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 それから勅使河原とは毎日会った。会わないほうがいいんじゃないかと思ったことなんて、もうとっくの昔に忘れていた。二人で夕食を食べて、部屋でぐだぐだしているうちにもつれ合って、セックスをしてから眠りにつく。それがお決まりのパターンになっていた。
 そして今日も仕事を終えると、司は当たり前のように勅使河原の泊まっているホテルに向かっていた。その道中、電車に揺られながらふと思い出す。彼ももう、あと三日しか東京にいないのだと。
 勅使河原の本来の住処は岐阜県だ。しかも中心部から結構離れていた。糸守ほどではないが、それでもずいぶん遠い場所であると、一度あの辺りに足を運んだことのある司は知っている。あちらに帰ってしまえば頻繁に会うことは叶わないだろう。迫りくる別れの日のことを考えると、寂しい気持ちにさせられた。
 このまま二人の仲は先に進展しないまま離れ離れになってしまうのだろうか? そもそも今の自分たちの関係はなんなのだろう? 友達? セフレ? はっきりしないけれど、恋人同士じゃないということだけは理解していた。
 そんなことをもんもんと考えているうちに、勅使河原の泊まるホテルの最寄駅に着いた。人の波に揉まれながら改札を出る。

「――司!」

 聞き覚えのある声に呼ばれたのは、駅を出てすぐのことだった。少し離れたところで勅使河原が手を振っている。優しそうな彼の笑顔を目にした途端に、司は自分の胸の中に何か温かいものが溢れ出るのを感じた。

「お疲れさん」
「こんばんは。駅まで来てどうしたんですか?」
「たまには迎えに行くんもええかと思って。それに今日はこっちのほうで晩飯食おうかと思っとったんやよ。腹減っとるか?」
「結構ペコペコです」
「そんじゃ行こうや。俺もはよなんか食いたい」

 この日は和食の店を選んだ。値段は少し張ったが、それに見合った味と量だったから満足である。
 ホテルまでは大通りのほうじゃなくて、近道になる公園の中を歩くことにした。司と勅使河原が初めて会話を交わしたあの公園だ。つい五日前の出来事なのに、もうずいぶんと昔のことのように思える。

「やっぱ都会の夜空は微妙やな。あんま綺麗な感じせん」

 勅使河原が頭上を見上げながらそう言った。

「飛騨のほうはやっぱり綺麗なんですか?」
「そうやぞ。遮るもんがなんもないし、空気も綺麗やから星がくっきりして見えるんよ。司にもいつか見せてやりたいなあ」
「じゃあ今度テッシーさんの家に行かせてくださいよ。それでその星空見ながら酒でも飲みましょう」
「ええけど、結構遠いぞ? しかもなんもないしなー」
「たまには田舎でゆっくりっていうのもいいかと思って」
「司は田舎があんまり似合わんなあ。純シティーボーイって感じする」

 確か来月には三連休がある。そのときにでも本当に行ってみようかなと呟けば、勅使河原は「絶対来いよ」と念を押すように誘ってきた。
 二人の足は、公園の真ん中を突っ切る道じゃなくて、自然とこの間の東屋に通じる小道に入っていた。舗装されていない土の道で、左右を背の高い木々に覆われているため外からはこちらが見えなくなっている。
 入った途端に、右手が温かいものに包まれた。勅使河原に手を握られたのだ。まるで恋人のような扱いに嬉しくなりながら、司もその手を柔らかく握り返す。
 やがて拓けた場所に辿り着いて、あの東屋が姿を現した。相変わらず誰の姿もない。「座るか?」という勅使河原の問いに司は頷いた。
 木でできたベンチに腰を下ろした途端、勅使河原に肩を引き寄せられた。初めてここで話したときには想像もしなかったこの近しい距離感。あのときはこの人が温かくて優しい人だということを――それどころかこの人のことをほとんど何も知らなかった。もちろん今だって知らない部分がないわけじゃないけれど、たった五日という短い付き合いの中で、こんなにも密な関係になれた人間は勅使河原だけだ。

