02. 思わぬ再会 木吉がいないというだけで、晴れやかなはずの休日も少し寂れたものに感じられてしまう。だからと言って家に閉じこもっているのももったいない気がして、若松は一人喧騒の漂う街中へと繰り出した。――そしてすぐに出かけたことを後悔した。 (どっせーい! なんでカップルばっかなんだよ!?) 周りを見渡せば、腕を組んで歩く男女の姿が多い。木吉と一緒にいるときはまったく気にしないのだが、一人でそんな空間にいると、なんだか自分だけひどく寂しい人間に思えてきてしまう。 (と、とりあえずそこの店に入るか……) 逃げ込むように入ったのは、大型のスポーツ用品店だ。バスケ関係の用品はもちろんのこと、その他のスポーツ全般の品ぞろえがいい店で、若松もこの辺りに引っ越してきて以来ずっと愛用している。 (そう言えばそろそろシューズ買い替えねえといけねえな) 若松のような大柄な体の持ち主に合うサイズのバスケットシューズは、普通ならなかなか店頭に置かれていないのだが、この店では当たり前のようにそのサイズのシューズが多種に渡って揃えられている。無論、ネット通販で買えないこともないのだが、やはり実物を見て選びたい若松は非常に助かっていた。 「――何かお探しですか、お客さま?」 シューズ売り場はどこだったかと辺りを見回していると、ふいに店員に声をかけられた。 「ああ、シューズ売り場ってどこに……」 その店員の声がどこか聞き覚えのあるものだと気づいて、訊きかけた言葉が喉の奥に引っ込む。 (まさか……そんなわけねえよな?) 最後にその声を聞いたのは、高校の卒業式の日だった。なんとなく上ってみた屋上の一角に“彼”は寝そべっていて、もしかしたら顔を合わせるのも最後かもしれないからと、若松から声をかけた。 いつもは互いに口を開けば言い争いをしていたのに、そのときの彼は不思議と穏やかで、なかなか成立することのなかった会話が上手く噛み合って、いろんな話をできた。それが嬉しかった半面、最後だから気を遣われたのかと少し切なくなった覚えがある。 『若松サン……その、いろいろサンキューな』 別れ際に彼が放ったその一言が、いまもしっかり胸に残っている。耳にした瞬間は、別れを実感させられて思わず涙が出そうになったが、なんとか堪えて屋上を後にした。 あれから五年の月日が流れ、その声がいま再び若松の鼓膜を震わせた。 期待を込めて振り向いた先には、若松の想像していたとおりの男が立っていた。背丈は若松と同じくらいの巨漢で、同じ高さにある顔は冬だというのに健康的な小麦色をしている。 特徴的な青い髪は最後に見たときよりも少し短くなっており、全体的に梳いて量を減らしたのか、ずいぶんと爽やかになった印象を受けた。 「青……峰……っ!?」 そうして若松はかつての後輩の名前を――初恋の男の名前を口にした。 「よお、若松サン。久しぶり」 相変わらずの男臭くて端正な顔立ちが、へらりと笑って挨拶をする。その笑顔を見た瞬間、高校時代に彼に対して抱いていた気持ちが、どうしようもないくらいに心を掴まれていた感覚が、若松の胸に甦ってくる。 「おまえ、いまアメリカにいるんじゃ!?」 動転する頭の中から、当たり前の質問を弾き出した。 「あん? この間シーズン終わったから帰ってきたんだよ。あっちにいたってすることねえしな。つっても日本にいたって同じだけど。暇だからぶらついてたら、ちょうど若松サンを見かけたってわけ。若松サンこそこんなところで、一人で寂しく何してんだよ? 友達いねえのか?」 「おまえと一緒にすんな! オレも暇だから適当にぶらぶらしてたとこ。あと、シューズがそろそろ駄目になりそうだから買い換えようかって思いついたとこだ」 思わぬ再会に鼓動は高鳴りっぱなしだ。それを悟られないよういつもの自分を演じながら、若松は青峰の問いに答えを返した。 「へえ。ちなみにシューズコーナーはあっちっぽいぜ」 「……サンキュー」 青峰の後ろをついて行きながら、自分の動作一つ一つが不自然になっていないか少し不安になる。まあ、大概は気のせいなのだが、相手が相手なだけに緊張してしまう。 「シューズ迷ってんなら俺が選んでやろうか? いままでいろいろ履いてきたから、どれがどういいかくらいはアドバイスできるぜ? つっても俺の感覚で言ってるから、若松サン履いたら少し違うかもしんねえけど」 「いや、頼むわ。