配達員の場合 1


 俺――小堀浩志が宅配業者の配達員を始めて、いつの間にか一年が経っていた。仕事自体は結構きついけど、やりがいはあるし、何よりこの横シマのユニフォームが好きだからやめようとは思わない。
 それに最近は仕事の中である楽しみを見つけたんだ。このマンションの五階に住む、とあるお客さん。俺はその人と会うのが楽しみで、今日もワクワクしながらエントランスで部屋番号を入力する。

『……はい』

 小さな呼び出し音に続いて、部屋の主の声がスピーカーから聞こえてくる。いつもと変わらない、眠そうな声だ。

「こんにちは。左川急便です。荷物をお届けに参りました」
『今開けます』

 通話が途切れ、オートロックのドアが静かに開く。
 ああ、ドキドキするな〜。あの人とは何度も顔を合わせたはずなのに、このドキドキが収まる気配はない。どうやら完全に恋に落ちてしまったらしい。一目惚れなんていったいいつ以来だろうか。
 今一度表情を引き締め、目的の部屋のインターホンを押す。するとすぐに鍵が開錠され、部屋の主が姿を現した。

 諏佐佳典。

 それが彼の名前だ。
 短い髪に、少し厳ついけど男らしい顔。背は俺と同じくらい――192センチ前後――で、服の上からでもいい身体をしてそうだとわかる。
 そんな彼に俺は一目惚れをしてしまった。顔はすごく好みだし、落ち着いた感じの声も聞いていて気持ちがいい。この地域の配達担当になってよかったと、彼に出会ったときは心の底から上の配置に感謝をしたもんだ。

「こんにちは。Hamazonさんからお荷物お預かりしております」

 どうも、と諏佐さんはいつもどおりの短い挨拶を口にする。

「こちらにサインをお願いします」
「はい」

 俺は伝票とボールペンを諏佐さんに渡す。荷物を渡すときのお決まりの流れだけど、そのとき俺は思い切って彼の手に指を触れさせてみた。無論、これといった反応はない。偶然だと思われたんだろう。

「今日も暑いですね」

 もっと彼と話をしたい。声を聞きたい。そう思って俺は当たり障りのない話題を振ってみる。

「そうっすね。今日は俺、外に出る用事がないからいいけど、小堀さんは熱中症とかならないよう、気をつけてくださいね」
「え、あ、はい! 気をつけます! ありがとうございました!」

 荷物の受け渡しの時間なんて、あっという間に終わってしまう。だから会話もそれで終了し、俺は諏佐さんちの玄関からそそくさと退散した。
 名前、呼んでくれた。彼の視線が一瞬俺の胸元に来たから、そのときに名札の名前を確認したんだろう。それに心配もしてもらっちゃって、なんて嬉しい日だろうか。ああ、諏佐さんってカッコイイだけじゃなくて、優しいんだな〜。きっとモテるに違いない。

 最近は寝ても覚めても諏佐さんのことばっか考えてる。そして一人でするときも、諏佐さんに抱かれるのを想像しながらイってしまうのが常になっていた。
 よく本当に好きな人はオカズにできないって聞くけど、あれ絶対嘘だろう。それともそれは好きな相手が女の子だったらの話なのかな。まあ、どっちにしろ俺のこの諏佐さんを想う気持ちは嘘じゃないし、最近のオカズが諏佐さんばっかだという事実も変わらない。

 ああ、でも、あんなにカッコイイとやっぱり彼女とかいたりするんだろうか? 今のところそんな素振りも気配もないけど、配達に行くわずかな時間だけでそれを探るのは無理がある。いや、まあ直接訊けば早いのかもしれないけど、それを気軽に訊けるほど俺たちは気心の知れた関係というわけじゃない。むしろただの配達員とそのお客さんという、情も何もない関係だ。

 諏佐さんに会えるのは毎週土曜日。決まってその日にHamazonからの届け物があり、そして地区的に担当は俺になる。
 次に会えるのはまた来週か。はあ、また一週間頑張ろう。また諏佐さんに会えるのかと思うと、どんなにきつくてもやる気出るな〜。

「お疲れっした、小堀さん」
「あ、お疲れさま、火神」

 更衣室で私服に着替えていると、今日の仕事を終えたらしい後輩の火神が入ってくる。

「今日も暑かったっすね〜。こう毎日暑いと死んじまいそうだ」
「そうだな。水分はちゃんと摂ってるか? でないと本当に死んじゃうぞ」
「ちゃんと気をつけてるっすよ。あんなヘマはもうしたくねえし」

 実はこの火神、ちょっと前に仕事中に熱中症で倒れたことがあった。大事には至らなかったけど、ニュースで見る限りでは本当にそれで死んでしまう人もいるようだし、本人も自分の体調管理の甘さを反省して、今はちゃんと水分補給に気を配っているようだ。

