八章 終止符
すべてが終わった、とユウナは思った。クジャ――正確にはクジャの銀竜――が繰り出す光はそこにいる人間を消滅させてしまう。街に溢れている人々も、そしてここにいる自分も跡形もなく消えてしまうだろう。
だが、目を閉じていても眩しく感じられたその光は突如としてその輝きを失った。そっと目を開けてみる。そこには目を閉じる前と何一つ変わらぬ大通りの風景が広がっていた。
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「――君も本当に意地っ張りだねえ、テュール」
美しい顔立ちの男の発言に対し、短い黒髪の男――テュールは微笑んだだけだった。
この二人の男が今いるのはデルヘンの上空である。黒髪の男は黒竜に跨り、銀髪の男は銀竜に跨って、お互いに向き合っていた。
「あんな街にどんな価値があるって言うんだい?」
小莫迦にしたような笑いを僅かに含め、銀髪の男――クジャは訊ねる。
「そうだね〜。少なくとも君の存在より価値はあると思うよ?」
テュールは爽やかな微笑みとともに度の行き過ぎた毒を吐いた。だが、クジャは怒るどころか人のよい笑みさえ浮かべている。
「で、どうしてまたデルヘンを破壊しようとしたんだい?」
最前、クジャの銀竜が“デスストリーム”という破壊攻撃をデルヘン市に向かって放ったが、偶然近くを飛翔していたテュールたちがそれを阻止。もしもデスストリームが成功していたら、眼下の人々は今頃跡形もなく消えてしまっていただろう。建物の中にいた者は別として、それ以外の人間は最初からこの世に存在しなかったかのようになる。
「美しくないものなんてこの世に必要ない。だから掃除しようとしたんだよ。あのゴミみたいな街も人間も」
まるで芸術をめでるかのように語ったクジャに、テュールは優しい微笑みを返した。
「そういう君はゴミ以下だよ」
薔薇の棘のような言葉はクジャの心に怒りを湧かせただろう。先ほどまでの微笑みは跡形もなく消えている。――テュールが黒竜に降下の指示を与えたのと、銀竜の口から青白い光が吐き出されたのはほぼ同時だった。
ぎりぎりのところで光をかわした黒竜は銀竜との間合いを広げる。
「僕がゴミ以下だって? 言ってくれるじゃないか」
クジャの口が不気味な三日月を象った。
「ゴミ以下は君のほうだよ、テュール。殺してあげる」
再び銀竜の口から光が吐き出されたときには黒竜はすでに上昇を開始している。次の攻撃に最前の注意を払いながら近くの積乱雲に逃げ込んだ。
雲の中は冷房のよく効いた部屋よりも涼しい。それどころか肌寒いとさえ思う。
この中ならクジャに見つかることはないだろう。大量の水滴のおかげで視界が完全に遮られているし、クジャは衣服が濡れることをとても嫌う。まさか全裸で突入なんてことはありえないし、テュールたちを追うのが面倒だと分かるといつもクジャは見逃してくれる。結局、クジャはいつも本気でテュールを討とうとしているわけではないのだ。
「しばらくはここに隠れていたほうがよさそうだね」
クジャから無事に逃げられたことに安堵して――あるいは昔からまったく成長しない男に呆れて――テュールは深い溜息をついた。――右方向から激しい光が出現したのはそのときである。
もしも黒竜が咄嗟に降下していなければ、今頃テュールの頭は消し炭になっていただろう。頭上を通過した光――高分子光を視線の端で捉え、テュールは思考を巡らせる。
今のは外からの攻撃ではない。雲の外からあそこまで正確に標的を狙えるわけがないのだ。では、と思ったところに再び高分子光が襲ってくる。テュールは振り落とされぬよう黒竜の角をしっかり掴んだ。
クジャは諦めたのではなかったか……。予想外の展開にテュールは驚きを隠せなかった。いつもならとっくに終わっているはずの不毛な喧嘩が終わらないということは、クジャは本気でテュールを殺す気でいるのかもしれない。そして、長きに渡って続いた微妙な関係に終止符を打とうとしているのかもしれなかった。
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「よろしくお願いします、シド大公」