俺そのへんいつも結構適当だったし、たまにはいいの買うことにする」 若松がそう言うと、青峰は嬉しそうにシューズを物色し始めた。 不思議な感覚だ。青峰と出会ったばかりの頃は、顔を合わせれば口喧嘩ばかりしていた。それがある敗戦をきっかけにめっきりとなくなったが、決して会話は多くなかったし、単なるチームメイトという枠から距離を詰めることはできなかった。それが五年の時を経てこうして並んでシューズを選んでいるなど、あの頃は想像すらできなかった光景だ。 一足一足履き心地を説明してくれる中、若松はその中で青峰が最も勧めるものにしようと思ったのだが、予算が足りず結局二番目にお勧めだというものを買うことにした。 「サンキューな」 「いいって。その代わりつったらなんだけど、ちょっと俺の買い物に付き合ってくんね?」 「いいけど、何買うんだ?」 「パンツ。あっちのはデザインいまいちなんだわ。履き心地も微妙だし」 そういうことなら任せろと、若松は近くのメンズ館に青峰を案内する。 休日の街を青峰と二人で歩く。青峰にはやましい気持ちなど欠片もないのだろうが、若松のほうはやはり特別なことをしているように感じてしまう。 隣を歩きながら、うっかり手を繋ぎたい衝動に駆られた。もちろんそれを実行に移すことはできないが、せめて偶然を装って触れさせたくて、そっと手を伸ばし――あと数センチのところで手を引っ込めた。 (何馬鹿なことやってんだ、オレ……) 手を引っ込めたのは、決して勇気がなかったからではない。頭の中にちらつく顔があったからだ。 (そうだ。オレには鉄平がいる……) あの笑顔を、誠実でいてくれる彼を裏切るわけにはいかない。いや、こうして青峰に対して胸を高鳴らせている時点でそれはすで裏切りなのかもしれないと、若松は密かに罪悪感を抱き始めていた。 (それでも、いまは一緒にいたい……) 青峰と買い物をする機会など、もう二度とないかもしれない。ならばせめて今日だけは、高校時代に叶えられなかった夢を満喫してもいいのではないか。 そもそもやましいことをしているわけではないし、青峰とどうこうなることもないだろう。ただの先輩・後輩という枠から少しもはみ出したことをしていないいま、木吉に対して申し訳なく思う必要などないはずだ。それに青峰に対するこの溢れんばかりの気持ちも、今日別れたあとは川の中に沈む小石のように、ちっぽけなものになり下がるだろう。――この五年間そうであったように。 「――見てみて、若松サン」 青峰に呼ばれ、若松はふと現実に戻った。 「これ、若松サンに似合いそうじゃね?」 「どれどれ……って、それTバックじゃねえか!」 Tバックというか、紐と表現してもあながち間違いないような下着を手に提げ、青峰はゲラゲラと笑っている。 「おまえが履いてろよ!」 「いやいや、こういうのは色白なやつのほうが似合うんだよ。だから若松サン買えよ」 「やなこった!」 青峰の勧めだからと一瞬買いそうになったが、寸でのところで留まった。 「つまんねえな〜。じゃあ、俺に似合いそうなの探して」 「……ったく、なんでオレが」 と、文句を垂れながらも下着を物色し始めるのが若松である。 衣料店の下着コーナーと言えば、せいぜいフロアのごく一角という小さな規模で存在しているのが普通だろう。しかし、このメンズ館の下着コーナーはフロア丸々使っており、その分いろんなメーカーの下着が揃いに揃っている。 (青峰色黒だし、あんまし明るいのより落ち着いた感じのほうが似合いそうだな……。あと髪の色が青だし、ちょっと暗めの青がいいかも) いろいろと吟味しながら一枚の下着を選び出し、青峰の元へと戻ることにした。 「これはどうだ?」 「ん? なんかすげえエロくね? Tバックとそんな変わんねえじゃん」 「いや、ちゃんとケツのほうは覆われてるだろう。それにもうガキじゃねえんだから、こういうちょっときわどいのも持っておいたほうがいいぞ」 「ふ〜ん。じゃあ、それ買うわ。あとは適当に……」 青峰は自分で気に入ったらしいボクサーパンツを数枚買い物かごに入れ、レジに向かって行く。会計を終えて戻ってきたときには、なぜか一枚だけで済むはずの買い物袋を二枚持っていて、片方を若松に差し出してきた。 「これ、若松サンにやるよ。