十五章 竜の牙


 蜘蛛によく似たそのロボットは、エリオルを踏み潰すべくあしを大きく上げる。十トン以上の重量で落ちてくればエリオルなどひとたまりもない。だが、中年紳士はその場を動かなかった。それどころか床に置いていたパイプを拾い、暢気のんきに煙草の味を楽しんでいる。――ロボットの脚部が無慈悲に振り下ろされたのはそのときだった。

<やったか!?>
「いや、生きてるよ」

 落ち着いたテノール声は、たった今振り下ろされた脚部の下からだった。その底面は床に着いていない。なぜなら、そこに傘の先端を脚部に突き刺した男がいるから……。
 次の瞬間、蜘蛛の肢は電気を発して弾け飛んだ。
 傘――放電・発電機能、衝撃忍耐システムを搭載した武器から電流が放出されたのである。傘の先端がロボットの中に侵入しているため、表面にしか張られないシールドは無意味だ。
 円卓の騎士ナイツオブラウンドケイ――顔の見えぬ相手の驚いている様子を思い浮かべながら、エリオルは適度に間合いを取る。

「やれやれ、こうも相手が大きいと苦労するね〜」

 傘のセットされた複数のボタンをいじりながら呆れた声を出す。

「本当に、難儀だ」

 テノール声の一言にドリルの回転音のようなものが重なった。音源はエリオルの手にしている傘、よく見ればその傘は普通のものとは大きく異なっている、というより、それは傘の形をした別のものだった。
通常、傘の防雨部はナイロンの交織ファブリック布などでできているものだが、エリオルの持つそれは鋼鉄でできている。先端からその部分までが高速回転し、ドリルの回転音に似た音――いや、ドリルの回転音そのものを上げていたのだ。

「肉体労働は嫌いなんだけど……」

 お世辞にも速いとは言いがたいスピードでエリオルは走り出した。とはいえ、脚部を一本失い、バランスが取れずに辟易へきえきしているロボットにこの攻撃は防げまい。
 傘――正式名“鬼の絶叫”の一閃。高速回転により小規模衝撃波を放つその武器の攻撃は、蜘蛛の胴体に大きな爪痕を残した。無論、“鬼の絶叫”はエーテルを含んでいるため、シールドの意味はない。

「さて、ケイくん。そろそろ降参してはどうかね? 君を生かしておくつもりはないけど、無駄なあがきはよくない」
<……降参だと?>

 スピーカーを通じて耳に入った声は、凶器こそ感じられぬものの僅かに怒気を含んでいた。

<つけあがるなよ! クソジジイ!>

 僅かな怒気から激しい怒気に転じたケイの声が、広いエンジンルームに響き渡る。

<ぶっ殺してやるッ!>

 殺意までもをあらわにしていたが、エリオルは恐怖など抱いたりしなかった。“鬼の絶叫”の回転を止めると、いつものようにパイプを咥える。――蜘蛛の形をしたロボットのハッチが開いたのはそのときだった。

「――クソジジイ!」

 怒り、殺意、憎悪、興奮……あらゆる感情をない交ぜにした表情でロボットから出てきたのは、短い金髪の若い男だった。浅黒い端整な顔立ちを憤怒に染め、震える手には銃らしきものが握られている。

「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 獣の雄叫びめいた絶叫と、一つの銃声が重なった。だが、銃声はケイの構えた銃から上がったものではない。ケイが確かに構えたはずの銃は、魔法のように彼の手中から消滅している。
 わが身に何が生じたのか分からぬケイは周囲を見回した。そのときに光る何かを見つけて、敵方の仲間が来たのだと悟った。

「ジ・エンドだね」

 エリオルの口から死の宣告が出た刹那、ケイの四肢が血飛沫を上げて吹き飛んだ。苦悶に歪む若者の顔は何かを口走ろうとしたが、沸きあがってきた鮮血にそれは適わなかった。
 発動させた単分子ワイヤーを停止させ、エリオルは一つ息をつく。

「安らかに眠りたまえよ、ケイくん。――それにしてもナイスタイミングで来てくれたね〜、エステルくん」

 はい、とよく響くソプラノ声が、何の音もないエンジンルームに響き渡った。そして、巨大な機械の陰に隠れていたらしい赤毛の尼僧にそうと、白い尼僧服を朱に染めた金髪の美女が出てくる。

