十一章  最強の尼僧


 辺り一面は黄色に覆いつくされている。――ひまわり、だった。背丈はさほど大きくないが、立派な花を咲かせている。数多くのひまわりが例外なく太陽のほうを向いている光景は美しくもあり、また異質でもあった。
 ユウナはこの光景をどこかで見たことがあるような気がしていた。そしてそれが、とても大切な思い出の一節であることを感じている。だが、思い出そうとそれば思い出そうとするほど浮かんでくる景色が曖昧になってしまう。
 そこで何か忘れてはならないことを学んだはずだ。自分自身の人生に関係のあること――ひいては自分の父に関係していること、というところまでは思い出せても肝心なところがまったく浮かんでこない。
 記憶を探っていると、時々ここが敵の陣地であることを忘れそうになる。――背後から何者かの気配を感じたのはそのときだった。
 はっとなって振り返ったとき、完全に鋭い白刃が迫っていた。反射的に目を閉じたが、その白刃がユウナに届くことはない。
 衝撃忍耐システム――ユウナの近くを周回していた小さな丸い機械が防御魔法“イージス”に酷似したベールを張る。至近距離にあった白刃が一気に引き離される。

「誰?」

 そこにいるのが円卓の騎士ナイツオブラウンドであることくらい容易に想像がつく。もしかしたら父かもしれない、と思って振り返った先にいたのは父ではなかった。
 陰険いんけんな男だ、とまず思う。顔立ちは端整ではあるが何の表情も灯っていない。長い黒髪を肩にだらりと垂らし、喪服めいたダークスーツを寸分の狂いもなく着込んでいる。――どこまでも黒く、そして暗い。
 その手には薙刀なぎなたが握られていた。先ほどユウナの目に映った白刃はきっとあれだろう。

「私はミルディン。今からお前を排除する」

 地獄の底から呪詛を唱えるような暗く、重い声だった。
 ユウナがソロモンソードを構えた瞬間、漆黒の男は高々と跳躍している。だが、ユウナがその攻撃を受けることはない。衝撃忍耐システムがベールを形成すると、突っ込んできたミルディンはおもちゃのように弾き返される。

「何をしても無駄です。大人しく降参してください」

 この防御マシンの前ではどんな攻撃も意味をなさない。だが、それと同じくらいこの男に降参を勧めるのは無意味なことだろう。光らぬ黒い瞳は殺気に満ちていた。
 ミルディンは薙刀の刃を後ろに向け、一瞬のうちにユウナの眼前に迫ると、鋭い刃を旋廻させる。――ユウナではなく、衝撃忍耐システムに向かって。

「!?」

 ユウナは予想もしていなかった光景に思わず目をみはった。ベールを生成する丸い機械がいとも簡単に壊されたのである。
 あの機械はベールの内側にあるため、普通なら相手の攻撃を受けないで済むはずだ。それなのになぜ――。

「そっか……」

 ユウナは理解した。ベールを生成するよりも早くに攻撃を繰り出せば相手の攻撃は有効になる、と。だが、そのベールを生成するまでのスピードはほんの〇,一秒程度のもの。それよりも早い動きとは尋常ではない。
 ユウナはソロモンソードのつかを強く握ると、装置を壊す作業に没頭しているミルディンに突進する。
 高い金属音と同時に火花が散った。確実に防御されたがそれを気にしている暇はない。態勢を低くすると第二撃を繰り出す。だが、ミルディンは微風そよかぜのようにふわりとかわした。そうかと思えば突風のような速さでユウナに接近してきて、薙刀を旋廻させる。
 古びた剣――ユウナのソロモンソードは今にも折れてしまいそうだった。相手の薙刀と打ち合う度にさびが落ちている。次の一撃で折れやしないか――そんな不安が脳裏をよぎるが攻防をやめるわけにはいかない。
 ユウナは高く跳躍すると、全体重をかけて剣を振り下ろす。避けられるのは目に見えていた。
 ミルディンの跳躍したほうを視線の端で捉え、着地と同時にそちらに走る。だが、そのときにはすでにミルディンの姿は残像もなく消滅していた。おそらくひまわり畑の中に身を潜めているのだろう。全神経を周囲に集中させ、気配を探る。

 ざわ、と一部のひまわりが揺れた。

 ユウナは柄を強く握ると、ひまわりが揺れたほうへ跳躍。剣を大きく旋廻させる。
 硬い感触がした。やったか、と思っては先に目をやるが、そこにあるものを見てユウナは絶望する。ユウナが斬ったと思ったのは大きな石だった。
 はめられた、と気づいたときにはもう遅い。ユウナの背後では漆黒の巨影が薙刀を振り下ろそうとしていた。


