06. 癒えない傷


 玄関のドアが閉まる音がして、部屋の中に再び静寂が訪れる。
 一人取り残された若松は、リビングのソファーに倒れ込んだ。
 木吉のあとを追おうと思わなかったわけではない。ただ、追ったところで彼にかける言葉など持ち合わせていないと気づいて、動くことができなかった。それに青峰を捨て切れないのなら、木吉と付き合っていくことなどやはりできない。それは木吉にとっても、若松自身にとっても辛い選択だ。
 これで何も気にせず青峰との関係を続けられる――などという軽い気持ちは湧いてこなかった。木吉に対してそれなりの愛情を持っていたのだ。別れを辛く感じないわけがない。

(駄目だ……考えるな)

 もう、終わってしまったことだ。悔やんだところで簡単に修復できるようなことではない。だからもう、うだうだと考えるのはやめにしよう。



「なんか元気ねえな」

 ホテルに入って早々、青峰が神妙な面持ちで訊ねてきた。

「なんかあったのか?」
「別になんもねえよ」
「なんもねえって面じゃねえだろ? もっとまともな面しろよ。勃つもんも勃たねえじゃん」

 そういいながら青峰は、ジャケットを脱いだばかりの若松の背中に抱きついてくる。そのまま服の裾から両手が侵入してきて、指先が乳首を擦った。

「あっ……」

 思わず甘ったるいような声が漏れてしまう。

「いいねえ、その声。俺、若松サンの喘ぎ声マジで好きなんだけど」

 乳首を弄ってないほうの手は、ズボンの中に入って下着の上から若松の性器をまさぐった。たちまちそこは容積を増し、不自然な盛り上がりが股間部分にできてしまう。
 すると青峰は若松のズボンのベルトを外し、ファスナーを下ろすとするりと膝下までずり下げた。

「あれ、これ俺がこの間買ってやったパンツじゃん」

 青峰との再会を果たしたあの日、彼をメンズ下着の店に案内してやった礼としてこの下着を買ってもらった。Tバックタイプの、ギリギリなんとか下着としての機能を果たしているような際どいもので、さすがに家では木吉になんといわれるかわからないので使うのを自重していた。けれど木吉が出て行ったいま、もう誰の目も気にする必要もなくなって、ようやく履くに至ったのだ。

「すげえ。ケツ丸見えじゃん。前もチンコはみ出そうだな」

 尻を掴まれ、身体がぞくりと総毛立つ。しばらくその感触を楽しむかのように揉みしだかれたあと、指が尻の谷間を優しく押してきた。

「さ、先に風呂入らせろよ」
「ああん? 別に今日くらい身体洗わなくてもいいだろ?」
「いや、絶対入ってからヤる」
「……ったく、しょうがねえな。じゃあ、たまには一緒に入るか」

 そういえばいままで二人で風呂に入ったことはなかったと、青峰に誘われて思い出す。あれだけセックスをして恥ずかしいところを余すことなく見られたというのに、ただ一緒に風呂に入るというだけのことが、なぜだか恥ずかしく感じられた。
 それぞれ着ているものをすべて脱ぎ、少し肌寒い浴室に入る。まだ浴槽に湯を張ってなかったので、貯まるまでシャワーで身体を洗うことにした。

「若松サン、俺が身体洗ってやるよ」

 断る隙もなく青峰の手が触れてきて、若松は諾々とそれに従う。
 よく泡立てられたボディーソープが、腕、肩と、以外にも丁寧に塗り広げられ、今度は胸板を洗う。そのとき明らかに意図的に指先が乳首の上を滑り、思わず身体がびくりと反応してしまった。

「こら、エロガキ!」
「へへっ。感じるほうがエロガキだろ」

 空いたほうの手が、さっきのようにまた股間をまさぐり始める。今度は守ってくれるズボンも下着もないため、半勃ちになったそこを直に握られた。
 ボディーソープが潤滑剤の代わりとなって、滑らかに亀頭を扱かれる。完全に勃起するまでそれほど時間はかからなかった。

「どうだ? 気持ちいいかよ?」

 若松はあえて返事をしない。こんなに硬くなったそこを握っていれば、わざわざ訊かずとも感じていることくらいわかっているだろう。素直に認めてやるのがなんだか悔しかった。

「なあ、俺のもやってくれよ。すげえよさそうだから」

 青峰のそこも、いつの間にか硬く張り詰めていた。若松は自分の腕についた泡をすくい取ると、浅黒い先端をこねくり回す。

「くっ……結構気持ちいいな。これだけでも十分イケそう」

 青峰は若松に身体をもたれさせ、耳元に熱い吐息を吹きかける。身体の力が抜けて思わず青峰の身体にしがみつくと、今度は唇に優しくキスをされた。
 互いのモノを扱く手を止め、きつく抱き合う。腰を密着させると高ぶったモノ同士が触れ合い、興奮はより高まっていく。そんな中、青峰の指が前触れもなく若松の後ろの穴に触れ、入り口をこじ開けようとしてきた。