「円卓の騎士を二人始末しました、殿下」

 金髪の美女――デリアは無表情に自分たちの状況を告げた。

「うん。今ので三体……他の者はどうなっているやら」

 大した実力のないエリオルでこれだから、他の者――息子や“究極の兵器アルテマウェポン”はもっと余裕でクリアしていることだろう。あるいはそこで無残な肉塊にくかいと化した男が偶然弱かっただけなのかもしれない。

「とりあえず、ここを破壊してから先に進もう」

 二人の尼僧が頷いたのを確認して、エリオルは単分子ワイヤーを発動させた。


 +++


 西の空は黄昏たそがれに染まり始めている。
 暗黒の海に沈みかけた夕日をバックに、二つの影が上空を漂っていた。それらは時折交わったり、そうかと思えば距離を広げて激しい光を放ったりしている。
 一方は銀色の、もう一方は夜の闇より暗い色の体で、どちらも人ではない。大きな翼をまとったそれらはドラゴン系に神獣。両者ともに、背に主を乗せてあげしい戦闘を繰り広げているところだった。

「そろそろ諦めたらどうだい、テュール?」

 まるで銀竜の色を真似たかのような銀髪を戴いた男が揶揄やゆするように言う。

「そっちこそ、暗黒の海に沈む覚悟をしたら?」

 こちらもまた自分の黒竜の色を真似たかのような黒髪の男は、皮肉のこもった言葉を吐いた。
 容姿はどちらの男も美しい。一度ひとたび街を出歩かせれば、その美貌に誰もが振り返ることだろう。だが、今はその美しい容姿も関係ない。
 この二人にとって重要なのは、目の前の敵を倒さなければ自分が死んでしまうということである。だからこうやって空中戦を展開しているわけであるが、この戦いが始まってからすでに六時間ほどが経過していた。
 黒髪の男にしても銀髪の男にしても、そして黒竜も銀竜も弱みを見せないが、事実、体力的にも精神的にも限界が近い状態だった。
 黒髪の男――テュールは正体不明の笑みを浮かべながら黒竜に攻撃の指示を出す。細やかな動きだが確かにそれは黒竜に伝わり、その手中に黒い球体が出現した。
 電磁重力球体インパルス――直撃すれば即死さえし得るそれは、生き物のようなコミカルな動きで銀竜に向かう。

「甘いよ」

 だが、黒竜の繰り出した球体は直前に出現した白い光によって打ち消されていた。

「インパルスごときに“ホーリー”とは、君も情けないな〜」

 テュールは揶揄すると、黒竜に上昇の指示を与える。

「どこへ逃げたって無駄だよ」

 遠ざかっていくクジャの声を耳にしながら、“グラビガ”を放った。
 グラビガは広範囲に渡って重力を通常の十倍にする黒魔法であり、巻き込まれれば体力を大幅に削られる。これがクジャに命中すれば銀竜もろとも弱ってくれるだろう。そうなればこちらが幾分か戦いやすくなる。
 だが、グラビガがクジャたちに到達するよりも早く、その姿は魔法のように掻き消えた。

「これはやばいかな」

 テュールは辺りを見回すが、クジャ――銀竜――の姿を捉えられない。ここで裏を取られればテュールの負けは確実だろう。背後に注意を配りつつ黒竜を上昇させる。――青白い光が自分たちのすぐそばに沸きあがったのはそのときだった。
 もしも黒竜がその巨体を傾けていなければ、テュールは今頃炭の塊と化していただろう。だが、結果的にはそれがテュールたちの命を危機にさらすことになる。

『!?』

 呻きに似た声が回避行動をとっていた黒竜から上がった。見ると、左翼の一部に大きな穴が空いていた。肉が焼け焦げたような臭いがテュールの鼻を突く。
 黒竜の巨体は糸が切れたように動かなくなり、眼下に広がる暗黒の海に向かって落下し始めた。虚空に投げ出されたテュールの細身も隕石の落下のごとく急降下を開始する。

「――テュール!」








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