04. 罪悪の意識はそっと、ベッドの下に 「青峰のことずっと好きだったんだ」 シャワーを浴び、二人してベッドに横になりながら、若松はその台詞を口にするきっかけを探していた。探しているうちに無意識に声に出してしまっていたらしく、隣の青峰が驚いたような声を上げた。 「マジで!? 高校んとき俺に散々喧嘩売ってきたじゃねえか!」 「売ってねえよ! ちょっと声かけたらおまえが生意気なこと抜かすから、いつも会話が成り立たなかったんだろうが!」 けれど若松が引退間近になった頃、青峰の態度は少しだけ丸くなった。普段気遣いなど欠片も見せないくせに、別れを意識してくれているのがわかって嬉しく思ったのも、ついこの間のことのように思い出せる。 「でも、マジびっくり。若松サンが俺のこと好きなんてこれっぽっちも想像してなかったわ」 「オレだっておまえに惚れるなんて思ってなかったわ」 出会ったばかりの頃、若松は青峰に対してあまりいい印象を持っていなかった。態度がでかくて、生意気で、一生懸命に練習している他の部員たちを見ながら自分は悠々とサボるわがままな男。そんな男がバスケをしているときは誰にも負けないくらいに輝いていて、若松は純粋に憧れた。それが月日を重ねるごとに恋愛感情に変化していき、いつしか心の中は青峰でいっぱいになっていたのだ。 「もしかして、いまでも俺のこと好きなのか?」 「……まあ、それなりに」 今更隠す理由もないかと正直に吐露すれば、青峰は頭を押さえながら、珍しく困ったような顔をした。 「……わりぃ、若松サン。俺男とは付き合えねえわ」 静かに返ってきた言葉は、若松が予想していたとおりのものだった。けれど少しだけ、ほんの少しだけ何かを期待していたところもあって、言葉を受け入れるより先にショックを感じてしまう。 (でも、これでいいんだ) この一回は一生の思い出だ。長年拭うことのできなかった青峰に対する想いを伝えることができたし、これできっと、ようやくこの恋に終止符を打つことができる。そう思ったのに―― 「でも、セフレとしてだったら付き合っていってもいいぜ?」 そんな甘い誘惑が、若松の心を引き止めた。 「若松サンとやるの気持ちよかったし、気い遣う必要もねえからな。つっても、日本にいる間だけだけど」 「……じゃあ、それでいいや」 迷ったのは、ほんの一瞬のことだった。 これ以上の裏切りはきっと自分を苦しめるだけだとわかっている。しかし、一回やってしまったものは、もう何度やっても同じだろう。それにこの一回で終わってしまうのは、やはり寂しかった。 家に帰っても若松の興奮はなかなか冷めなかった。しかし、夜が近づくにつれてそれも落ち着いてきて、今度は別の感情に胸を支配される。 「――ただいま」 玄関からした声に、若松は思わずびくっとなる。 いつもならその声に安堵を覚えるはずなのに、今日はなぜだか焦燥感にも似た気持ちが湧き上った。彼の足音が近づいてくるたび、それはどんどん大きさを増してくる。 「ただいま、孝輔。一人で寂しくなかったか?」 開いたリビングのドアを振り返れば、何か大きな袋を下げた木吉が、邪気のない笑みを浮かべて立っている。 「お、お帰り……」 ずきずきと、胸が痛んだ。これは焦燥感なんかじゃないと、胸に取り巻く重苦しい感情の正体を理解して、若松はそれ以上木吉の顔を見ていられなくなった。 (俺は、こいつを……) 速まる鼓動に連動して、身体が少しだけ震える。 (俺はこいつを裏切ってしまった……) これは、罪悪感だ。 木吉を幸せにしてやると決めたのに。ずっと愛し続けると決めたのに。自分はいったい何をやっているのだろう? 何も知らない木吉の笑顔が、余計に胸に痛かった。自分がやってしまったことへの後悔と、木吉に対して申し訳なく思う気持ちが若松を苦しめる。だが――と、若松は今日青峰に出会ったときのことを思い出す。 あのとき、もしもこんなに罪悪を感じると知っていたとしても、きっと自分は同じことをしていただろう。それほどまでに青峰に対する恋心は若松の胸に強く根付いていて、簡単に引っこ抜けるようなものではなかったのだ。 「孝輔、どうした?」 ふと現実に戻ると、木吉が心配そうに若松の顔を覗き込んでいた。 