八章 失った悲しみ
夜の闇に白い輝きが出現したのは竜巻が今にも市街地を飲み込もうとしていたときだった。
帯のような光は、地上から螺旋を描きながら竜巻に伸びていく。やがてそれは竜巻に飲み込まれ、闇色だった地獄の渦を白光に転じた。
その様子はまさに、大地の怒りが天使の微笑みに変わったようである。
あれほど猛威を振るっていた竜巻は白い光に打ち消され、暗黒に曇っていた空もいつもの綺麗な星空に戻っていた。
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「“無の剣”――どうやら究極の兵器が救ってくれたらしい」
「どうやらシスター・ユウナは私たちが想像していたとおりのお方のようですね」
セルク城の玉座の間は集まった官吏や貴族の熱い拍手に包まれていた。これからデルヘン市に直撃しようとしていた“殺戮の風”が完全に消滅したからである。
もしもあのままデルヘンに直撃していたら、建物に被害は出ずとも、衝撃忍耐システムの搭載されていない電車や飛空艇などの交通機関に支障が出たところだろう。そうなれば市民も混乱するだろうし、空港が潰れてしまえば外国との貿易にも影響が出てしまう。
そんな喜ばしくない事態について策を練っていたときの、非常に喜ばしい出来事だった。
「“無の剣”はすべての魔法を無効にさせる古代魔法。その中でもレベルが高い。おそらくこの世でそれを使えるのはアーサー王と究極の兵器だけだろうねえ」
優雅にパイプを吸いながら、セルク王は隣の美女を盗み見た。
「ええ。シスター・ユウナが唱えてくださったに違いありませんわ。あの方はこの国を――いえ、この世界を守ってくださる唯一の存在。本当に喜ばしいことですわ」
そんな視線に気づいていながらも完全に無視した美女――王妃は、卑しき事態を打開してくれたであろう人物についての感心を述べる。
「しかし、喜んでもいられないわけだ」
「ええ」
二人は向こうのほうで手を取り合って喜ぶ貴族たちをなんとなく見た。
「円卓の騎士アーサー王の“力”が復活してしまったようだからねえ。“殺戮の風”なんていう強大な古代魔法を使えるのは彼と究極の兵器のみ。それも破壊に利用したとなると犯人は絞れるわけだ」
まるで優秀な探偵のような気障ったらしさでセルク王は語る。
「力が復活してしまったからには、彼はこの世界を滅ぼすために様々な攻撃を仕掛けてくるだろう。“殺戮の風”はその序章にすぎないさ」
「そうですね。この世界は再び恐怖に支配されようとしている――」
「主上、市役所及び近隣の街の役場等から被害報告がありました」
気象庁の制服――ネイビーブルーの軍服めいたブレザーを着た男が落ち着き払った態度で二人の前に現れた。
「死者〇名。行方不明者五十四名。行方不明者のほとんどは逃げ遅れた末に竜巻に飲み込まれてしまったと思われます。その他の被害は、港に停泊していた船の損壊。看板や標識などの消失。市内の教会が全壊した等受けております。農作物やその教会以外の建造物に被害はありませんでした。尚、死者と行方不明者の数は今後増えると予測されます」
男の説明は抜けもなくば無駄なところもなかった。だが、セルク王はその男の説明に感心してはいない。説明の中の一つに気を取られていて、説明の素晴らしさ自体に気づかなかったのだ。
「市内の教会といえば、聖マーチャーシュ教会だけだよねえ? シスター・ユウナやその他の教会に勤めている人たちは無事なのかい?」
「シスター・デリアとシスター・エステルは近くの建物に非難していて無事でしたが、司教とシスター・ユウナについては確認が取れておりません」
「そうか……」
今この状況でシスター・ユウナを失うのは非常に拙い。何せ彼女はこの世で唯一の円卓の騎士に及ぶ力の持ち主なのだから。もちろん他の行方不明者や司教も生きてほしい、とセルク王は思う。死者が出ないことが何よりの願いだった。
