二章 目に見えるはただの敵
「――私がやります」
意外な立候補者に、一同が驚愕の色を浮かべた。それもそのはず、この人質を使った内部崩壊作戦を提案した王女自身が、人質役を買って出たのだから。
王女といえば普通、戦乱から遠ざけられるべき立場である。だが、クレルムは今目に見えている敵から王女たる者が逃げてはならないと語った。
「それに私はそれなりの戦闘能力を備えておりますわ」
娘の自信ありげな発言に、父は顔を渋った。
「君の実力は認めるけど、相手はあの円卓の騎士だよ? 人質になる前に殺されてしまうかもしれない」
「確かに彼らはすべてを破壊する無慈悲な者たちかもしれません。ですが、人質を取るくらいの脳はあるでしょう。人質を盾に何かを要求するくらいの脳は」
昔――召喚士と円卓の騎士が争っていた時代の戦闘記録に、人質を使った作戦があったとは一文字も記されていない。それに円卓の騎士の実力が正確にどのようなものか分からないため、その前例のない作戦を実行するわけにはいかないのだ。
「どんな作戦を立てても危険なのは変わりません」
それでもクレルムは自分の提案と人質役を譲らなかった。
「真っ向から立ち向かっても危険。裏から攻めても危険。だから一番危険度の低い作戦で立ち向かおうというのです。この作戦ならあちらの何人かと看守に回すことができますし、私にしかリスクがかかりません」
「それがいけないと言っているのだよ。君は王女だ。この国の将来、必要とされる存在だよ?」
「では、私以外の者なら人質に出してもよいと仰せになりますか?」
王女の鋭い質問に、セルク王は言葉を詰まらせた。愛用のパイプに視線を移すと、そのまま押し黙る。
「――その作戦を採用しましょう」
沈黙してしまったセルク王の代わりに口を出したのは王妃だった。
「あなた、ここはクレイを信じましょう。確かに危険ですが、クレイは強いから大丈夫。それに衝撃忍耐システムだってあるのですから、臆することはありません」
その麗貌にそぐわぬはきはきとした口調でキャサリンは言う。
「それはそれで決定としましょう。内部崩壊であちらが滅ぼしあい、隙ができたところを攻める。それなら事は幾段か易しくなります」
ただ、とキャサリンはその麗貌をしかめる。
「衝撃忍耐システムがあるとはいえ、守ってばかりでは何も始まりません。衝撃忍耐システムを停止させたとき――こちらが攻撃態勢になったときに相手と対等に討ち合えるかどうか……。円卓の騎士一人の力は完全武装した兵士千人ほどのものだそうです。果たしてここにいる者で倒すことができるのでしょうか?」
「じゃあ何万人、いや、何十万人の兵士を出せばいい」
数が攻めればいい、と言ったのは茶髪の男――ローブをまとった姿は他国の荒民のようだが、それでも王子であるクルドだった。
「その作戦は却下だよ」
だがセルク王に陳腐な意見だ、と速攻に否定される。
「それだと無駄な犠牲を増やすだけだからね。人数よりも、強い力のある者がいることが大切だ。ここにいる者がそれに当てはまる」
「俺やテュールはともかく、ユウナや他のシスターたちは戦えるのか?」
「――失礼ですけど」
半ば剣幕が上がり始めた親子の会話に、異様なほど落ち着いた声が割って入った。
頭巾の間から長い金髪を出している美人シスター――デリアが、冷たい視線を王子に向けている。
「正式にシスターになるためには聖学を学ぶ他に五ヶ月間の戦闘訓練を受けなければなりません。その訓練で、私もエステルも様々な戦闘技術を習得しましたわ。だから、戦闘にはそれなりの自信があります」
なるほどねえ、とセルク王はパイプを咥える。
「訓練はものすごく厳しいという噂だから、期待してもいいわけだね?」
「はい」
「これで問題はないわけだ、クルド」
あっそ、と茶髪の王子は興味を失ったように明後日のほうへと視線を向けてしまう。
「ユウナくんに関しては心配ないよ。“究極の兵器”としての力があるからね」
エリオルは紫煙を吐くと、沈鬱な表情をした尼僧にウインクする。
「さて、これで円卓の騎士討伐の作戦会議は終了ってことでいいんだね? クレイを使った内部崩壊、ガタガタになったところを攻める。まあ、他の細かいところはあとからでもいいだろう。僕は――」
「大変です!」
突然ドアが開くとともに、罵声にも似た男の声がした。開け放たれたドアの前、よほど急いできたのか、肩で息をしている館の使用人がいる。
「巨大な津波がこちらに向かってきています!」
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巨大なうねりは、一定のスピードで黒い平原――仄暗い海と呼ばれるラミューダ海を走っていた。その不気味な景色は、悪魔の手が獲物を追いかけている様子さえ彷彿とさせる。
この悪魔の手に飲み込まれて生きて出られる者は、この世に一人としていないだろう。いるとすれば、それは神か天使か――そのような類のものに違いない。