「眉間に皺寄りっぱなしだし、なんか顔色も悪いぞ?」 「あ、ああ。ちょっと具合悪いんだ……。今日はもう寝る」 「大丈夫か? いるものあったら言えよ? 俺が持っていくから」 「サンキュー……」 気遣われるのも、目を合わせるのも、何もかもが辛い。決して木吉のことを嫌いになったわけではないし、むしろ大きな愛情を持っているはずなのに、いまは同じ空間にいることが堪えられなかった。 「――サン! 若松サン!」 青峰と二度目のセックス。バスケの練習を終えたあとということもあり、若松は事後に疲れて眠ってしまったらしい。青峰の自分を呼ぶ声に導かれて目覚め、枕元の携帯で時間を確認する。 「若松サン、寝てるときも眉間に皺が寄ってたぜ? そのうち消えなくなるんじゃねえの?」 「ほっとけ」 まだそれほど時間は経っていない。まだ、あの部屋には帰らなくていい。 青峰とはもう会うまいとも思っていた。これ以上過ちを犯せば、いま感じている以上に木吉と一緒にいることが辛くなるし、青峰からも離れることができなくなってしまう。けれど、またヤりたいという青峰からのメールを見た瞬間、その決意はいとも簡単に砕け散ってしまった。 「なあ、おまえって彼女とかいねえんだよな?」 「いねえよ? つーか、別にいらねえし」 「じゃあ、もしもの話だ。もしもおまえに長年付き合ってる彼女がいたとして、そいつとは別にめちゃくちゃ好きなやつがいるとする。ある日その好きなやつに再会して、セックスしねえかって誘われたら、おまえはどうする?」 こんなことを訊いてどうするのだ。意味のない質問だとわかっていても、若松はなんとなく青峰の意見を知りたかった。 「彼女いたことねえから、よくわかんねえけど……。たぶん、俺ならそいつとヤっちまうと思う。つーか男ってみんなそんなもんじゃねえの?」 「……どうだろうな」 しばらく青峰は何かを考えるように天井を見つめ、やがてその視線をふとこちらに向けてきた。 「もしかして、若松サンって彼女いんの? いや、あんたの場合は彼氏か」 一瞬木吉の顔が思い浮かび、途端に動悸が激しくなる。ヤっている最中は行為に夢中ですっかり忘れていた罪悪感が、呼んでもないのに戻ってきた。 「いるぜ。彼氏。もう三年くらい付き合ってる」 青峰に嘘をつく必要などないだろうと、若松は恋人のことを正直に話した。 「へえ。こうして浮気するってことは、そいつになんか不満でもあんのか?」 「不満、か……」 マンネリだと感じることは時々あるが、それでも木吉に対して不満などない。あんなに一生懸命に自分を愛してくれて、優しくしてくれる人間など、この世に二人といないだろう。 「不満なんてねえよ。ちゃんと満たされてんだ。それでも……」 浮気してしまうほどに青峰が好きなだけだ。青峰が台詞の続きを訊いてくるが、それは心中で呟くに留めて、若松は一人シャワールームに向かった。 「もしかして、また後輩と遊ぶのか? 最近多いな〜」 何度目かの青峰との密会に出かける直前、テレビを観ていた木吉に声をかけられた。 青峰と会うときは、高校時代の後輩と遊ぶといって家を出る。それはあながち間違いではないのだが、性的な遊びまでしていることは口が裂けてもいえない。 「そいつ最近失恋したみたいでさ。パーッと遊んで気を紛らわしてやってんだ」 いつから自分はこんなに、平然と嘘を吐けるようになったのだろう。そうやって自分を窘める半面で、どこまで落ちぶれようがきっとこれはやめられないと、諦めにも似た気持ちが胸にある。 「たまには俺とも遊んでくれよな」 「じゃあ、明日練習終わったらどっか出かけようぜ? 行きたいとこあったらピックアップしといてくれよ」 「わかった。気をつけて行って来いよ」 「おう」 まさかこのあと若松が他人に抱かれるなんて、木吉は想像もしていないだろう。そんな笑顔で見送られ、若松は罪悪の意識を引きずりながら、リビングのドアをそっと閉めた。 (ごめん、鉄平……) 一人部屋に残された木吉は、しばらくの間閉まったドアを見つめていた。その顔に、先ほどまでの柔らかい笑みはない。普段の彼からはとても想像ができないような、とても冷たい瞳がじっと、ただじっと若松の出て行ったほうを見ている。 そして木吉はゆっくりと、ソファーから立ち上がった。 |