その2


 小堀が目を覚ましたとき、背中から抱きしめてくれていたはずの諏佐はベッドの中にいなかった。
 ジュウジュウと、何かが焼けるような音がする。そちらに目を向ければ、エプロンをかけた部屋の主がキッチンで料理に勤しむ姿が見えた。偶然か、あるいは小堀が目を覚ましたことに気づいたのか、男らしい顔がこちらを向いて、ばっちりと目が合う。

「おはよう、小堀。いま朝飯作ってるから、顔でも洗って来いよ」
「うん」

 そして目が合った瞬間に鼓動が跳ね上がり、顔が熱くなるのを自覚した。
 面識があったとは言え、会話をするのは昨日が初めてだった。にもかかわらず、たった一日で彼に惹き込まれてしまっている自分が情けないやら恥ずかしいやらで、小堀はいろんな意味のこもった溜息をついてしまう。
 その半面で、諏佐が魅力的すぎるのが悪いのだと、まったくもってお門違いの責任転嫁をしていたりもするのだが。その上、昨夜のように情熱的に(?)抱きしめられたりなんかしたら、心を動かされないほうがどうかしている。

「朝飯は普通の量なんだな」

 顔を洗ってリビングに戻ると、こたつの上には昨日の夕食に比べるとずいぶんと控えめな量の食事が並んでいた。

「朝はさすがに食えないわ。足りないか?」
「いや、十分。というか、昨日のあの量はやっぱりおかしいよな」
「そんなことないって」

 諏佐もさすがに素面では昨日のような下世話な話はしないらしく、朝食中は至って普通の話題で盛り上がったり、黙ってテレビを鑑賞したりと、なだらかに時間が過ぎていく。
 朝食を終えてから、さすがにこれ以上長居するのは悪いと思い、小堀は自分の部屋に戻ることにした。

「また来てもいいか?」
「ああ。いつでも来いよ。落ち着いたら小堀の部屋にも上がらせろよな」
「了解」

 諏佐の部屋を出る瞬間、少しだけ寂しさに囚われた。恋人でもなければ長年連れ添った友人でもないのに、このまま帰ってしまうのがなんだか名残惜しい。

(大丈夫。これからいつでも会えるじゃないか)

 小堀は自分にそう言い聞かせ、最後に軽く手を振って、冷たいドアをそっと閉めた。



「諏佐、か〜……」

 暇を持て余した夜の時間、小堀は隣人の男らしい顔を思い出しながら、彼の名を呟いた。
 小堀は決して惚れっぽいわけではない。恋に落ちるのも十八年の人生の中でこれがまだ二度目のことだし、顔のいい男を見たところですぐに心を掴まれるようなこともなかった。
 だが、諏佐はあまりにも魅力的すぎた。顔といい雰囲気いい、何一つ文句の付け様がないほどに小堀の好みと合致している。
 だからと言って小堀の顔や性格が諏佐の好みだとは限らないが。いや、そもそも自分は彼と同じ男だ。好きだとか嫌いだとか、それ以前の問題だろう。

「また苦しい思いをするんだろうか……」

 初恋のときにもぶつかった、同性という壁。乗り越えようにも乗り越えられず、また、無視もできない大きな障害。けれどあのときはその壁を打ち砕いて、自分の想いを相手に伝えることができた。結果は玉砕に終わったが、それでも小堀は後悔なんかしていないし、むしろあのときちゃんと伝えられなかったほうが後に引きずっていたかもしれないと、いまは思っている。

(懐かしい……って言うほど時間は経ってないか。でもずいぶんと昔の話に思える)

 小堀はふと思い立って、段ボール箱の中から高校の卒業アルバムを取り出す。そして、男子バスケ部の集合写真のページを開き、数多い部員の中から“彼”の姿を見つけ出した。
 凛々しい表情でこちらを見つめる“彼”。真面目で、自分に厳しくて、他の誰よりも熱いスポーツ魂を持った彼をどれだけ好きだっただろう。



「笠松が好きなんだ」

 高校三年生、間もなく卒業という頃に、小堀は約二年半に渡って抱き続けた想いを彼に打ち明けた。

「いきなり何恥ずかしいこと言い出すんだよ。俺だっておまえのこと好きだぜ?」
「そうじゃない。なんって言うか、その……愛してるっていうほうの、好き」

 え、と隣を歩いていた彼は硬直する。予想どおりの反応に小堀は苦笑し、台詞を続けた。

「ずっと好きだった。顔も声も、バスケしてる姿も、全部」

 呆気にとられる彼を見て、ああ、人間は驚きも限度を超えるとこんなふうになるんだな、とどこか冷静になった頭の片隅で思う。

「……全然気づかなかった」
「当たり前だろ。わからないようにしてたんだから」

 本当はいきなりぎゅっと抱きしめたり、着替えを凝視したりしたかったけれど、気持ちを悟られたくなくて――いまの友達という関係を壊したくなくて、我慢していた。その代わり彼が困っているときは積極的に手助けをしてやった。頼られるのはやはり嬉しかったし、彼の役に立とうといろいろな努力もした。
 だからこそ改めて自分の恋は実らないのだと気づいたとき、死ぬほど辛くて、苦しかった。自分の努力も、誰にも負けないくらいの強い想いも、いつかはすべて“無”になるのだと理解して、絶望した。それでも彼に対する気持ちは捨てられなくて、いまのいままで引きずってきた。そして今日、その気持ちを自分から切り離すべく、告白しようと決意したのだ。

