08. 繋がる想い


 クラブの更衣室に入ってきた木吉を見て、若松は思わず目を瞠った。

「鉄平、その髪……」
「ああ、思い切って短髪にしてみたんだ。やっぱり変か?」
「いや……かなり似合ってると思うぜ」

 元々木吉の髪は耳がやや隠れるくらいの長さで、それはこの一年間ほとんど変わらなかった。高校時代もだいたい同じくらいの長さだったし、こんなに短くしたのを見るのは初めてである。

「よかった〜。短髪にするなんて何年ぶりだろうな〜」

 いつもと同じ穏やかな微笑みを浮かべ、木吉は自分のロッカーを開ける。しかし、若松のほうはいつもと同じ心情ではなかった。

(なんか……やべえ)

 いままでは髪の毛にカモフラージュされて気づかなかったが、木吉の顔は男らしくて端整だ。そしてどうしようもないくらいに若松の好みに当てはまっている。
 この胸が熱くて、どうしようもないくらいに心を掴まれてしまう感覚――これは高校時代にとある後輩に対して抱いたものと同じではないか。
 なんで今更、と若松は自分の心情の急変に驚いた。しかもたかが髪型を変えただけで心を掴まれてしまうなんて、軽いにもほどがある。

「孝輔、どうした? 俺のほうじっと見て」

 無意識のうちに、着替えの手も止めてぼうっと木吉を眺めていたらしい。心配する木吉に大丈夫といって、すぐに着替えを再開した。
 上も下も運動できる格好になり、シューズを履こうとベンチに腰かけたそのとき、木吉が服を脱ごうとしているのが目に入った。
 普段なら気にもしないのに、今日はなぜだか釘付けになってしまう。
露になった木吉の身体は見事な逆三角形をつくっていた。きっかりと描かれたような腹筋に、逞しい二の腕。いままでも何度か目にしたことがあるはずなのに、初めて彼の身体に胸が高鳴る。

「孝輔?」

 木吉が若松の視線に気づいて、目と目が合う。その瞬間、若松の心臓は音がしそうなほどに激しく脈打ったが、なんとかごまかそうと軽い笑みをつくった。
 顔は赤くなっていないだろうか? 密かに欲情していたのが表情に出てないだろうか? 心配になりながらも、若松はシューズを履く作業に戻るのだった。



 男らしく整った顔立ちに、少し天然なところはあるが基本的には穏やかで他人思いな性格。それが木吉鉄平という男だった。
 よく考えれば、木吉は他に類を見ないほど条件のいい男である。それこそいままで恋愛感情どころか性的な欲求すら湧かなかったのが不思議なくらいに。
 一度その魅力に気づいてしまうと、もうどうしようもないくらいに彼に惹きこまれていった。練習中も彼のことが気になって、つい目で追ってしまう。時折目が合うと木吉はふわりと笑顔を見せてきて、それを見た若松は自分が卒倒してしまうのではないかと割と本気で心配になることもあった。
 けれどこんなに木吉のことを好きでも、きっと見ているだけで終わるのだろうと、実らなかった初恋を思い出してげんなりする。
 いくら木吉が優しいとはいえ、若松の恋心を受け入れてくれるほど心が広いわけではないだろう。この先きっと彼には女の恋人ができて、若松の手の届かないところに行ってしまう。
 焦燥感が生まれるが、若松にはどうしようもないことだ。どう足掻いたって手に入らないものは入らない。諦めなければならないものは、諦めなければならない。

 ――そう思っていたのに、事態は思わぬ方向へと転がっていく。



「最近よく目が合うな」

 厳しい練習を終え、二人並んで帰る途中に木吉がポツリと呟いた。

「お、おまえのプレイを参考にしてただけだよ」
「そうなのか?」
「そうだよ」

 もちろん本心を打ち明けるわけにはいかず、最もらしい嘘をついてその場を凌ぐ。

「つーか、目が合うってことは鉄平も俺のほう見てたってことだろ?」
「うん、見てたよ。見ながら孝輔カッコイイな〜って思ってた」
「……馬鹿っ」

 木吉がお世辞ではそんなことをいわないと知っているせいで、なんだか嬉しくて顔がにやけてしまう。もちろん木吉には、若松が彼に対して抱いているような感情はないのだろうが、それでも自分を見てくれていたことが嬉しい。

「孝輔も俺のこと見ながら、同じこと考えてたら嬉しいなって思ってたよ」
「……まあ、鉄平のことはカッコイイって思うよ。その髪も似合ってるし」
「それだけか?」
「そ、それだけだよ。他に何があるってんだ?」

 そっか、と前を向いた木吉の顔は心なしか残念そうに見えた。若松は木吉の意図がわからず首を傾げ、けれど追求はせずに黙って隣を歩く。

「孝輔はいままで人を好きになったことあるのか?」
「そりゃ、この歳にもなればあるだろう、普通」

 訊かれて思い出したのは、高校時代に熱烈に恋をした一つ下の後輩のことだった。想いを伝えることもできぬまま幕を閉じた初恋。いまも彼と話したことや自分に見せた彼のいろんな表情が心に焼きついている。

