火神くんと木吉くん〜木吉くんが火神くんちにお邪魔しました



「結構いいとこに住んでんだな〜……」

 夜道に佇む木吉の眼前に聳え立つのは、ちょっとした金持ちしか住めそうにない立派なマンションだ。
 一人暮らしと聞いていたから、てっきり質素なアパートにでも暮らしているのかと思ったが、どうやら違うらしい。一応メモに書かれた住所とマンションの玄関に表示された住所が一致していることを確かめ、自動ドアから建物に入っていく。――いや、入ろうとして、ガラスのドアに思いっきりぶつかった。

「いってて……そうか、オートロックとか言ってたな〜」

 ぶつけた額をさすりながら、ドアの横に設置されたインターホンにメモに記された部屋番号を入力する。すると一瞬の間を置いてスピーカーから聞き慣れた声が返ってきた。

「……はい」
「よう、火神。俺だよ、俺。あ、別におれおれ詐欺じゃないぞ? 火神のだ〜い好きな木吉鉄平だ」
「お、俺そこまで言ってねえしっ!」
「え? でも俺の練習着嗅いでたじゃないか?」
「ちょ、そんなとこでそんな話すんじゃねえ! じゃなかった、しないでください! さっさとエレベーターで上がってこい……です!」

 ガチャリ、と通話が切れる音がすると同時に、入り口の自動ドアが無音で開いた。

「可愛いなあ、もう」

 スピーカーの向こうで、怒りと恥ずかしさで顔を真っ赤にした火神を想像しながら、木吉は満足そうな笑みを浮かべてエレベーターに向かっていった。



 木吉にとって、火神はついこの間まではただの可愛い後輩だった。いや、いまも可愛い後輩であることに変わりないのだが、それに“恋人”という要素が加わり、他の人間とは一線を引いた特別な存在になっている。
 恋愛的な意味で意識したことなど少しもなかったのに、火神に好きだと告白された瞬間、木吉の中に彼に対する愛情が爆発的に溢れ出した。
 決して火神の勢いに飲まれたわけではない。決してその場の雰囲気に流されたわけではない。ちゃんと相手の気持ちを理解し、自分の中に生まれた感情を理解して、木吉は火神と付き合うことを決めたのだった。



 火神の部屋の前に着き、インターホンを押すとドアの向こうから足音が近づいてくる。鍵が開錠される歯切れのいい音が聞こえ、部屋の中の明かりが外に零れてくる。

「火〜神!」

 開きかけていたドアを外から全開にした木吉は、その内側にいた人物を何の迷いもなく抱きしめた。しかしすぐにある違和感に気づき、弾んでいた心が急速に冷めていく。

(あれ……火神ってこんなに細かったっけ? って言うか、なんかすごくちっさくなった気がする)

 恐る恐る視線を下に向けると、木吉の腕の中には火神ではない男が収まっている。髪はちょうど火神と同じような短さと形をしているが、色は明るい金色だ。その下にある顔は火神には及ばないにしても十分いい男と言える部類で、切れ長の瞳が戸惑いを乗せて木吉を見上げてくる。

「え〜と……誰?」
「おまえが誰だよ!? いきなり抱きしめてくるとか、どこの変態だ! つーか、火神さんの部屋は隣だよ!」
「す、すいません……」

 凄まじい剣幕で捲し立ててくる若い男に木吉は謝罪し、ドアを閉めると同時に隣の部屋のドアが開いた。ぬっと出てきたのは今度こそ見覚えのある顔で、木吉は苦笑しながら手を振る。

「何してるんっすか、木吉センパイ?」
「いや〜、部屋間違っちまった」



 火神の部屋は、外観から想像するよりもずっと広かった。あまり物が置かれていないだけに余計にそう感じられ、一人で暮らすにはいろいろともったいないなと、部屋を見回しながら木吉は心中で呟く。

「飯、もうちょいで出来るんで、適当にくつろいでて下さい」
「は〜い」

 台詞のとおり、火神は料理中だったらしくエプロンを羽織っている。普段豪快なバスケをするだけに料理をするイメージは微塵も浮かばなかったのだが、実際に目にするとずいぶんと様になっていた。というか、可愛かった。

「エプロン似合ってるな」

 木吉の言葉に火神は何も言わない。ただ、照れているのが気配で伝わってきて、木吉は一人満足する。

「こっちの部屋見ててもいいか? この時間テレビいいのやってなさそうだし」
「いいっすけど、あんま荒らすなよ……です」
「大丈夫、大丈夫」

 リビングの隣は寝室らしく、窓際には火神の長身に合わせた大きなベッドが置かれている。他にはタンスがあるくらいで、実にさっぱりとした部屋だったが、壁には海外のバスケ選手のポスターが貼られているなど、火神らしい面も垣間見えた。
 木吉は一通り部屋を見回したあと、ベッドに倒れ込んだ。自分の長身でもすっぽりと収まるどころか、なお余りある大きさには感動を覚える。

(あ〜、枕も布団も火神の匂いがする)

 汗っぽくて、荒々しくて、それでもまったく不快にならない独特の匂い。まるで全身を火神に包まれているかのような錯覚に陥りながら、木吉の妄想はどんどん広がっていく。

(いけね! そのまま寝ちまうところだった)