「悪い、小堀。その気持ちには答えられねえ」
「うん、わかってる。ただ言っておきたかっただけなんだ」

 わかりきっていた返答だったが、いざ彼の口から聞いてみると、結構ショックが大きかった。けれどそんな胸の内はおくびにも出さず、小堀はいつもの自分を演じてみせる。

「いままでどおりでいいんだ。だからいま聞いたことは忘れてくれ」
「忘れろっつったって、そうすぐには忘れられねえだろうけど、おまえがいままでどおりでいいってんなら、そうさせてもらう」

 そう言いながら彼はまだ、どこか信じられないというような顔をしている。ただの友人として付き合ってきた相手に、いきなり愛の告白などされたらそうなってしまうのも当たり前だろう。
 しかし、それも歩いているうちにいつもどおりの雰囲気に戻り、他愛もない話をしているうちに分岐点に辿り着いた。

「じゃあ、登校日にまた会おうな。朝ここで待ってっから」
「いつも笠松より俺のほうが早いじゃないか。待ってるのは俺のほう」
「細かいことは気にすんなって」

 いつもどおりに手を振って、いつもどおりに別れる二人。けれど小堀の心はいつもどおりではなく、大きな負の感情がさざ波を立てている。やがてそれは大波へと変わり、小堀の心はめちゃくちゃに荒れだした。
 歩き出してすぐに、涙が零れた。予想していた結末のはずなのに、覚悟を決めていたはずなのに、どうしようもなく悲しくて、切なくて――せめて家に帰るまでは我慢しようと思っていたのに、小堀の意思に反してそれは次々を溢れ出す。

「笠松っ……」

 こんなにも好きなのに、他の誰よりも愛しているのに、幸せにしてやれる自信があるのに、どうしてこの想いは届かないのだ。持て余した愛情は、いったいどうすればいいのだ。
 初めての恋で、初めての失恋。味わった痛みは想像していたよりもずっと大きくて、ずっと苦しかった。



 あれだけ辛い思いをしても、小堀は告白したことを後悔したことなどない。少しずつだが立ち直ることができたし、彼との関係も崩れることなく、いまでも友人としての付き合いが続いている。
 立ち直れた最もたる要因は、彼としばらく顔を合わせなかったことだろう。告白したのが卒業前の自由登校期間になる前日ということもあり、数週間は彼と出会うことがなかった。おかげで徐々に心も落ち着いていって、登校日に再会する頃には傷もほとんど癒えている状態だった。
 何よりの決め手は、彼があまりにいつもどおりだったことだ。何事もなかったかのように振る舞う彼を見て、なんだかうじうじと悩んでいたのがひどく馬鹿らしく思えた。

 いまではもう、そのことはよき思い出として小堀の中で完結している。
 だからと言って、もう一度同じような思いをしろと言われれば、できれば遠慮したいというのが本心だ。辛いものは辛い。せめて同じゲイの人間を好きになれればと思うのに、いまの小堀の心は完全に諏佐に囚われてしまっている。
 けれど、ここで自分を抑えることができれば、この気持ちを捨てることができるかもしれない。何せまだ小堀は諏佐のことを好きになったばかりだ。引き返すことだってきっとできる――はずなのに。
 ふとした瞬間に諏佐の顔や声を思い出して、堪らなくなる。

(いま何してるんだろう……)

 時間的には夕食の最中か、あるいは風呂にでも入っている頃だろう。もしかしたらベッドの上で自分のモノを慰めていたりするのかもしれない。

(諏佐が、オナニー……)

 どんな顔をして、どっちの手を使って、何をオカズにして抜くのだろう? そんな想像を巡らせているうちに小堀の股間は熱くなってきて、痛いぐらいにズボンを膨らませていた。
 ジャージと一緒に下着をずり下ろすと、勢いよく性器が飛び出してくる。指先で触れれば、じんわりと熱い。小堀はそれを包み込むようにして握り込み、ゆっくりと上下に動かし始めた。

「あっ……諏佐っ」

 脱いだらいったいどんな身体をしているのだろうか? きっと腹筋は綺麗に割れていて、腕や胸も筋肉がすごくて、逞しい身体をしているに違いない。
 そんな身体に抱きしめられ、押し倒されでもしたら、もうそれだけで自分は興奮の臨界点を超えてしまうのではないだろうか?

「諏佐っ……好きだ」

 先端から蜜が溢れ出した。それが潤滑剤の代わりとなり、亀頭を扱きやすくなっていよいよ絶頂が近くなる。
 諏佐のそこはどれくらいの大きさだろうか? 触って、擦って、舐めてやったらいったいどんな顔をするだろうか? 気持ちよくなってくれたらすごく嬉しい。そうして小堀のも触ってくれたら、もっと嬉しい。

「諏佐っ……諏佐っ……イクっ!」

 気持ちよさそうに歪む諏佐の表情を想像すると、小堀はあっけなく上り詰めてしまった。
 指についた白濁を眺めながら、今度は自慰後独特の罪悪感に襲われる。

(俺、変態だ……。昨日会ったばかりの諏佐で抜いちゃった……)








■続く■





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