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小波が一定のリズムで打ち寄せている。遠くのほうでウミネコが鳴いていた。
昨日の竜巻が嘘のように、今日は当たり前の日常が展開されている。にも関わらず海岸に集まった人々の顔は黄昏していた。何かを惜しむような、悲しみと寂しさをない交ぜにしたような、浮かない顔ばかりがそこにある。
昨夜、突如として発生した巨大な竜巻は場所によっては大きな被害をもたらした。港に停泊していた船はどこかへ飛ばされ、山の木々は根こそぎ倒されてしまっている。それでも市街地の住居やビルに被害がなかったのは、衝撃忍耐システムのおかげだろう。
犠牲者五十名。行方不明者四名。あれほどの凄まじい勢力を持った竜巻でこの数は、少ないと言えるだろう。
海岸では犠牲者の葬儀が行われていた。集まった人々の様子が沈鬱なのはそれのせいである。
「――ユウナ……」
一つの棺の前にぼうっと遠くを眺めているシスター――ユウナもまた、大切な人を亡くした者の一人だった。
「私が……殺した」
左右違った色の目には暗い色が灯っている。
「悪いのはユウナじゃないわ」
金髪の美女が、独白する尼僧の頭を頭巾の上から撫でた。
「エステルも泣かないで。ブレイルだって、泣いてほしいなんて思ってないわよ」
赤毛の尼僧――エステルは先ほどから泣いてばかりで一向に顔を上げようとしない。
彼女らが亡くしたのは自分たちのリーダーであり、父に等しき存在だった。ユウナとは事実上たった二日の付き合いしかなかったが、本当の父とそっくりな人物だったために父を亡くしたのと変わらぬ悲しみを感じていた。
エステルに至っては物心つかぬ頃から世話になっていたから、ブレイルが父であるのと変わらない。
デリアにとっては聖職者のよき先輩であり、よき友人でもあった。
そんな掛け替えのない存在がこうも早くに失われるなど、誰が予想していただろうか? いつか永遠の別れが来るとは分かっているが、まさかこんな形で訪れるとは思ってもみなかっただろう。
ユウナは深い悲しみとともに大きな後悔を感じていた。昨日、竜巻発生の市内放送が流れたあと、自分がもっと早く荷造りをしていればブレイルは死なずに済んだかもしれない、と。
「ごめんなさい……」
昨日、あんなに泣いたはずなのに、ユウナの涙が枯れることはなかった。父の顔を思い出すたびに悲しみがせり上げてくる。
「――いい加減にしなさい!」
突然、この場の雰囲気におおよそそぐわない怒声を発したのは、先ほどまでユウナとエステルを慰めていたはずのデリアだった。その威勢の凄まじさは、ユウナの涙が一瞬にして止め、伏せこんでいたエステルの顔を上げさせ、式の参列者を注目させるほどのものだった。
「いつまでそうやってくよくよしているつもりなの? 悲しいのはよく分かるわ。私だって泣きたいくらい悲しいもの! でもねえ、どんなに泣いたってブレイルは生き返ったりしないの!」
その美貌は憤怒に染まっているのに、デリアの碧眼からは透明な雫が滴り落ちていた。
「後悔なんてしたって無駄なのよ。だってもうブレイルは死んでしまったんだから。それよりも、今は自分の将来について考えるべきよ。教会だってないんだし」
「デリアさん……」
竜巻のせいで全壊してしまった教会は、今日からさっそく復興作業が始まるらしい。今度は前の教会より大きなものを造るという。もちろん、今度は衝撃忍耐システムも備え付けられる。
完成するまでは約四ヶ月かかるらしい。それまでユウナたちは聖職を離れなければならなかった。
そうこうしている間に棺が海に沈められるときが来た。ユウナたちと棺はかろうじて残っていた小型の船に乗せられ、沖のほうへと移動する。
棺の小窓から覗ける父――ブレイルの顔は、痛々しい最期を遂げたにも関わらず穏やかな表情をしていた。