「小堀さん、今から時間あるっすか? オレと1on1しましょうよ!」
「今から!? 元気だな〜」

 火神の言う1on1とは、バスケの1on1である。部活に入っていたわけじゃないけど、彼は高校のときにバスケにハマったらしく、今は趣味でストリートバスケをしているらしい。
 出会って間もない頃、俺が中学のときにバスケをしていたと聞いた火神は、その日のうちに1on1をしようと言い出した。後輩と親睦を深めるのも大事かな、と思った俺はその誘いを受け、久しぶりにバスケットボールを触ったんだが……やっぱりブランクがあるせいで思うようには動けなかった。いや、元々上手いほうでもなかったけど、あのときは本当に悲惨だったと思う。

「俺と1on1したって、練習にならないだろう?」
「そんなことないっすよ! 小堀さんのディフェンス、なかなか突破できなくていい練習になってるんすから!」

 正直、疲れていてあんまり気乗りしないんだけど、可愛い後輩のお願いを無碍にするのも心苦しい。仕方ない、今日は付き合ってやろう。

「明日休みだし、今日は相手になるよ」
「やった! そうとなれば早く着替えましょう!」
「はいはい」

 嬉しそうな顔をして着替える様子は、なんだか子どもみたいで可愛い。だが、ユニフォームの下から現れた肉体は、可愛いという言葉からは程遠い、野獣のような力強さを兼ね備えたものだった。
 相変わらずいい身体してるな〜。なんかこう、触りまくりたいな。あのでこぼこした腹筋とか指でなぞってみたい。
 正直にいうと、火神はかなり好みの部類だったりする。短髪で男らしい顔してるし、なんといってもあの身体はやばい。こうして眺めていると下半身がムクムクと反応してしまいそうだ。
 まあでも、付き合うんだったら俺はもうちょっと落ち着いた感じのほうが好きだな。ほら、諏佐さんみたいな……っていうか、俺は諏佐さんが好きだ。諏佐さんとお付き合いしたい。

「よし、着替え完了! 行きましょう、小堀さん!」
「うん、行こう」



 やっぱり断ればよかった。きつい仕事終わりにバスケなんてやるもんじゃない。疲れた身体で一人家に向かって帰りながら、俺は火神の誘いを受けたことを後悔していた。
でもたぶん、また誘われたらオッケーしちゃうんだろうな〜俺。あのキラキラした目で頼まれたらすごく断りづらいし、断ったら散歩に連れて行ってもらえなかった犬みたいにしょげるから。
今日はもう自炊する気力も体力もないから、外食にしよう。といってもファミレスは一人じゃ入り辛いし、酒を飲みたいから居酒屋にしようかな。そう思い立って俺は自宅に向いていた足を飲み屋街へと方向転換させた。
土曜日の夜とあって、やっぱり人が多い。すぐに入れるところはあるだろうかと、立ち並ぶ居酒屋を一軒一軒検分する。

「――小堀さん」

 するとふいに背後から声をかけられ、俺はそっちを振り返った。

「こんばんは。こんなところで会うなんて、奇遇っすね」
「す、諏佐さん!?」

 そこにいたのは、Tシャツに膝丈のジーンズというラフな格好をした諏佐さんだった。まさかこんなところで大好きな諏佐さんに会えるとは思ってもみなくて、何も準備をしていなかった心が瞬時にドキドキし始める。

「ひょっとして飲みに行くところっすか? それとも帰り?」
「今から行くところです。諏佐さんは?」
「俺も今から行くところ。もし一人なら、一緒にどうっすか?」
「いいんですか!? ぜひ行かせてください!」

 なんてラッキーな日だろうか。仕事以外で諏佐さんに会えるだけじゃなく、一緒に酒を飲みに行けるなんて……。すごく嬉しいけど、その半面でちょっと緊張もしている。だって諏佐さんとちゃんと話したことなんてないし、やっぱり好きな人の前で落ち着いてなんかいられない。
 っていうか俺、さっきバスケしたばっかだから汗臭くないかな? 拭き取るだけじゃなくて、制汗スプレーもしておけばよかった。

「もう店は決まってますか?」
「いや、全然。どこも人多そうで迷ってました」
「それなら、俺の行きつけの店に行きませんか? 酒と料理の味は保障します」
「じゃあ、そこにしましょうか」

 諏佐さんの行きつけという店は裏路地を結構進んだところにあり、目立たないだけあって客も少なかった。まあでも、どちらかというと落ち着いた雰囲気の中で飲みたかったから、ちょうどいいや。
 奥のテーブル席に座り、諏佐さんのお勧めどおりに料理と酒を注文する。

「いきなり日本酒なんて、なかなか渋いですね」
「そうっすか? でもここの日本酒かなり美味しいっすよ。小堀さんはどういう酒が好きなんですか?」
「俺は主に焼酎かな。ビールはあんまり好きじゃないです」
「焼酎も十分渋いと思いますよ。ちなみに小堀さんって何歳?」
「今年で二十二歳になります」
「へえ。じゃあ俺と同い年じゃん。俺も来月で二十二になるから」