ユウナは、見事に弧を描いたちょび髭の持ち主――リンドブルム王と握手を交わす。
リンドブルム王が設計した飛空艇ヒルダガルデの内装は、高級なホテルを思わせる。大きな機体にはレストランやゲームセンターはもちろん、居住スペースまでもが収まっている。
「こちらこそよろしくお願いします、シスター・ユウナ」
人のよさそうな笑みを浮かべるちょび髭はおそらくセルク王と同い年くらいだろう。別段歳をとっているように見えるわけでもなく、まったく若いようにも見えない。
円卓の騎士のアジトである大空城は現在ラミューダ海上空に停滞しているという。ヒルダガルデはすでにそちらに向かって飛行しているのだが、目的の物体はまだ見出せていなかった。
もしも大空城がどこかに向かって逃げているのだとしても見つかるのは時間の問題だろう。捜索しているのはヒルダガルデだけではないし、飛空艇は大空城の二倍以上もスピードが速い。
眼下に広がる暗黒の海は、まるでそこに夜の世界が広がっているかのようである。魚が日光を受けて輝いているのが星のようで一層そう思う。だが、数時間前にユウナが目にした大空城はラミューダ海よりも濃い闇色をしていた。
「そういえば、セルク王はどちらへ?」
シドの質問にユウナは少し戸惑った。
「それが……乗り物酔いで、おトイレに」
それはヒルダガルデに乗船して数分後のことだった。あまり顔色の優れないセルク王は三半規管が弱いと主張し始めた。そして見る見るうちに顔色が悪くなり、ついには口に手を押し当ててトイレに駆け込んだのだった。
シドは苦笑する。
「彼が乗り物酔いするというのは初耳だ」
「――うぅ、本当に今日はアンラッキーは日だよ」
ちょうどそのとき、気分悪そうな顔をしたセルク王――エリオルが現れた。いつものジェントルマンチックな人柄が嘘のようにへなへなと壁にもたれている。
「久しぶりですな、セルク王」
「やあ、シド大公。なんだか景色がグルグルしてるけど、お元気そうで何よりです。それよりどなたか冷たい飲み物を持ってきてくれないかい? 一刻を争う緊急事態だ」
ユウナは今にも嘔吐しそうなエリオルの背中をさすってやった。
「これならいっそ、ここから飛び降りたほうが楽だろうねえ」
「――じゃあ俺が落としてやろうか? 親父」
特徴的なガラガラ声は当然ユウナのものではない。通路に面したドアの前、茶髪の若い男が生まれたときからそこにいたような顔をして立っていた。
「……親思いの息子を持てて僕はとても幸せだよ、クルド」
「そりゃどうも」
茶髪の男――クルドはどうでもよさそうな目でエリオルを見やると、今度はユウナのほうへ歩いてくる。
「あのエロ召喚士はどこへ行ったんだ〜?」
「テュールさんなら今、戦ってるところだよ」
テュールは突如姿を現した新たな敵――最凶の銀竜を下僕に持つクジャと交戦中である。戦いの行く末は確認できていないが、あの変態召喚士がエロナルシスト召喚士ごときに負けを記すとは思えない。
「やっぱり心配?」
ユウナの質問に対し、クルドは思わず、といった顔をした。
「なんで俺があんなやつの心配なんかしないといけねえんだよ」
「だってテュールさんはクルドさんの恋人――」
「違うっ!」
クルドは周囲の視線がいっせいに自分のほうに向けられたのにも気づかずに声を張り上げて反論する。
「俺とテュールはただの顔見知りだ! 俺はホモじゃないし、あいつだって冗談で俺にくっついてんだよ! だから、そういうのじゃねえんだ」
「そんなふうに言ったらテュールさんが可哀想……」
「……哀れむんだったらホモに思われてる俺を哀れんでくれ」
どいつもこいつも、とクルドはぶつぶつ文句を言いながら去っていく。――他の飛空艇から通信が入ったのはそのときだった。
「こちらヒルダガルデ二号。そちらの飛空艇の南東に大空城が停滞しています」
吉報か、それとも凶報か――どちらとも判断できぬ情報にユウナは少し緊張した。もう眼前に迫っている戦いが、いよいよ始まる。
「これより作戦に移ります」
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