「鉄平はどうなんだ?」
「う〜ん……たぶん、ないんだと思う。だから人を好きになるっていう感覚がどんなものなのかイマイチわからないんだ」

 けど、と木吉は困ったような笑みを若松に向ける。

「最近、孝輔のことばっか考えてしまうんだ。これが好きって感覚なら、たぶん俺は孝輔のことを好きなんだと思う」

 木吉の声はまるで世間話でもするかのような調子だった。けれど内容はとても世間話では済まないようなことだと、若松は少し遅れて気がついた。思わず立ち止まり、同じ高さにある木吉の顔をまじまじと見返す。

「何、いってんだよ……?」

 あまりにも突然すぎて、現実がまるで嘘のように感じられた。
けれど木吉は嘘をつくような人間ではない。

「孝輔を見てると、すごくドキドキする。こうやって触ったりもしたくなるんだ」

 そういって木吉は両腕を優しく握ってきた。

「他のやつと話しているのを見ると、なんだか妬けてくる。帰りに別れるとき、すごく寂しく感じる。これって孝輔のこと好きってことじゃないのか?」

 自分と同じだ、と若松は思った。いま木吉が口にしたことを、若松も常日頃木吉に対して思っている。同じ気持ちということは、つまり木吉も若松に対して恋愛感情を持っているということではないか。
 しかし、すぐには信じられなかった。木吉が若松のことを好きだなんてまったく予期していなかったし、そんなそぶりも見られなかった。何よりただの勘違いなのだとしたら、いろいろと期待してしまった分、落胆も大きなものになってしまうだろう。

「……じゃあ、俺とキスできんのかよ?」

 ただちゃんと確認はしておきたい。このままうやむやにしてしまうのはきっと、自分にとっても木吉にとってもよくないことだ。

「できるぞ」

 間髪入れずに返ってきた返答に、若松の胸は高鳴る。そっと顔を上げれば、木吉の顔はいつになく真剣な色を浮かべていて、大きな両手が若松の肩をがっちりと掴んだ。

「キス、するぞ」
「ここですんのかよ!?」

 人通りが少ない道とはいえ、会社も近い。万が一会社の人間に見られでもしたら人生に関わる大事になってしまうだろう。

「もうちょっと行ったら公園があるから、そこでしようぜ……」
「わかった」

 件の公園は歩いて一分もしないところにある。辿り着くまで互いに無言で、ドキドキした鼓動が漏れ聞こえてしまうのではないかとさえ思った。
 公園の公衆トイレに向かい、二人で個室に入ると鍵を閉める。途端に木吉に強く抱きしめられ、若松の身体はじわりと熱くなった。

「孝輔……」

 聞いたことのない木吉の掠れた声に、全身が総毛立つのを感じた。腰をぐいぐいと押しつけてくる動作は本能的なものなのか、あるいは意図的にやっているのかはわからないが、性欲とは無縁そうな顔をしている彼の男としての一面を垣間見て、若松の興奮はますます高まっていく。

「キス、するぞ?」
「うん……」

 了承すると、木吉の男前な顔立ちがぐっと迫ってくる。若松も自ら唇を寄せて、柔らかな感触が重なり合った。
 触れるだけのほんの軽いキスなのに、いままでに経験したどんなキスよりも興奮した。自分の気持ちが入っているのといないのとでは、キスだけでもこんなに違ってくるというのなら、身体を繋げたらいったいどうなってしまうのだろうか?

「キス、できたぞ。だから孝輔のこと、好きってことでいいんだよな?」
「……たぶん、いいと思う」
「じゃあ孝輔はどうなんだ? 俺のこと好きか?」

 木吉の目はどこか心配そうだった。そういえば自分はまだ彼に気持ちを伝えていないのだと気づいて、若松は胸の内から言葉を引き出す。

「好きに決まってるだろ。でなきゃこんなところに誘ったりしねえし」

 諦めなければならないと思っていた。望みなど欠片もないと信じて疑わなかった。だからこんな都合のいい話が本当に現実なのだろうかと、夢でも見ているように感じてしまう。
 けれど抱きしめた木吉の身体も感触も、さっき重なった唇の感触も確かに現実のものだった。そしていま目の前にいるのは、間違いなく若松が恋に落ちた木吉鉄平本人だ。

「もっと、キスしようぜ?」

 想いが通じ合ったのなら、もう何も遠慮する必要はないだろう。自分の欲望に忠実になったって、きっと赦されるはずだ。
 若松は自分から木吉の唇を奪った。今度は触れるだけの軽いキスではなく、木吉の口内に舌を忍ばせ、思う存分に貪る。

「んっ……」

 木吉も本能的にどうすればいいかわかったのか、必死に舌を絡めてきた。時折唇に吸いついたり、若松の舌を甘噛みしたりして、彼もまたキスの味を堪能しているようだった。

(鉄平……勃起してる)