 ハッと我に返った木吉は、ベッドから下りて今度はタンスを漁ることにした。ベッドの下には物を置けそうなスペースはないから、きっとアダルトなものを隠すならここだろう。
 そもそも火神の寝室を見たいと言い出したのは、彼のそっち方面の趣味を探るためだ。バスケ以外には何の関心もなさそうな彼が、いったいどんな嗜好をしているのか、そもそも男と女どっちでしているのか、彼を好きになった身としては気にならないわけがない。
 上から順番に引いていくが、どこも衣類ばかりで木吉の欲しているものは見つからない。あっという間に一番下の段に辿り着き、今度こそはと希望を託して取っ手を引いた。

(あ、パンツだ)

 びっしりと詰められていたのはボクサーパンツの数々だ。地味なものから柄の入った洒落たものまで様々な種類が綺麗に並べられており、木吉はその一個一個を広げて検分する。
 その最中、ふとこの間部室で火神が木吉の練習着を嗅いでいたのを思い出した。あのときは特に不快に感じることもなく、むしろ彼の秘密を覗いてしまったことをひどく申し訳なく思った。それと同時に、彼に関心を持たれていたことが嬉しいとさえ感じた。
 部活中、火神と言葉を交わすことなどそんなにない。最近は少しだけ会話が増えたような気はするが、それでも同学年の部員たちに比べれば格段に少なかった。
 きっと自分に興味などないだろう。そう悲観していたのに実は好かれていると――しかももっと深い意味での好意を持たれていると知って、大きな衝撃とともに確かな喜びが木吉の胸に湧き上ったのだった。

(どんな気持ちで俺の練習着嗅いでたんだろう……)

 一人で呟きながら、ああ、と次の瞬間には自分で答えを導き出した。

(そうか、俺も同じことしてみればいいんだ)

 手に取った火神のボクサーパンツを自分の鼻に押し当てる。残念ながら洗濯済みで爽やかな香りしかしないが、それでも彼の尻と股間がこれに収まっているのかと思うと、興奮しないわけがない。

「――木吉センパイ、飯できたっすよおおおおおおおおおおお!? 何やってんだ、あんた!?」

 いきなりの奇声は火神のものだ。料理が終わったらしく、ドアの前に立つ長身にさっき着ていたエプロンはもうない。

「何って、火神のパンツ嗅いでた」
「勝手にタンス漁った上にそんな変態的なことしてんじゃねえ!」
「え〜、でも火神だってこの間同じことしてただろ?」
「してたけど、あれは練習着であってパンツじゃねえ!」
「一緒だと思うけどな〜。しかも火神の場合使用済みだったし、そっちのほうがよっぽど変態」

 怒りからか、それとも恥ずかしさからか――いや、たぶん両方だろう――火神は顔を真っ赤にしている。返す言葉も見つからないのか、悔しそうに顔を歪めて俯いた。

「……ごめん、火神。悪気はなかったんだ」

 さすがにこれ以上からかうのは悪い展開にしか結びつきそうにない気がして、木吉は素直に謝った。

「好きな人の生活空間って気になるだろ? あと、どんなエロ本読んでるんだろうとか。それでつい手が伸びちまった」
「……じゃあ、もし俺がセンパイの家に行く機会があったら、センパイの部屋漁らせてくれ……ださい」
「うん、いいよ。――あ〜、腹減った。早く火神の手料理食べよ〜」
「うっす」



 火神の手料理を堪能し、二人してテレビを見ているうちに帰る頃合いとなった。木吉は玄関先まででいいと言ったのだが、火神は下まで送ると言って聞かなかったので、二人そろってエレベーターに乗り込んだ。

「火神の料理本当に美味かったよ。それこそ店開けるんじゃないかってくらい」
「またいつでも食いに来てください。やっぱ誰かに食ってもらえるのって嬉しいから」
「そこは“誰か”じゃなくて“大好きな木吉先輩(はぁと)”って言うところだろ?」
「調子乗んなっ」

 火神の肘打ちが鳩尾に入り、木吉は軽く呻いた。
 エレベーターはあっという間に一階に到着し、別れのときが訪れる。
 実は学校外で二人きりで会うのは今回が初めてのことで、いつもよりたくさん会話し、今まで知らなかった火神のあらゆる面を知ることができて非常に満足できた。

「じゃあ、また明日部活でな」

 だからこそ別れる瞬間はひどく寂しくて、後ろ髪を引かれる思いで出入り口へと歩いていく。

「木吉センパイ」

 後ろ髪を引かれる代わりに、木吉の服の裾を掴む手があった。振り返れば、火神が何か言いたそうな顔で佇んでいる。

「どうした?」
「いや、なんとなく……」

 そしてすぐに理解する。いま火神は自分とまったく同じ気持ちなんだな、と。それがひどく嬉しくて、思わず笑うと火神は少しだけ目つきを鋭くした。

「なんだよ……っすか」
「いや、なんでも」

 自分たちの気持ちは通じ合っている。それがこんなにも嬉しくて、こんなにも照れくさいものだなんて知らなかった。だからこそそれを知ってしまったいま、別れることが余計に寂しく感じられる。

「なあ、火神。今日泊まって行っちゃ駄目か?」

 そう提言した瞬間、火神の表情が柔らかくなった。

「いいっすけど、家の人心配するんじゃ?」
「電話しとけば大丈夫」

 もしかしたら、今日泊まってしまえば明日別れるときにもっと寂しい思いをするのかもしれない。それをわかっていながらも、木吉はここで帰ることができなかった。どうしようもないくらいに好きで、どうしようもないくらいそばにいたくて、抗うことができないその感情に身を任せることにしてみよう。








続く……のか!?





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