その5


 あのあとすぐにインターホンを鳴らしたが、諏佐が玄関を開けてくれることはなかった。顔を合わせるのが駄目なら、とメールで訳を訊ねてみたが、一時間が過ぎても返信はない。

(なんで……)

 突然の拒絶の理由がわからず、小堀は困惑していた。対する好意を悟られるようなことはしていないし、彼の気に障るようなことをした覚えもない。ではなぜ、とありとあらゆる記憶を掘り起こす中で、一つだけ気がかりなことを見つける。
 それは昨日一緒に寝たときのことだ。小堀は熟睡していて何一つ覚えていないのだが、その間にもしかしたら何かおかしなことをしてしまったのかもしれない。

(だからって、こんな拒絶の仕方はないだろう)

 そもそも裸でベッドに入ってきたのは諏佐のほうだ。にもかかわらず、どうして自分のほうが拒絶されなければならないのだ。
 諏佐が最後に放った言葉は、胸に突き刺さって絶えず小堀に鈍痛を与える。それはいつか味わった失恋の痛みよりもずっと辛いものだった。
 そんなふうに何時間もベッドの上でもやもやしていると、突然携帯がメールの受信を知らせるメロディーを鳴り響かせる。諏佐からの返信だと思って慌てて携帯を手に取るが、画面に表示されたのは別の人物の名前だった。

(笠松?)

 彼からのメールなんて珍しい。本文に目を通すと、内容はこの辺りまで来ているので小堀の部屋に遊びに行きたいのだが、場所がどこかわからない、という旨のものだった。現在地を訊ねると、割と近くの本屋にいると返信があり、小堀はすぐに出かける準備をする。

(笠松……卒業式以来だな〜)

 卒業後は互いに新生活の準備が忙しくて、顔を合わせる暇がなかった。確か笠松のほうも引っ越しは完了しているはずだが、メールや電話で連絡と取り合うこともなかったため、詳しいことはわからない。
 指定された本屋に着くと、目的の人物はスポーツ雑誌のコーナーで立読みをしているところだった。

「笠松」

 声をかけると、凛々しい眉が印象的な、まだどこか幼さの残る顔が小堀を振り返った。

「久しぶりだな。迎えサンキュー」
「ああ。行こうか」

 少し髪が伸びたようだが、それ以外にこれといった変化はない。男らしい顔も、はきはきとした喋り方も、小堀の知っている笠松から少しもずれていない。けれど、以前のようにその顔や声に対して胸が高鳴るようなことはなかった。

「俺、小堀が金髪になってたりしたらどうしようかと思ったぜ」
「俺が髪なんて染めるわけないだろ」
「いや、おまえみたいな真面目で大人しいやつに限って、ある日突然変わっちまうらしいぞ」

 アパートまでの道のりを、互いの近況を話しながら歩く。
 笠松は都内のバスケで名の知れた大学へ進学することが決まっており、それに際して小堀と同様に都内での一人暮らしを始めていた。住所は決して近くはないが、その気になればいつでも行ける距離ではある。
 笠松も自炊の経験がなかったために、小堀と同じく料理には悪戦苦闘しているようだ。それ以前に笠松が料理をしている姿なんて想像もできない、と笑えば、軽い蹴りが飛んできた。
 小堀のアパートが見えてきた。あそこがそうだと指を差そうとしたとき、ちょうど階段を諏佐が下りてくるのが目に映った。

(やばっ)

 何がやばいのか自分でもわからなかったが、小堀は咄嗟に笠松を引っ張り、物陰に隠れる。

「おい、いきなりどうしたんだよ!? つーか、さっきのって桐皇の……」
「しーっ! ちょっと静かにしてくれ」

 笠松にも諏佐の顔がわかったらしく、いったい何事かと捲し立ててくるが、小堀はそれを制して土塀の淵から顔を覗かせる。諏佐はちょうどアパートの敷地から出てきたところで、小堀たちのいるほうとは反対側に歩いていった。
 ふう、と思わず安堵の息が零れる。正直いまは諏佐と顔を合わせたくない。もしも声をかけて無視でもされたら、たぶん自分はひどく取り乱してしまうだろう。笠松もいる手前、そんな状況に陥るのはごめんだ。

「おまえ、あいつと何か訳ありなのか?」

 そう訊ねてくる笠松の顔は少し心配そうだった。

「まあ、ちょっと……」
「いや、隠れておいてちょっとはねえだろ。つーか、目の前でこんなことされたら気になるっつーの」

 確かに、諏佐の目から逃れるように隠れるのは普通ではないし、付き合わされたほうとしてはその理由も気になるだろう。
 小堀は最初誤魔化そうかと思っていたのだが、笠松の真剣な眼差しに見つめられては、嘘などつけないと早々に観念した。

「……わかった。部屋に着いたらちゃんと話すよ」



 先程の台詞のとおり、部屋に上がってひとまず茶を出してから、小堀はことのすべてを笠松に話した。諏佐のことを好きなこと。昨夜一緒に寝たときに何かしてしまったかもしれないこと。それによって自分の気持ちが諏佐にばれた可能性があり、拒絶されてしまったこと。
 包み隠さずすべてを吐露したとき、笠松は納得がいかないといいたげな顔をしていた。