「なあ、司」

 静かな声が司を呼んだ。

「なんですか?」
「俺な、飛騨に帰るまでに三葉に告白しようと思っとる」
「えっ……」

 思わぬ台詞に、司は勢いよく顔を上げた。

「ずっと考えとった。三葉のことを諦める方法。もしかしたら気持ちを伝えてないから諦められんのんかって思った。もちろんそれですっぱり諦められるわけじゃないんやと思うけど、諦めるきっかけの一つにはなると思うんやさ」

 確かにそうなのかもしれない。自分の中だけに収めていたことが原因で、想いが燻り続けるということもある気がする。ならばそれを吐き出してやれば、少なくとも胸にしこりを残すようなことはなくなるんじゃないだろうか?
「でも、告白することで関係が拗れたりしませんか?」
「そうなったらそうなったらでしゃあないって思っとる。拗れたところで最近は滅多に顔合わせることもないし、むしろそうなったほうがが諦めがつく気さえするわ。ああ、でも俺が三葉に告白するからって、司は無理に瀧くんに告白する必要なんかないからな。そっちはこっちと違っていろいろ複雑やろ。男同士やし」

 関係が拗れるという点で言えば確かにこちらのほうが、リスクが大きいと言えるだろう。同性愛に対する世間の理解が広がってきているとはいえ、瀧もそうだとは限らない。ひょっとしたら気味悪がられて、最後には縁を切られたりするかもしれなかった。そんなことになれば自分はものすごく傷つくだろう。瀧ではなくゲイである自分を憎み、勅使河原のことでさえも投げやりになってしまうかもしれない。
 でも、と司は瀧の性格を冷静に振り返る。瀧は優しいし、思いやりがある人間だ。司の気持ちは受け入れられないだろうが、同性愛者だからと言って友情まで否定するようには思えない。瀧はそんなに心が狭いやつじゃない。

「俺も告白しますよ」

 悩んで悩んで、最終的に司は瀧を信じることに決めた。

「だから無理にする必要なんか……」
「無理なんかじゃないですよ。俺は瀧を信じてます。少しでもこの気持ちを切り捨てられる可能性があるんだったら、それに賭けてみたいです。それにもし自分が傷つくような結果になったとしても、勅使河原さんが慰めてくれるんでしょう?」

 上目づかいに勅使河原の顔を覗き込めば、彼は苦笑しながら坊主頭を掻いた。

「しゃあないな。そうなったら俺がお前の気が済むまで抱きしめて差し上げるわ。でもあとで交代やぞ。俺もたぶん、疲れとるやろうから」

 たぶんそこからようやく、司と勅使河原の関係は動き始めるのだろう。好きだという気持ちをお互いに持ちながらも、過去の片想いに縛られて前へ進めなかったこの恋の、本当のスタートラインがそこにある。
 もちろん、勅使河原と付き合い始めてすべてが上手くいくとは限らない。ひょっとしたらどこかで彼と衝突して、別れに至るようなこともあるのかもしれない。けれどそんな不安を恐れるより、今この胸にある気持ちを信じて目の前の恋に飛び込んでいくことのほうが、司にとってはとても大事なことのように思えた。

「あんとき、こっちを通ってよかった」

 勅使河原の台詞が、初めて会話を交わしたあの夜のことを言っているのだとすぐにわかった。

「本当に思いつきやったんやけどな。もうちょっと歩きたいって思ったんやさ。その思いつきに今は死ぬほど感謝しとる」
「俺も、ここで一人酒しようって思いついてよかったですよ」

 今思えば二人の邂逅は奇跡のようなものだ。互いの思いつきでたまたまここで巡り合うことができ、たまたま同じような片想いを抱えていて、たまたま互いを好きになった。
 あるいはこういうのを運命と言うのかもしれない。安っぽく聞こえるかもしれないけど、それほどしっくりくる言葉も他になかった。

(彗星落下の日の奇跡と、どっちがすごいんだろうな……)

 比べるのもおこがましいほどのスケールの違いがその二つにはあるが、それでも司とっては、勅使河原と出逢えたことがそれほどまでの奇跡だと思えてならなかった。









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