七章 大地の怒り
「――なんだよ。二人きりだからてっきりあ〜んなことしてるのかと思ったよ」
ユウナがあまりポジティブな気分になれないときまで下ネタを口走るのは、やはりクルドである。どうやらセルク王との話も終わったらしい。入ってくるや、ソファに身体を落とした。
先ほど玉座の間で見た美女――クレルム・ヴァレイン・セルクはクルドの実の妹に当たる。十年ぶりの再会だからきっと積もる話でもあったのだろう。
それにしても、クルドの目の下に泣きほくろのようなものがあるが、向こうで何かあったのだろうか? しかしながら彼が泣いている姿などおおよそ想像できなかった。。
「いきなりであれだけどさ、ユウナは本当に戦うのか?」
本当にいきなりだったのでユウナは一瞬と惑うが、すぐに真剣な表情をして頷いた。
「もう、決めました」
――それは、何の迷いもない者の言葉である。決して揺らぐことのない決意をした者の――。
「この世界が破壊されるってことは、大切な人も、大切な思い出もみんな消えちゃうってことだから。私がお世話になった人も、私が想いを馳せている人も、そして私自身も消えてしまう。そんなことをさせちゃいけないから」
この世のすべては大切なものであり、失われてよいものなどない。それがユウナの考えだった。
「でも相手は私のお父さん。だからちょっとだけ怖いのかもしれない。――戦わなくても済む方法ってないのかな? 話し合いとか」
「それはやってみないと分かんねえな。円卓の騎士は破壊衝動があるからさ。喩えるなら性欲みたいなもんかな。性欲がマックスに達するとレイプとかする輩がいるだろ? ナイツもそんなもんだよ」
「……もっとまともな喩えはなかったのかな」
つまり円卓の騎士たちの欲望を満たすもの、それが世界の破壊であり、理性がそれを抑えられないわけだ。
「でもどうして破壊衝動なんて持って生まれちゃったんだろ?」
「俺も詳しくは分かんねえ。まあ、そのうち本当のセルク王が教えてくれるんじゃねえのかな」
「本当のセルク王?」
クルドは苦笑する。
「サプライズ企画みたいなのやっててさ。まったく、困った両親だよ」
「はい?」
意味が分からない、と言わんばかりにユウナが首を傾げると、まあいいさ、とクルドはこちらに歩み寄ってきた。そしてユウナの肩に手を乗せ、優しい微笑を浮かべる。
「辛いこととか、泣きたくなるようなことがあるかもしれないけど、やらなきゃいけないんだ。大丈夫、俺も一緒に戦うからさ。そりゃ、話し合いで済むのが一番かもしんねえけど、きっと戦わなければならないと思う。――覚悟しておけよ」
「うん」
もしも父と戦うことになったら、と考えると、少しだけ怖かった。だが、父が悪事に手を染めようものなら、それを止めるのが娘としての義務というものだ。
――だから私がやらないといけない。
運命とは時に残酷である。もしもアーサー王が父でなければ、ユウナの決意は更に固いものだっただろう。それが父であったばっかりに、ほんの少しだけ躊躇するとことがある。
だが、ユウナはやるしかなかった。数え切れない大切なもののために父という大切な存在を失わなければならない。
「まずはアーサー王を捜さないとな」
「あ、それなんだけど……心当たりがあるの」
父と同じ姿をした教会の司教――ブレイルの存在がユウナの心当たりである。
彼はユウナの父と同一人物であり、アーサー王かもしれない。そう解釈しようともどうしても話の辻褄が合わぬ部分があるが、もしかしたら、というか可能性もある。
「私、ちょっと行ってくる」
+++
教会に帰るや否や、エステルとデリアに面会の内容を追求されたが、適当に受け流しておいた。
「お父さんは?」
夕刻を迎えた時間帯、教会を訪れる人はもういない。今はエステルとデリアしかいないようで、件の人物も見当たらなかった。
「ブレイルならさっき出かけたわよ」
デリアがブレイルの留守を告げた刹那、ユウナの背後の扉が開いた。
振り返ると、浅い海を思わせる青色の長髪を戴いた神父が立っていた。
「ただいま。おや、帰ってきたたんだね」
神父――ブレイルは優しく微笑む。
「面会はどうだった?」
「あ、えっと、うん……」
あまり訊かれたくなかったこと一番に訊かれてしまって、ユウナはつい生返事してしまう。
ブレイルたちに面会で訊いたことを話す勇気など、ユウナにはなかった。自分が“究極の兵器”であるとか、アーサー王が父であるとか……それを言ってしまうと、せっかく縮まっていた彼らとの距離が急速に離れてしまいそうで怖い。
それでもあのことだけはブレイルに訊いておかなければならなかった。
「あの、お父さん……」
あなたはアーサー王なの、など簡単に訊けるわけがない。
言葉を繋げずに黙っていると、ブレイルの手がユウナの肩に置かれた。
「若いのに物忘れするんだね」
ブレイルはユウナが黙り込んでしまったのを物忘れと勘違いしたらしい。にこりと笑うと、そっと離れていく。
やはり訊いておかなければならない。ユウナは離れていく背中に再度問うた。
「お父さん、あなたは――」
勇気を振り絞って訊いたにも関わらず、結局ユウナの質問がブレイルに届くことはなかった。それは突然鳴り響いたサイレンの音に肝心な言葉を掻き消されてしまったからだった。
「何!?」
困惑したデリアが声を上げた。