 +++


 その尼僧はガラハッドの知っているどんな者よりも強かった。美しい容姿からはとても想像しがたい、優れた戦闘能力――それは自分たち円卓の騎士と人間たちの力差があまり変わらないことを証明している。
 尼僧は長身ではあるが決してガタイがよいわけではない。どちらかというと細身に分類されるだろう。その細身から繰り出される剣技はとてつもない力を兼ね備えている。
 ガラハッドに勝算はなかった。尼僧の力は自分よりも上であるし、先ほどから尼僧ではない誰かからの銃撃を受けている。
 せめて他の騎士たちのところまで行けたら、と思うが止まぬ攻撃の前にそれは叶わない。この状況をどう打開しようものか――そう思ったところに剣が振り下ろされた。耳元を掠めた剣は続いてガラハッドの首を取ろうと横方向に旋廻する。剣でそれを防いだ。
 ガラハッドは渾身の力でそれを押し戻し、音速にも迫る速さで突きを喰らわせる。――何の手ごたえもなかった。
 尼僧の姿はそこにはない。代わりにゲル状の液体が見かけによらぬ機敏な動きでガラハッドの周囲を飛び回っていた。それは尼僧の特殊能力らしいが、詳しくはよく分からない。ただ、尼僧が普通の人間ではないことだけは理解できる。
 ガラハッドは攻撃には出ず、回廊を深部に向かって走った。尼僧が見逃してくれないことは重々承知しているがここで攻撃に出ても何ももたらさない。
 走るガラハッドをゲル状の液体と銃弾が追う。どちらも正体不明なだけに少しばかり恐怖を感じた。
 体力の限界を感じ始めたとき、ガラハッドが出たのはエンジンルームだった。多くの機械がせわしなく働き、あちらこちらから蒸気が上がっている。
 どうやら道を間違えたようだが、今はそれを気にしている場合ではない。振り返ると金髪の尼僧が剣を持って佇んでいた。

「行き止まりみたいね〜」

 ネズミを追い詰めた猫が人語を喋ることができたら、こんな声だったかもしれない、尼僧の口が不気味な三日月をつくると同時に、その姿が残像だけ残してかき消えた。そうかと思えば白昼夢のような唐突さで眼前に出現し、剣を振り下ろそうとする。
 ガラハッドは後方に跳躍。細い路地でそれ以外に何ができただろう。――いや、一つだけ攻撃を防ぐのに適した方法があった。それに気づかなかった自分が莫迦ばかみたいだ、と思う。
 尼僧の次の攻撃が繰り出されるが、今度は避けない。落ち着いた様子で“シールド”を唱えた。イージスに続く強力な防御魔法の前に尼僧の一撃は意味をなさないだろう。しかし――

「何!?」

 薄い緑色のベールに尼僧の剣が突き刺さった。そうかと思えば剣はベールの内側に侵入してきて、次いで尼僧の身体が当たり前のように入ってくる。咄嗟とっさに剣を構えたがその身体はあっけなく後方に吹っ飛んだ。

「あんたって本当に弱いわね〜」

 ぞっとするようなアルト声が毒々しい言葉を吐く。

「もう終わりよ」

 そのとおりだ、とガラハッドは思う。どう抵抗したってこの尼僧に勝てはしない。――奇跡を起こせるかもしれない、と唐突に思ったのはそのときである。
 ガラハッドの目に映ったのは巨大な通気口だった。今は動いていないプロペラの無効は大空城の外に繋がっている。
 ガラハッドは持てるすべての力を振り絞ってプロペラのスイッチの元へ跳躍。どうやらそれは尼僧の想定外の行動だったらしく、半瞬遅れて長い金髪が舞う。――その半瞬がすべてを決めた。
 ガラハッドの手がスイッチに届いたのとそこに尼僧の斬撃が飛んだ。剣先がわずかに手を掠めたがそれだけのこと。次の瞬間にはガラハッドの剣が旋廻している。
 その攻撃が尼僧に命中することはない。すでにゲル状の液体と化していたのだ。――それこそがガラハッドの狙いだった。

<!?>

 ぐちゅ、というあまりよろしくない音が上がったかと思うと、ゲル状の液体が通気口に吸い込まれていく。人間ならば決して吸い込まれることはなかったろう。しかし、一度ゲル状の液体となればその重量が軽いためにたちまち大空からダイブすることになる。もちろんこの尼僧は――
 ゲル状の液体はあっという間にプロペラの向こうに消えていった。

「……所詮は人間、か」

 安堵の息が漏れたのは、相手があまりにも強かったからだろう。大きな達成感と安心感が胸に満ちる。
 そう言えば銃撃が止んだようだが、先ほどの尼僧がやられたために退却したのだろうか? まあ、どうでもよい。自分が勝利したのには変わりないのだから。

「――あら〜、それで勝ったつもり?」

 忌々いまいましいアルト声は、意外なほど近くから聞こえた。

「ごめんなさ〜い。さっき飛ばされたの、頭巾コイフだわ」

 驚愕の事実を聞かされた刹那、ガラハッドは不思議な光景を目にした。
 首から上のない人間の身体、だった。斬り裂かれたらしい首の断面からはおびただしい量の鮮血が噴水のようにほとばしっている。
 ガラハッドは気づいた――それが自分の身体であることに。
 周囲の景色が徐々に暗転していく。彼が最後に見たのは、悪魔のように微笑む美しい尼僧だった。








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