その4


「悪かったって、小堀」

 すぐ近くから、諏佐の謝る声がする。けれど小堀は潜り込んだ布団の中で、言葉も返せないほどの恥ずかしさに苛まれていた。

(諏佐に見られた……)

 ただでさえ裸を見られることに抵抗があるのに、よりにもよって想いを寄せる諏佐に見られてしまった。しかも上から下まで余すことなくすべてだ。顔から火を噴きそうなくらいに恥ずかしくて、すぐに逃げ込んだのがこの布団の中だった。

「マジでごめんって。明日の朝だけじゃなくて、夜も飯作ってやるから、機嫌直せよ」
「……別に怒ってるわけじゃない。ただ死ぬほど恥ずかしかっただけだ」

 腰に巻いていたタオルがはずれたのは他でもない、諏佐のせいではあるが、彼を責める気は――少しくらいあるにしても、それほどない。他の男なら笑い話で流せるのだろうし、単に自分が気にしすぎているだけだとわかっている。

「男同士なんだから、そんなに恥ずかしがることないだろ? そんなんで修学旅行とか合宿のときはどうしてたんだよ?」
「タオル巻いてやりすごしてたよ。それでもやっぱり恥ずかしかったけど」

 人前で堂々と裸になれる同級生やチームメイトがいつも信じられなかったと、昔のことを思い出しながら小堀は吐露する。もっとも、誰も彼もが皆なんの躊躇いもなく裸になっていたから、やはり小堀のほうがおかしかったのだろう。

「わかった。じゃあ、俺も裸になる」
「え!?」

 いきなりの意味不明な提言に、小堀は思わず布団から顔を出した。すると、意外なほど近くに真剣な目をした諏佐の顔があって、小堀の胸はトクンと脈打つ。

「俺も裸になれば、おまえだって恥ずかしくないだろ?」
「いや、その理屈はおかしい」
「おかしくない。もう脱ぐって決めた」
「別に脱がなくていいって! 待てよ諏佐!」

 正直にいえば、小堀は諏佐の裸を見てみたかった。けれどそれを見てしまうと、自分の股間が反応してしまい、あらぬ誤解――実際は誤解でもなんでもなく、小堀の素直な気持ちなのだが――を与えかねないので、制止を求める。しかし諏佐は聞く耳を持たず、上から順番に着ているものを脱ぎ始めた。
 露わになった肉体に、小堀は人知れず魅入ってしまう。決して骨太ではないが、全体的にバランスよく筋肉の乗った身体だ。特に肩から二の腕にかけてのそれは、やはりバスケをしているせいかよく発達している。
 最後に下着を躊躇いもなく脱ぎ捨て、完全な裸体となった諏佐。やはり小堀の目は男のシンボルが気になり、そろりと視線をそこに向けた。
 控えめな茂みの下にぶら下がるそれは、存在感こそあるものの、大きさは小堀のものとそれほど変わらないように見える。剥き出しの亀頭は形がよく、勃起したらどれくらいになるのだろうかと、いかがわしい想像をして小堀の股間は疼いた。

「まだ春先だし、さすがに全裸は寒いな」

 一方の諏佐は小堀の乱れた心中など知る由もなく、また、身体の隅々まで晒しているというのに、恥ずかしがるどころかむしろ堂々としている。

「ってことで小堀、俺も布団に入らせろ」
「お、お断りだ!」
「拒否権なんてない」

 問答無用で布団に押し入ろうとする諏佐に、小堀はなんとか抵抗を試みるが、やはり力では彼に敵わない。あっという間に侵入を赦してしまった。

「入って来るなよ、変態」
「同じ全裸のやつに言われたくないな」

 鎌首をもたげ始めたモノを隠そうと身体を反転させると、諏佐の身体が背中に密着してくる。

「小堀の身体、なんか温いな」

 耳元で囁かれた声と上半身を抱きしめる腕の感触に、小堀はどうにかなってしまいそうだった。しかもこの間と違っていまは互いに丸裸だ。何も意識するなというほうが無理な話だろう。
 案の定、小堀の性器は完全に勃起してしまっていた。諏佐がちょっと手の位置を下げればすぐにばれてしまうから、内心かなり冷や冷やしている。

「これでもう恥ずかしくないだろ?」
「まあ、そうだけど……」

 いまは恥ずかしさよりも別の感情が先行して、身体が熱い。諏佐からしてみればただのスキンシップなのかもしれないが、こんなことをされては何かを期待してしまうのを抑えられない。

(でも、わかってる……)

 この先は何もないのだと、小堀はちゃんと理解している。妄想はあくまで妄想であり、それが現実になることなんてないのだ。ならいまは、この背中に伝わる温かくて硬い感触をしっかりと覚えておこう。