『デルヘン市民の皆さんに連絡いたします。ただいま、ラミューダ海沿岸部で巨大竜巻が発生したことが確認されました。その竜巻の勢力はカテゴリーF。ゆっくりと、しかし確実にこちらに近づいております。市民の皆さん、及び市に滞在している皆さんはお近くの建物、もしくは地下に非難してください。繰り返します――』
「竜巻ですって!? この教会やばいんじゃない?」
「ああ。この教会には“衝撃忍耐システム”が搭載されていない。――竜巻が来るのにはまだ時間がありそうだから、すぐに必要なものを持って非難するんだ」
衝撃忍耐システム――ハリケーンは地震などの様々な火災から建物を守るものである。災害発生を即座に察知し、自動魔法詠唱機が建物に“イージス”という防御魔法を張り巡らせるのだ。
近年に至ってはほとんどの建物に衝撃忍耐システムが搭載されているのだが、この教会と、ここで働く者が住まう寮にはそれが備え付けられていない。
ユウナたちはすぐに必要なものを取りに寮に向かった。
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それは、夜に現れし悪魔のようだった。
それは、天を支える暗黒の柱のようだった。
それは、闇色に輝くオーロラのようだった。
そしてそれは、大地の怒りのごとく、逃げ惑う人々に死を与えた。
+++
「――あれは自然に起きたものじゃなさそうだねえ」
美男子と称するにはいささか歳のいきすぎた短い黒髪の男――エリオル・ヴァレイン・セルクは、竜巻が映し出されているモニターを見て険しい表情をしていた。
ここ――セルク城の玉座の間では、突然発生した竜巻についての会議が行われていた。だが決して今後の対策について話し合っているわけではない。
そもそも市のほとんどの建物には衝撃忍耐システムが搭載されているから、建物倒壊などの心配はまったくする必要がないのだ。市民だって建物に避難すればどうにでもなる。
今考えなければならないのは……。
「古代魔法“殺戮の風”。過去にアーサー王が使ったらしい」
「では、彼は力を取り戻してしまったのですね……」
思ったより高額な借金を示されたような顔をしたのは、キャサリン・ヴァレイン・セルク――セルク王国王妃その人である。
「力を取り戻す前に破壊したかったんだけどねえ。こうなったからには戦う以外に他ならない。“究極の兵器”は?」
「シスター・ユウナは教会にお戻りになられましたよ」
「ふ〜む、そうか。“殺戮の風”を止められるのは彼女しかいないんだけどねえ」
巨大なうねりは港を通り過ぎ、デルヘン市に突入しつつある。人民は衝撃忍耐システムの備わった建物に入れば大丈夫だが、それでも逃げ遅れたしまった者もいるらしい。
これ以上犠牲を出さないためにも、“殺戮の風”を消滅させなければならない。
+++
「あれ? エステルちゃんとデリアさんは?」
少し遅れて必要最低限のものを持ってきたユウナは、大聖堂で待っていたブレイルに訊ねた。
「二人は先に行かせたよ。さ、私たちも急ごう」
そう言ってブレイルが出入り口の扉に手をかけた瞬間、その扉が勢いよく内側に吹っ飛んできた。同時に、凄まじい風が侵入してきて、長椅子がいっせいに宙を舞う。
かろうじて扉と長椅子をユウナは、出入り口の脇に控えているブレイルのところまで走る。
どうやら竜巻はもうすぐそこまで来ているようだ。
「どうしよう」
非難するどころか、外へ出ることすら間々ならない状況だった。気合を入れて走ってみても、ものの数秒もせぬうちに吹き飛ばされてしまうことだろう。
「ごめんなさい。私がもたもたしてたから……」
「悪いのはユウナじゃない。竜巻だ」
こんな状況に陥ってしまった原因はユウナにあるというのに、ブレイルはユウナを責めたりしなかった。――本当の父親も同じことを言ってくれたかもしれない。
そのとき――
凄まじい轟音を上げて教会中の窓ガラスがいっせいに割れた。
その大小様々なガラスの破片は下にいるユウナたちに降りかかろうとしている。
「!?」
咄嗟のことで身動きできなかったユウナを庇うようにしてブレイルが覆いかぶさった。
ガラスが床に叩きつけられる音とともに、湿った肉が落ちたような異音がした。そしてユウナの頬を生暖かい液体が伝う。
「お父さん?」
声をかけると、自分に覆いかぶさっていた父の身体がゆっくりと床に倒れた。
ブレイルの左胸には大きなガラスの破片が深々と突き刺さっており、そこからおびただしい量の血が溢れ出していた。
「お父さん!」
ユウナは父の身体を揺する。目覚める気配がない。
恐る恐る口に手を当てると、そこから吐かれる息はなかった。
「お父……さん……」
ユウナの目からじわりと涙が溢れ出した。
「嘘……でしょ?」
これと似たような光景をどこか遠くの森で見たような記憶があるが、そのとき倒れていた相手は「ああ、嘘だ」と言って起き上がってくれた。だが今目の前に倒れている相手は応答がない。
「いや…………」
大切なものを失った悲しみ――それがどんなに辛く、悲しいものか、ユウナはこのとき初めて知った。残された者はかくも哀れだ、と。そして大切なものを喪失したとき、そのものがどんなに愛しかったか思い知る。
「いや…………いやあああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
――天地が轟々たる音の中に閉じ込められた空間で、大地が咆哮した。
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