若松サンに似合いそうなの見つけたから。買い物付き合ってくれたお礼」 「い、いらねえよ! おまえシューズ選ぶの手伝ってくれたじゃん!」 逆にもらうのは悪い気がして若松は拒否しようとするが、青峰は強引に押しつけてくる。 「細けえことは気にすんな。この俺がやるつってんだから素直に受け取れよ」 「しょ、しょうがねえな〜。なら受け取ってやるよ。……………………サンキュー」 台詞の最後は口の中で呟くに留めて、若松は青峰の手から袋を受け取った。 嬉しい。どうしようもないくらい、嬉しい。落ち着いていたはずの鼓動が再び速まりだして、若松を浮き上がるような気持ちにさせる。 (どんなの選んでくれたんだ?) 青峰が自分のために選んでくれた下着。いったいどんなものだろうかと、袋を開けてみる。 「……って、これさっきのTバックじゃねえか!」 「ぶふっ! 絶対似合ってるって、若松サン!」 「若松サン、飯食いたい」 メンズ館を出て早々、青峰がそんなことを言い出した。 「そういえばもう昼飯時だな。どっか食いに行くか?」 「おう、行こうぜ。せっかくだから和食食いてえ」 「それなら美味いとこ知ってっけど、少し離れてっから車で行くか」 近くの駐車場に止めておいた自分の車に青峰と乗り込み、走り出す。 「結構いい車乗ってんじゃん」 「そりゃ、それなりの稼ぎがあるからな」 都会の喧騒を窓の外に見ながら、二人は互いに近況を語り合った。 青峰はアメリカでのバスケをそれなりに楽しんでいるらしく、あの選手がすごい、あの選手がなかなかやると、テレビの中でしか見たことのない外国人選手たちのプレイを語ってくれた。 自分と彼とでは、もう全然住む世界が違う。それをまざまざと感じさせられながらも、青峰がバスケを心の底から楽しんでいることにはひどく安心した。性格が丸くなったとは言え、高いプライドは健在のようだし、チームメイトたちと上手くいっていないのではないかと、若松は密かに心配していたのだ。 「なんかこの辺ラブホが多いな〜」 窓の外の景色はいつの間にかホテル街のそれに変わっている。まだ日中とあってさすがに寂れているが、夜にはそれは鮮やかな景色に変貌するのだと若松は知っている。 「結構車停まってんな〜。日曜の昼間っからどんだけ盛ってんだか」 「……オレらも行くか?」 それはなんとなく口から出た、ほんの冗談にすぎなかった。もちろん青峰と行きたいという気持ちは大いにあるが、本当に入るつもりなど欠片もなかった。しかし青峰の口から返ってきた言葉は―― 「いいぜ」 間髪入れずに肯定され、若松は一瞬驚いた。 「若松サンとだったら、入ってもいい」 青峰の声色にからかう気配はなく、いつもよりトーンダウンしていることから本気なのだと窺える。 「……それ本気で言ってんのか?」 「若松サンこそ本気で言ってんの? ジョークならそれはそれでいいけど、マジなら入ってもいいんだぜ?」 若松の心が震え上がる。それが驚きのせいなのか、それとも多大な期待が生まれたせいなのか、自分でも判断できずに息を詰まらせた。 「……ラ、ラブホが何するところかわかってんのか?」 「わかってるに決まってんだろ。ガキじゃねえんだから。エロエロでぐちょぐちょなことすんだろ?」 生々しい言葉の羅列に、若松の期待は膨らんでいく。 (青峰と……ヤれる。でもオレには……) あっさりと青峰の言葉を受け入れるには、どうしても無視できない存在がある。それが胸を締めつけてきて、急に苦しくなった。 (オレには鉄平がいる……) 人生をともに歩んでいくと決めた、最愛の人。青峰と身体を重ねるということは、木吉を本格的に裏切ることに他ならない。それが簡単にできてしまうほど木吉に対する気持ちは小さくないし、度胸もない。 (でも、青峰とヤれるチャンスなんてもうないかもしれない……) しかし、簡単に諦めきれないほどに青峰に対する気持ちも大きなものだ。 二人の“彼”が、若松の心を揺さぶる。叶えられなかった初恋と、幸せを掴むことのできた二度目の恋。切り捨てることのできない二つの想いがせめぎ合い、どうしたらいいのかわらかなくなる。 ふと青峰を見ると、彼は柔らかく微笑んだ。そしてその笑顔がすべてを決めた。 (鉄平、ごめん……) 大きな罪悪感を引きずりながらも若松はハンドルを切り、先の見えない暗闇へと突き進み始めた。 |