(俺にはそれしかできない……)

 いつの日か味わった失恋の痛みを思い出し、高まっていた興奮が急速に冷めていく。自分の想いが届かないことへの悲しさや辛さは、決して忘れていない。でもそれを受け入れる覚悟を決めて、小堀は諏佐への気持ちを捨てることを選ばなかった。いや、捨てたくても捨てられなかった、といったほうが正しいのかもしれないが、それでいいのだと半ば諦めにも似た気持ちを持っていた。

(好きだよ、諏佐)

 決して諏佐本人には伝えられない台詞を心の中で呟いて、小堀はゆっくりと眠りに落ちていった。



 身体がふわりと宙に浮いているような感覚がした。掌に感じる空気は熱くもなく、寒くもない。
 小堀は何もない空間に、一人ぽつんと佇んでいた。心地のよい陽光が四方から差し込んでいるせいで、辺りはずいぶんと明るい。

(夢の中……?)

 身体は思うように動くし、意識もはっきりしているが、こんな場所が現実にあるはずがない。小堀はすぐにここが夢の中だと理解した。
 とりあえず歩いてみようと足を踏み出した瞬間、正面の光の中から一つの影が躍り出てきた。ゆっくりと近づいてくるそれが自分の知っている人物だと気づいて、小堀は軽く手を上げる。

「諏佐!」

 呼びかけるが、応答はない。こちらを見ていると思っていた視線も、どうやら小堀の更に後ろを見ているようで、微妙に交わることがない。
 触れられる距離まで彼が近づいてきて、小堀は手を伸ばしたが、それは彼の身体をすり抜けてなんの感触も掴めなかった。

「諏佐!」

 通り過ぎていった彼を小堀はすぐに追いかけた。しかし、彼の足取りは決して速くないはずなのに、その背中に近づくことができなかった。それは走ってみても変わらず、近づくどころかどんどん距離が開いていく。

「待てよ諏佐!」

 このまま彼を見失ってしまったら、もう二度と会えない。根拠もないのになぜかそんな気がして、小堀は懸命に地面を蹴った。

「諏佐! 諏佐! 俺を――」

 諏佐の背中はいましも眩い光の中に消えようとしている。

「俺を、嫌いにならないでくれ」



 やはり、と目覚めた瞬間に小堀は思った。それは自分が泣いていたことに対してでもあるし、一緒に寝ていたはずの諏佐が隣にいないことに対してでもある。
 部屋の中は閑散としていて、朝の少しひんやりとした空気が裸の小堀を取り巻いた。とりあえず部屋着をまとい、洗面所やトイレに諏佐がいないか確認する。
 姿がないことから、自分の部屋に帰ったのだろうと想像できる。しかし、さっき見た夢のこともあってか、ちゃんと姿を確認しないとなんだか落ち着かない。
 一応うがいと洗顔だけを済ませて、小堀は諏佐の部屋を訪ねることにした。
 インターホンを押して間もなく、部屋の主がドアを開けて顔を覗かせたことに小堀は安堵した。

「どうかしたか?」
「いや、起きたらいなくなってたから、少し心配になっただけ」
「悪い。バイトがあるから朝抜けたんだ」

 夢は夢でしかない。何を焦っていたのだろうかと、小堀はさっきまでの自分に内心で苦笑した。

「今日もうちに来るんだろう?」

 訊くと、諏佐は首を横に振る。

「シャワーのほう、今日中になんとかしてくれるらしいから、たぶんそっちに行かなくて済むと思う」
「そっか……。じゃあ、今日は俺がそっちに行ってもいいか?」

 諏佐と一緒にいたい。いつか本当に彼が自分から離れていく日が来るなら、せめていまは同じ空間で同じ時間を過ごしたい。そう思って訊ねたのだが――

「今日はやることあるから、駄目だ」

 色よい返事はもらえなかった。

「明日は?」
「明日も駄目だ。しばらく忙しいと思う」
「そっか……。じゃあ、暇ができたら教えてくれよ」

 ああ、と諏佐は頷いたけれど、その顔にはわずかに拒絶の色が浮かんでいる気がした。自分が気にしすぎているだけだ、と自分に言い聞かせようとするが、胸の内に生まれた焦りはなかなか消えない。

「小堀」

 ドアを閉めかけた諏佐が、こちらを振り返りもせずに小堀を呼んだ。

「もう俺とは会わないほうがいい」

 そして、決定的な台詞が彼の口からもたらされ、小堀の焦りは色濃いものになった。
 どうして、と訊く前にドアを閉ざされてしまう。春先のまだ冷たい風が吹きつける廊下に取り残された小堀は、無骨な鉄のドアをただ茫然と眺めていた。








■続く■





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