「おい、そこはまだ……」
「ああん? 別にいいだろ? 中を洗える上に解せて一石二鳥じゃねえか」

 確かにそうだけど、と拒否を試みるのだが、青峰の指は容赦なく若松の中に押し入ってきた。内襞を押し広げるようにしながら奥へ奥へと進行してくるそれは、やがてある一点を集中的に突いてくる。

「あっ!」

 途端にじんじんと性器が反応し出して、若松の口から淫らな声が零れた。
 回数を重ねただけあって、さすがに青峰も若松の感じるところがわかってきたらしい。しつこくそこを責められ、このまま指だけで達してしまうのではないかと、期待と不安をない交ぜにした気持ちで中をかき乱される感覚を味わっていた。するとその指が急に引き抜かれ、熱を持ち始めたそこが急速に冷めていくのを感じた。

「壁に手つけよ」

 青峰が何をするのかはすぐにわかった。中で蠢くものがなくなり、虚無感さえもあるそこを早く埋めてほしくて、若松はいわれたとおりに壁に手をつき、いやらしく尻を突き出す。
 熱い塊が、そこに押し当てられる感触がした。そのまま意外なほどすんなりと青峰のモノを受け入れ、感じていた虚無感が一気に熱へと転じる。

「相変わらず気持ちいいな〜、若松さんのケツ」

 最初は中の感触を確かめるようにゆっくりと動かし、ひとしきりすると律動が始まる。
 始めから容赦のない激しいピストンだった。それでも上手く解れていたのか、痛みは欠片も感じない。感じるのは若松の中で暴れる青峰の質量と、それが与える、頭が痺れるような快感だ。

「あっ! あっ、あっ」

 浴室のせいで自分の喘ぎ声が反響する。こんなにもいやらしい声を出しているのかと改めて気づかされたが、青峰に奥を突かれるたび、どうしても喉からそれが零れてしまう。

「すげえビンビンになってんじゃん。そんなに俺のチンコが気持ちいいかよ?」
「うっせー……あっ!」

 青峰のいったとおり、若松の性器は腹まで反り返っている。しかも先端からは先走りが涎のように糸を引いており、自身の身体がいかにいやらしいかを物語っていた。
 五分もしないうちに若松は後ろだけでイってしまいそうになった。一方の青峰も、そろそろイきそうだと小さく呟く。

「一回中に出すぞ」

 生々しい台詞が青峰の口から飛び出したあと、先に果てたのは若松のほうだった。その半瞬あとに青峰も律動を止め、白濁を中に注ぎ込まれた。



 青峰は意外にも甘えるほうが好きなようで、二回戦が終わってから若松の身体に縋りつくようにして眠っている。
 彼とのセックスで若松の身体は確実に満たされていた。けれど心まで同じように満たされているかというと、そうではない。
 青峰とはもうこれ以上のことがない。それは以前からわかっていたことではあるが、木吉と別れてからというものの、なぜだか強く意識するようになった。
 明るい未来など待ってはいない。若松が選んだ道の先には真っ暗な闇があるだけで、何一つ期待などできなかった。それを思うとひどく空虚な気持ちになってしまうのだった。



「ただいま」

 空虚なのは、決して心の中だけではない。家に帰っても出迎えてくれる人はおらず、幸せに満ち溢れていたはずの空間は、いまやただの物置のようだった。
 電気を点けて、ソファーに座って、ただぼうっとテレビを眺める。
 自分にとって最良の選択をしたはずだった。けれど実際に木吉と別れてみると、こんなにも寂しくて辛い。心にぽっかりと穴が空いたようで、それは青峰と身体を重ねたところで少しも埋まることはなかった。

(でも、大丈夫だ。時間が解決してくれる……)

 いまはあれからまだ一週間しか経っていない。もっと時間が経てば、きっと自分の中のこのどうしようもできない感情を消化できるはずだ。そう思う半面で、実際は永遠に自分の中から消えないのではないかと、不安に思うこともある。
 テレビのそばには、いつの日か木吉と二人で撮った写真が飾られていた。確かあれは付き合い始めて間もない頃だった。ガラスの中の幸せな瞬間――こんな結末を迎えるなんて、あのときの二人は欠片も思っていなかっただろう。

 ふと思い出したのは、入社式で木吉と再会したときのことだった。








■続く……■





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