十六章 友情


「――どうして助けたりするんだい?」

 夜の闇が空に広がりつつあった。幾数もの星が飾りのように点在し、東の空には満月が明日への希望を象徴するかのように輝いている。――あるいは明日の絶望を祝うかのように。
 短い黒髪の男は大きな銀竜の腕に抱かれ、眼下に広がる暗黒の海を眺めていた。

「それとも銀竜が勝手にやったことなのかな?」
「いや、僕が命令したんだよ」

 黒髪の男――テュールが再度訊ねると、銀竜の背に跨る銀髪の美男子は囁くような小さな声で告げる。

「君が死んだら僕は……。君には死んでほしくない」

 ついさっきまで敵対していたはずの男の声はそれが嘘だったかのように優しい。

「……クロは?」
「落ちていく前にフルケアをかけておいたから大丈夫だと思う」
「そう……」

 空から暗黒の海に落ちて死ぬ――思い描いていた最期がテュールに訪れることはなかった。敵であったはずの者に助けられ、こうして生きている。

「本当は君のことを嫌ったりしていない。むしろ好きさ」
「なんとなく気づいていたよ、クジャ。でも、君のした非道の数々は許されない」
「反省してる。反省して許されるようなことじゃないけど」

 うん、とテュールは頷いた。

「私に対してしてきたことなら許す。でも、関係ない者まで巻き込んだのは永遠に許されないよ」
「分かってる。――ごめんね」

 短い謝罪の言葉は、今までに聞いたどんな言葉よりも印象的だった気がする。そしてそれは、何十年に渡って続いた二人の召喚士の長い戦いに終止符を打った。

「僕は君を自分のものにしたかったんだ、テュール。好きで好きで堪らなかった。でも、君が僕を避けるから、こっちもムキになって……」
「私は君が追ってくるから逃げてただけなんだけど。でも、今の感じだと私にも原因があるみたいだね。――ごめん」
「テュールが謝ることないさ。この件は全部僕が悪かった」
「自分を責めすぎるのはよくない。――ああ、一つだけ許される方法がある」
「え?」
「円卓の騎士を討つんだ。そうすれば、残された人たちもきっと君を許してくれるよ。私とともに行こう」
「うん」

 人間とは複雑なものだ、とテュールは思った。些細ささいなことでその関係が上手くいかなくなり、そうかと思えば深い情を抱いたり……。
 クジャをここで失ってはならない、と思っているのも情の一つ。それが友情であり、愛情でもあることをテュールは知っている。
 ついさっきまで上手くいっていなかった関係だからこそ、その情は大きい。

 遥か遠くの空に、地ごと引き抜いたような形の物体が浮遊していた。


 +++


“汝、破壊を誓う者ならばその先にある神たる存在に服さん”。理解しかねる文字の羅列が漆黒の壁に刻み込まれていた。この通路をまっすぐに進んでいくとじきにアーサー王の部屋に着くという。
 それにしてもこの組み合わせはいかなるものだろうか、とクレルムは今更ながら思う。一国の王女である自分と殺戮神さつりくしんとも言える円卓の騎士が二人。だが、クレルムは決して拘束されているわけではない。むしろ彼らと協力してあたりの様子をうかがっているくらいだ。

「誰もいねぇな〜」

 言葉遣いにまったく気を遣っていないらしいハスキーボイスを発したのは赤毛の女だった。

「みんな侵入者の相手してんだろうな。あんたのお仲間は大丈夫なのか?」
「大丈夫だと思います。私でさえも互角に戦えたほどですから」
「……あんた、ホントに王女なのか? 箱入りだと思ってたけど、強すぎだぜ」
「一応、戦闘訓練を受けてますので」

 本来なら王女たる自分が訓練など受ける必要はないのだが、いつか戦わなければならなくなるときが来たときのために、とクレルム自身が望んで受けたのである。結果的にそれは役に立った。円卓の騎士ガウェインの討伐に成功し、こちらは暗殺だがボールスまでもを倒している。

「おいベイリン! 行くぞ」

 ベディエルの呼びかけに、背後で辺りの様子を見回していた偉丈夫いじょうふ――ベイリンが振り返る。まだ若い顔は一つ頷いて、重々しいよろいの音を立てながらこちらに走ってきた。

「やっぱなんか作戦練っとかないとやばいかな」

 ベディエルは手の指を複雑に動かしながら言う。

「一筋縄じゃいかないぜ、あいつは。三人いたって無理がある」

 あいつ、というのはこの先にいる最凶の円卓の騎士のことだろう。アーサー王のことを元々毛嫌いしているベディエルの顔はもちろん愉快ではない。

「古代魔法さえ使えなきゃどうにでもなるのに」
「詠唱させなければ大丈夫ではないでしょうか?」
「ああ、そっか。シールド装置も壊したから守りながらの詠唱ができねぇんだった。つまり、詠唱する暇さえ与えなきゃいいわけだ」
「そういうことです」
「じゃあ、行こうぜ」
「――どこへ行くのかね?」

 男のバスボイスはもちろんクレルムのものではない。また、背後にじっと佇んでいたベイリンのものでもなかった。その更に後ろ、一つ目の曲がり角から二人の男が訝しげな表情で歩いてくる。いずれにしても大柄で、若くも年老いているわけでもなさそうだ。

「こいつをアーサー王のところに連れてくんだ」

 咄嗟とっさにベディエルがクレルムの腕を掴んでもっともらしい理由を述べる。男たちは疑う様子もなくそうか、と素っ気のない返事を返した。

「あの方もついに行動に出られるのか」

 一方の男――短い金髪に禁欲的な体つき巨漢は、これから何か面白いことが始まるかのような調子で言う。

「早く連れて行け。楽しみは後にとっておきたくない」

 はいはい、とベディエルは適当に返事をして歩き出す。
 どうやら上手くごまかせたらしい。――足を踏み込む音がしたのはそのときだった。
 もしも反射的に身をかがめていなければ、クレルムの身体は飛んできた幾数ものナイフに八つ裂きにされていただろう。頭上を通り過ぎたナイフは通路の奥へと姿を消した。

「何すんだよ!?」

 クレルム同様、あと少しで八つ裂きにされるところだったベディエルはいきなりの暴挙に憤怒を散らす。

「残念だがベディエル、君が裏切ったことくらい知っているんだ」

 肩くらいまでオレンジブラウンの髪を伸ばした男は心底残念そうに真実を口にした。

「今から王女と協力してあの方を倒すのだろう?」
「…………そうだけど?」

 では、とオレンジブラウンの髪の男は腰に納めていた剣を抜く。

「ならばお前らをらなければならん。そして、ベイリンも」








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