「なんかちょっと腹立つな、それ。小堀の気持ちを知ったところで、なんでそういう拒絶の仕方をしなきゃならねえんだよ?」
「だって、やっぱり男から好きっていわれたら気持ち悪いだろ?」
「気持ち悪くなんかねえよ! 少なくとも俺はおまえに告白されたとき、そんなふうには思わなかった」
「それは笠松が優しいから……」
「優しいとか優しくないの問題じゃねえ!」

 笠松は少し声を荒げる。

「男に好かれてるから気持ち悪いってどういう理屈だよ。そりゃ、男からの好意なんて受け入れられねえのかもしれねえけど、それならそれでいままでどおりの友達でいればいいじゃねえか。なんでそんな全力で拒絶すんだよ」

 小堀が笠松に告白し、フラれたあと、彼は以前と変わらぬ態度で接してくれた。あのときそれにどれだけ心が救われただろう。

「それに、そういう拒絶の仕方したら小堀が傷つくって、ちょっと考えりゃわかんだろ? 俺はそれがすっげえ赦せねえ」
「笠松……」

 笠松が自分のことのように怒ってくれることが、小堀はひどく嬉しかった。そして彼に話したことで、一人で抱えていたごちゃごちゃとした気持ちが少しだけ軽くなったような気がしていた。

「俺、やっぱりフラれても笠松に告白してよかったよ。でなきゃこういう相談ってできなかっただろうし。なんか隠すことがない分、気が楽だ」

 小堀はいままでに自分のセクシャリティを誰にも打ち明けたことがない。だから笠松を好きになったときは一人で死ぬほど悩んだし、自分のセクシャリティが嫌になることだってあった。それが、たった一人でも知っていてくれる人がいるだけで、こんなにも苦しさが軽減される。
 もしもあのとき笠松に告白していなかったら、彼に自分のセクシャリティを打ち明けることもなかっただろうし、いまも一人で思い悩んでいただろう。だからやはりあの告白は間違いではなかったのだと、小堀は改めて実感した。

「俺、告白なんかされたことなかったから、あのとき小堀に告白されて、実はちょっと嬉しかったんだ」

 笠松は少し恥ずかしそうにはにかんだ。

「しかも相手が小堀みたいな顔も性格もいいやつだったからな」
「そ、そんなこといったって何も出ないぞ」
「お世辞じゃねえ。本心だ」
「それなら笠松のほうがよっぽど顔も性格もいいと思うよ。男らしいし、頼りになるし、優しいし、面倒見いいし」
「それこそお世辞だろ」
「本心だよ。笠松のそういうところに、俺は惚れたんだから」

 そういうことを笠松本人を前にして平気で言えるようになった辺り、やはり自分の気持ちはあのときとすっかり変わってしまったのだろう。笠松のいい部分は何一つ変わっていないが、あのときに自分の中にあったはずの熱い想いは、もうどこにも見つからなかった。

「そういえば、隣人のことで一つ気になることがあったんだけど」
「気になること?」
「ああ。おまえあいつに気持ちがばれたかもしれねえっていってたけど、寝てる間にちょっかい出されたくらいじゃ、別にそいつの気持ちなんてわかんねえと思うけどな。なんか変な夢でも見てるんだろうな〜くらいにしか思わねえと思うぞ、普通」
「そうかな……」
「だから、こういうことになったのはもっと別に理由があるんじゃないのか? だからもう一度ちゃんと話し合ったほうがいいと思う。それこそ待ち伏せでもなんでもして」
「う〜ん……わかった。そうしてみる」

 笠松のいうとおりなのだとしたら、その別の理由とはなんなのだろう? 無論、諏佐本人に訊いてみないことにはわからないが、果たして自分はそれを受け入れられるだろうか?

「小堀」
「ん?」

 呼ばれて顔を上げれば、笠松の両手が小堀の両頬に触れた。まだどこか幼さの抜けきらない顔には穏やかな笑みが浮かび、静かに言葉を口ずさむ。

「いままで小堀が弱いとこなんて見せたことなかったからさ、なんか不思議な感じがする。でも、辛いときはいつでも俺に言えよ? 話くらい聞くからさ。もっと甘えろ」
「笠松……ありがとう」

 笠松の言葉が、存在が、すべてが温かい。それは困惑と不安に包まれていた小堀の胸に染み込んで、重かった身体がなんだか軽くなった気がする。
 しかし、安心すると今度は我慢していたものが込み上げてきて、小堀の瞳からはたちまち涙が零れ出してしまう。諏佐に拒絶されたことは、自分が思っていた以上に堪えたらしい。

「小堀……」
「ご、ごめん……」

 両頬に触れていた笠松の両手が、今度は背中に下りてくる。抱きしめられたことに一瞬驚いたが、それはあまりにも心地よくて、小堀はしばらくそのまま笠松に身体を預けることにした。








■続く■





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