 すごく落ち着いた雰囲気のある人だからてっきり年上だと思ってたんだけど、同い年だったのか。ちょっと驚きだ。

「じゃあ、敬語は使わなくていいよね?」
「うん。そのほうが話しやすいかな」
「ちなみに小堀さんの下の名前って何?」
「浩志だよ」
「じゃあ、浩志くんって呼んでいい?」
「いいよ。諏佐さんは佳典くんだよね? 俺も下の名前で呼ばせて」

 佳典っていい響きだよな〜。なんかこう、男らしさを感じる名前だ。でもまさか、俺が苗字じゃなくてその名前を呼ぶ日が来るなんて全然思ってなかった。嬉しいけど、なんか恥ずかしい感じもする。

 それから佳典くんとはいろんな話をした。佳典くんはIT系の会社勤めで、趣味は写真を撮ること。休みの日にはちょっと遠出していろんな景色を撮りに行ったり、友達にモデルを頼んで、家で撮影をすることもあるそうだ。
 カメラを構えた佳典くんってどんなだろう? きっと様になってるんだろうな〜。いや、たぶんこの人は何をやっても様になるんだと思う。

 お互いの過去のことも話したけど、そこで俺たちはある共通点を発見した。それはバスケだ。佳典くんも中学からバスケをやっていたらしく、高校時代はチームのエースだったらしい。背が高い――といっても俺より少し低いみたいだけど――からてっきりバレーでもしていたのかな、と思ってたけど、まさか俺と同じバスケとはね。でも共通点があるというのは嬉しいことだし、話題が増えてよかった。

 配達に行ったときはいつも無表情な佳典くんだけど、今は時々笑ったり、驚いたような顔をしたり、いろんな表情を見せてくれる。そのどれもに胸がときめいた。人を好きになるって、そういえばこんな感じだったな。
 そうだ。これだけ仲良くなれたんだから、そろそろあれを訊いてもいいよな? 以前から俺がすごく気になっていた、あれ。

「佳典くんって彼女いるの?」

 肯定されたらもちろんショックだけど、やっぱりちゃんと知っておきたいな。もしいるのなら、俺がもっと佳典くんにハマってしまう前に知っておかないと、あとあと大きな傷を負うことになるだろうし……。

「いないけど」

 佳典くんの口から、俺にとっては嬉しい答えが返ってきた。別に自分の恋心が報われるわけでもないのに、思わず心の中でガッツポーズしちゃったよ。

「そうなんだ。カッコイイし、すごく落ち着いてるからモテるに違いないと思ったんだけどな〜」
「そういう浩志くんはどうなんだよ? 彼女いんの?」
「俺もいないよ」

 まあ、女には興味ないからな。それはさすがに言えないけど。

「それこそ意外だよ。端整な顔してるし、すごく優しそうな感じがしてモテそうなのに」
「そ、そうかな?」

 佳典くんにそう言ってもらえると嬉しいな。やっぱり好きな人に褒めてもらえるのは特別だ。

「そうだ。ずっと前から浩志くんに頼もうと思ってたことがあったんだけど」
「何?」
「ほら、さっき趣味で写真撮ってるっていっただろ? それで、浩志くんにぜひモデルをやってほしい」
「ええ!? 俺がモデル!?」
「そう。浩志くんって背が高いし、さっきも言ったように顔もなかなかいいから、モデルには最適なんだ。それに身体も骨太な感じがしないし」
「いや、でも俺なんかで務まるかどうか……」
「気楽に考えて。どうせ趣味で撮るものだから」

 モデル、か。正直にいうとカメラを向けられるのって昔から苦手なんだけど、これを引き受ければ佳典くんの家に上がれるってことだよな? それにもっとたくさん話もできるし、もっと親密になれる。佳典くんが好きな身としては、この機会を逃すわけにはいかないだろう。

「じゃあ、ちょっとやってみようかな」
「ありがとう。はあ、初めて浩志くんを見たときからずっと撮りたいなって思ってたから、なんか嬉しいな」
「初めてっていうと、もう一年くらい前だよな? 俺がいまの仕事始めたの、それくらいだし」
「そうだっけ? もうそんなに経つのか〜。声かけてみようっていつも思ってたけど、結局いまになっちゃったな」
「まあ、ただの配達員とお客さんじゃなかなかきっかけをつくれないよな」

 もしも今日偶然道端で出会わなければ、きっと配達員とその客という関係のまま時が流れていったと思う。フラッと飲み屋街に出てきてよかったよ。

「そろそろ出ようか? 早く浩志くんの写真撮りたいし」
「うん。そうしようか」

 俺は、佳典くんの部屋の玄関までしか足を踏み入れたことがない。あの先はいったいどんなふうになっているんだろうか? たぶん綺麗に整理整頓されてるんだろうな。逆に散らかってたりしても、それはそれで男らしくていいんじゃないかな。さすがにゴミ屋敷レベルは勘弁してほしいけど……。
 好きな人と、その人の家で二人きり。もしかしたら急展開のラブロマンスが……あるわけないか。その辺の期待はしないようにしておこう。というか、ちゃんと自制できるように気をつけよう。








■続く……■





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