「ありがとう――さようなら」
もう二度と目覚めないであろう人の頬にユウナは触れる。――熱を持っていないはずの肌がなんとなく温かい気がした。
「主よ、彼に永遠の安寧を――エィメン」
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「――復讐は何も生まないってとある神父さんが言っていたよ」
辺りは夜の闇に包まれ、夜空は星の宝石を身にまとっていた。城下に広がる湖が月光を受けて幻想的な輝きを放っている。
テラスに出て夜の世界を眺めている男の髪もまた、鋼色に煌いていた。
「何かを生もうとして復讐するやつなんかいねえよ」
沈んだ声色で反論するのは、部屋のソファに横になっていた、少年とも青年とも比喩できる茶髪の男である。
「復讐ってのは自分の心に空いた穴を埋めるためにするんだ」
「結局のところ人殺しとなんら変わりないのにね」
テラスの男――テュールは優しく、だが確実に釘を刺して、振り返った。
「円卓の騎士に友を奪われた男の復讐劇……あまり人にはお勧めできないな〜。それよりも王子と、王の側近たる召喚士の恋愛物語のほうが楽しそうだ」
テュールは軽い冗談のつもりで言ったが、茶髪の男――クルドは本気で嫌悪するようにえへらと笑う召喚士を睨む。
「そんなに拒まなくてもいいのに。――で、君は結局のところ誰のために戦うんだい? 旧友? 世界の人たちのため?」
「それもあるけど一番は自分のため、かな。逃げ出したくねえんだ。今目に見えているものから」
なるほどね、とテュールは長くもない髪を手ぐしで整える。
「それが君の出した答えなら、それでいいさ」
「お前は戦わねえのか?」
「もちろん私も戦うよ。でも私たちがいなくても、彼女は一人でやり遂げられるかもしれない」
“彼女”という言葉にクルドは少し反応した。
「なんと言っても彼女は私の愛人だからね★」
「へぇ〜、愛人だったのか。じゃあ本命はどいつだ?」
テラスの召喚士は部屋の中に入ってくると、図々しくも繰るどの隣に腰掛ける。しかも肩に手を回してくるや、身体を密着させてきた。
「本命はもちろん君さ★」
「わあ莫迦! やめろ! くっつくな!」
クルドは必死に変態を押し剥がそうとするが、変態の力は思った以上に強くてビクともしない。
「誰も見てないんだからそんなに恥ずかしがることないさ。さあ、私とともに男同士の愛の世界へ★」
「どこ触ってんだっ!」
気がつけばクルドは押し倒されてしまっていて、しかも覆いかぶさった変態の手がクルド自身をグリグリと弄り回していた。
「わっ……そんなところ……っ……」
痛いような、気持ちいいような感覚が股間から全身に伝う。もし相手がこの男でなく美女だとしたら、抵抗もせずに大人しくやられていたことだろう。しかし気持ちいいとはいえ、ゲイでもなんでもないクルドにとって男同士で事を進めてしまうのには大きな抵抗があった。
しかし黒髪の変態は一向に放そうとしない。クルドの腕を抑えつけて身動きが取れないように自分の体重をかけている。
「お、お前本気か!?」
「これが冗談に見えるかい?」
にやにやと口元を綻ばせている様は冗談めいているが、腕を抑えつけている力は本気だ。
「どうするクルド? 助けを呼ぶかい? でもそんなことするとこのあられもない姿が見られちゃうね」
「くっそ……」
この状況は誤解を招くに十分な怪しさだ。もしも王子がゲイだなどという噂が広まれば、クルドは周囲から冷たい目で見られることだろう。それを考えると自然、助けを呼ぶことが躊躇われた。
「君は私に食べられちゃうしかないんだよ。大丈夫、優しくするから」
「やめろーっ!」
――夜空に輝く月は、二人の愛の行方を見守っていた。
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