たちだった。いや、あまりにもよく知りすぎている。
エリオル・ヴァレイン・セルク――セルク王国国主。
キャサリン・ヴァレイン・セルク――セルク王国王妃。
そしてその名前の人物は、クルドの父と母であった。
「嘘……だろ?」
何があっても死なないであろうと思っていた自分の両親が、死んだ。――大きな衝撃とともに、深い悲しみが胸の奥底から湧き上がってくるのをクルドは感じた。そのあまりに大きさに、その場に崩れ落ちた。
「病死です」
はっきりと告げた少女の声には深い哀愁が含まれていた。
「国民の混乱を避けるためにお二方の死は城内だけの秘密にしております。――二人ともあなたのことをとても心配なされてましたわ」
決して両親のことを好きだとは思っていなかったはずなのに、こうして失ってみるととてつもなく寂しい気がした。
十年前――王位を継ぐという運命から逃げ出したあの日、クルドは両親に大嫌いだと告げた。だが、果たして本当にそうだったのだろうか?
「俺は……どうして」
自分が両親に言った言葉が、どれだけ彼らを傷つけただろう? そして最後に聞いた息子の言葉が自分たちを罵るものだった両親は、何を思って死んだのだろう? 考えるととても胸が痛んだ。
「――私は戻ります」
クルドと同じものを失った少女は静かに告げると背後の闇に消えていった。
残されたクルドは、人形のように動かなくなってしまっている。
「――俺は」
――やがて懺悔するように語りだした。
「本当は、嫌いじゃなかったんだ、あんたたちのこと。ただ王になるのが嫌で……」
父がせっかく創り上げたものを自分が壊してしまいそうで怖かった。それがこの城を飛び出した原因である。
「俺、最低だな……」
あのとき城を出なければ、親の死を看取れたのに。もしかしたら病死することさえもなかったかもしれない。
「ごめんな」
クルドの目から温かいものが溢れた。
――悲しくて泣いているのか? それとも悔しくて泣いているのか? いや、違う。これは自分を哀れんで流す涙だ。そんな涙が許されるわけがない。
クルドは頬を伝う涙を拭うと、決意したように立ち上がった。
「俺、王位を継ぐよ。それであんたらを死なせてしまったことの償いになるんなら」
もう、現実から逃げ出したりしない。そして父の創り上げた国をもっと成長させる。額縁の中で微笑んでいる両親の前で、クルドはそう決心した。
そのとき――。
鼠が天井を駆けているときのような音がしたかと思うと、二つの棺が勢いよく開いた。
「!?」
クルドは驚きのあまり、情けなくもひっくり返ってしまった。
このとき棺が開くなど誰が予想できたろうか?
「クルド〜!」
蓋のなくなった棺から出てきたのは、ゾンビでもミイラでもない。
短い黒髪の男――何本か皺の入った顔は、嬉しそうに歪んでいる――と、長い金髪を複雑に結い上げた女性――美人と称するに相応しいが、いささか年齢不詳な容姿――が、まるでパーティーの乾杯の音頭を取るような調子でクルドの名を呼んだのだった。
エリオル・ヴァレイン・セルク。
キャサリン・ヴァレイン・セルク。
――もう二度と会うことは叶わぬと思われていた親子の感動の再会だった。
「クルド……」
母親は目じりに涙を浮かべてクルドに詰め寄ってくる。そう、愛おしいものに触れようとしているかのように。
「私の……知らない間にデカく
なりやがってこの親不幸者ぐわぁーーー!!!!!!」
だが母親から飛び出したのは熱い抱擁でもなければ息子との再会を喜ぶ声でもない。誰もが感動するはずのシーンにはおおよそそぐわない、右ストレートパンチだった。プロボクサーでさえも今のパンチを見て感心するであろうほどの凄まじい威力である。それをもろに喰らったクルドは背後に吹っ飛んだ。
「あ! ごめんなさい! 私……」
自分のしてしまった行為の恐ろしさにようやく気がついたキャサリンが昏倒しているクルドに駆け寄った。
「私は――」
「いいんだよ」
今度こそ本当に泣きそうになった母親を、意外なほど優しいクルドの言葉が宥める。
「俺にはその拳を受ける義務がある」
普段のクルドならば騙されていたことに怒りを感じて殴りかかっていたかもしれない。だが今のクルドは両親が死んだというのが嘘であり、生きているということに対する喜びで頭がいっぱいだった。
――やっぱ俺は二人のこと嫌いじゃなかったんだ……。
「……ごめんな。逃げ出したりして」
クルドは再び涙を流した。今度は流すことの許される涙である。
「――許しません」
だが子どものように泣きじゃくり始めたクルドに浴びせられたのは、優しい言葉ではなかった。
久しぶりに見る母の顔は、悪戯をした生徒を指導する教師のように厳しい。
「私は、現実から逃げたあなたを絶対に許しません! でも――」
次に母の顔を見たときには、本来の穏和な表情に戻っている。
「究極の兵器――あの子を守れたら許してあげる。いずれ円卓の騎士と戦わなければならない彼女を最後まで守ってあげて」
「ユウナを守るのは俺の役目じゃない。でも俺は戦う。それが逃げ出したことの償いになるのなら」
「そう。――十年ぶりね、私のクルド」
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自分が倒さなければならないのは、自分の父――。
セルク城の一室に案内されたユウナは、テラスに出て眼下に広がる湖を眺めていた。
「――ユウナさん、あの……」
背後の椅子に座っているツッチーに話しかけられてもユウナは振り返らなかった。
――私、お父さんと戦わなきゃいけないのかな?
今ユウナの頭にあるのは自分の運命と使命、そして敵である父のことだけである。
――お父さんなら話せば分かると思うんだけどな……どうして世界を破壊しようとするんだろう? それに円卓の騎士って人間なのに、どうして強い力なんて持ってのかな? お父さん――ブレイルさんもそこまで話して……ブレイルさん!?
ユウナはハッとした。
父と同じ姿をしているブレイルに何かを感じてしまったのだ。
――もしかしてブレイルさんがアーサー王? だからお父さんと同じ姿をして……でもエステルちゃんが幼い頃からいたから……お父さんがこっちに渡ってきたのは私が渡ったときと同じときだったから、それじゃ話の筋が合わない。でも――。
その疑問は世界中の知識人が集まって解こうとしても解けないものかもしれない。
そしてその疑問も迷走に入りかけようとしたとき――。
「入るぞ〜」
特徴的な低音のガラガラ声とともに、木製の大きな扉が開いた。
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