黒い平原の先、異常に広くなった砂浜に一人の尼僧が立っていた。左右それぞれ色の違う瞳は、向かい来る巨大なうねりをまっすぐに見つめていた。
「――我は光なり」
その尼僧の口が、意味を持たぬ文字の羅列を喋り始めた。
「光は闇を引き裂くなり。光は暗黒を打ち消すなり。我は光なり」
波はもう近くまで迫ってきている。この尼僧も早く高台に非難しなければ、たちまち悪魔の手に飲み込まれて命を失ってしまうだろう。なのに尼僧はまったく動こうとしなかった。
「風は止むなり。音は止むなり。時は止まるなり。すべてを無にする者よ、どよめき渡る闇を光に転じよ。――来たれ、“光の刃”」
尼僧が詠唱を完了した刹那、大気が破裂した。
発生した凄まじい衝撃波が、向かい来る悪魔の手に突進する。そしてその衝撃波が闇のうねりに衝突した瞬間、海岸まで聞こえるほどの大きな水飛沫の音を立てて、港――そしてデルヘンの街を飲み込もうとしていた悪魔の手が完全に消滅した。
あとにはただ打ち寄せる小波の音があるだけだった。
左右それぞれ違った目の色をした尼僧――ユウナは安堵の息をついた。
いきなり「津波を止めろ」などと言われて最初はずいぶんと戸惑ったが、いざ津波と対峙してみると、絶対に消してやる、という強い気持ちが湧いた。その直後に自分の口から飛び出した呪文のようなもの――ほとんど無意識のうちに口走っていたものが、まさかあのような大技を繰り出すとは思わなかった。
「古代魔法“光の刃”。すべての魔法を無効にするものだ。完璧だね〜」
自分の生徒の研究発表を褒める教授めいた口ぶりで言ったのは、エリオルだった。愛用のパイプを口に咥えると、気障ったらしくウインクする。
「普通の魔法は、使えば使うほど疲労を感じてしまうけど、古代魔法はどれだけ使っても疲れないんだ。ただ、長い呪文を口にしないといけない。詠唱中に攻撃されたら堪らないね〜」
どんなに優れたものでも必ず欠点がある、という言葉は古代魔法にさえ付いていた。
「その調子で奴らと戦ってくれたまえよ、“究極の兵器”」
「はい。この世界の人たちのために――そして、これから生まれてくる人たちのために、私は頑張ります」
う〜ん、とエリオルは紫煙を吐いて、感心したように呻る。
「君は本当に強いね〜。どこかの誰かさんと誰かさんにも見習ってほしいよ」
「誰かさんと誰かさん?」
「うん。うちの馬鹿息子と某召喚士くんのことだよ」
「ああ」
いつもだるそうな茶髪の王子と、いつもにこにこ――にやにや――している黒髪の召喚士の顔が、ユウナの頭に浮かんだ。
「クルドは僕が創り上げたものを壊すのが怖いだのなんだのと言って王位から逃げる」
「それで昔、家出したんですか?」
「そうなんだよ。まったく、情けない王子だ」
エリオルは少し苦笑する。
「テュールくんは友人のことでずいぶんと悩んでいるようだったよ。自分は仲良くしたいのに、その友人は敵意も露に襲い掛かってくるそうだ」
「クジャ……」
以前、銀竜に乗って襲撃してきたことを話したとき、あの太平楽な召喚士の顔に、一瞬だけ寂しげな色がともったことがあった。口では愛情表現の裏返しなどと気楽なことを言っていたが、実際はすごく悩んでいるのかもしれない。そして、友人でありたいと願う彼に対してのクジャの有様に、深く傷ついているのかもしれなかった。宗思うと、あの冗談でつくり上げられた男も哀れなものに感じられる。
「身内の問題をいつまでも引きずっていては成長できないからね〜。あの二人の場合はきっぱり諦めれば終わるのに」
「……私も少しだけ、引きずっているのかもしれません」
「父親のことかい?」
「はい。最近、お父さんとの昔の思い出をいっぱい思い出してしまった……それを覆いだす度にこの戦いから逃げ出したくなるんです。でも、今逃げたらこの世界の大切なものがみんな消えちゃう。だから……」
なるほどね〜、とエリオルは優しく微笑んだ。
「僕ももし敵が自分の父親だったら、戦うことに躊躇するよ。でもね〜、そこにいるのは父親ではなくただの“敵”なんだ。だからいずれは戦う道を選ぶだろう」
「ただの敵……」
「君の父はどんなお人柄だった?」
「優しくて、真面目で……世界を破壊しようなんて絶対に考える人じゃない」
「そうか。じゃあ、今君が立ち向かおうとしているのは父親ではなく、ただの“敵”だよ。だから躊躇する必要なんてどこにもないんだ」
最早自分の父はどこにもいないのだ。この世界にも――そして元の世界にも。だから敵と戦うことを躊躇う必要なんてない。そう思うことにとって少し勇気が出た反面、寂しさが胸の中にわだかまった気がした。
「そういえばユウナ。話が百八十度変わるんだけど――円卓の騎士を無事に倒せたら、そのあとはどうするつもりだい?」
「え?」
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