 腰を密着させているせいで、ズボン越しに木吉の硬くなったそれの感触がはっきりとわかる。たぶん木吉にも、若松のモノが同じ状態になっているのがばれているだろう。

「はあ……」
「ふぅ……」

 長いキスの応酬が止み、ふと腕時計を見るとここに来てから一時間近くが経とうとしていた。そんなにも長い時間キスをしていたのかと二人して驚いて、けれど抱きしめた腕を解くことはしなかった。

「孝輔、俺と結婚しよう」
「結婚って……いきなりぶっ飛びすぎだろうが。まずは恋人からだろ?」

 非現実的な申し出ではあったが、若松は純粋に嬉しかった。それと同時に早くも次のステップに進みたいと、漲った欲求が訴える。

「いまから俺んち来るか?」



 木吉の上に跨り、若松は硬く強張った彼のそれを自分の後ろの穴に押し当てる。平均的なサイズよりも少し大きいため、受け入れられるかどうか不安だったが、ここまで来て引き返そうとは思わない。
 腰をゆっくりと沈めていく。硬い肉棒に入口を押し広げられ、そのあまりの質量に一瞬息を飲むが、すぐに息を吐き出しながら木吉を身体の中に埋めていった。

「くっ……全部、入った」
「痛くないのか?」
「大丈夫……」

 念入りに解してもらったおかげか痛みはないが、いままでに体験したことのない強烈な圧迫感だ。だからすぐには動くことができなくて、中が広がるのを、キスをしながら待った。

「孝輔の中、ぬるぬるで温かいな〜」
「そうか? でも、いまからもっと気持ちよくしてやるから、覚悟しろよ」

 自分のほうが突っ込まれるほうなのに、こんな台詞を口にするなんておかしなものだと苦笑が零れる。まあ、木吉はこれが初めてだから仕方がない。それなりに経験をしている若松のほうがリードするのが当然だろう。
 腰を動かすとまだ結構な抵抗感があったが、もうじっとしていることはできなかった。最初はゆっくりと、馴染んできたら動きを速めて、木吉の肉棒の感触を味わう。

「なんだよ、これ。気持ちよすぎておかしくなりそうだ……」

 快感に歪む木吉の表情が、堪らなく愛おしい。だからもっと気持ちよくなってほしくて激しく腰を揺らした。淫乱だと引かれはしないかと少し心配だったが、もう今更だ。

「孝輔は気持ちいいか?」
「ああ。おまえの、デカくてすげえいい」

 臓物を引きずり出されるような強烈な感覚。けれどそれすらも若松には気持ちよくて、あんあんと木吉の上で喘いだ。
 手を握れば、強く握り返してくれた。繋がった部分だけじゃなく、そこからも木吉の熱が流れ込んできて、全身が甘い熱気に包まれるような感覚がした。

「孝輔……俺も、動いていいか?」

 いい、という前に木吉は自ら腰を動かし始めた。

「あっ! おい、鉄平っ……」

 身体の最深部まで木吉が入ってくる。そのまま中を激しく撹拌され、頭が真っ白になるくらいの快感に襲われた。

「ご、ごめん。でももう止められない」

 切羽詰まったような声でそう告げる木吉。その顔にいつもの穏やかさは欠片もなく、欲情しきったような険しい表情と灼き殺されそうな眼差しが若松を見上げている。普段見ることのない彼の“男の顔”に、若松はくらくらと眩暈がしそうだった。

「あん! 鉄平、強すぎだって!」
「ごめん。本当にごめん……」

 謝りながらも木吉は動きを止めようとはしなかった。明日は歩けなくなるのではないかと心配になるほどに揺さぶられ、中をぐちゃぐちゃに掻き混ぜられ、後ろの刺激だけで絶頂に達してしまいそうだ。

「鉄平っ……イクっ、イクっ」
「俺も、出すぞ――くっ!」

 ひときわ激しく突かれた瞬間、若松の頭に痺れが走った。同時に身体の中に何かが注ぎ込まれるのを感じ、木吉もイったのだと理解する。
 すっかり上がった息が落ち着くのを待って、若松はぐにゃぐにゃになった身体を木吉にすり寄せた。

「鉄平の、死ぬほど気持ちよかった」
「俺も孝輔の中すごく気持ちよかったぞ」

 セックスの経験はそれなりにあったが、こんなに気持ちいいのは初めてだ。満たされたのは身体だけではなく、心もなんだかポカポカと温かい。好きな人とのセックスがこんなにいいものだなんて想像もしていなかった。

「結婚……じゃなかった。恋人になってくれるんだよな?」

 心配そうに訊ねてくる木吉に、若松は一つ頷いた。

「鉄平のこと、好きっていっただろ? むしろおまえは相手がこんなのでいいのか?」
「こんなのなんていうなよ。孝輔よりもいい相手なんて、きっとどこにもいないんだから」

 そういって木吉は、見たことのないような甘ったるい笑みを浮かべる。

 これが若松と木吉の始まりだった。
 このときは二人とも幸せな未来しか想像していなかった。その幸せが崩れ去ってしまう日が来ることなど知る由もなく、溢れんばかりの幸せに笑い合った。





■続く……■





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